日産・セレナが発売されてから「自動運転」という言葉が身近に感じている人が増えたと思います。セレナは「プロ・パイロット」という商品名で自動運転技術を搭載したモデルとして注目を集めていますね。でも装着率を見ると6割程度のユーザーなので、必要、不必要の判断はあるようです。
自動運転とひと口に言ってもどのレベルなのか?ということが話題に上ります。現在は国際的にレベル0~レベル4までの5段階で考えているのが一般的で、その内容を把握すると「自動運転」の意味が分かりやすいと思います。
■自動運転のレベルとは?
レベル0はもちろん、自動のものがなにもないので除外します。でレベル1ですが、ブレーキ、アクセル、ハンドル操舵のいづれかひとつをシステムが行なうものを意味しています。レベル2はそのうち複数の操作をシステムが行なうものを指します。
現在市販されている自動運転とか、運転支援技術と言われているのは、このレベル2に相当にします。そしてこれらは、レーダーやカメラが集めたデータをECUで判断し、加速、制動をしています。ただし、制動は自動でブレーキを掛けてくれるわけではなく、ドライバーの判断ミスをサポートする役目ですね。通常の走行時はブレーキは自動ではかかりません。
そしてハンドルの操舵では、レーンキープアシスト機能が働きます。これもレーダーやカメラが白線や前のクルマを認識して車線内を維持するように操舵されます。このレベルを装備しているのがセレナですね。他にもスバルやメルセデスベンツ、レクサスなどもこうした装備をしたモデルをすでに市販しています。
このレベル2までは運転の責任という法律や倫理問題はすべてドライバーが負っています。しかし自動運転となるとこのあたりの責任も変化してきます。
レベル3では先ほどの3つの操作すべてがシステムで操作されるレベルを指します。つまり、アクセル、ブレーキ、ハンドル操作ですね。このとき、自動でブレーキもかかり、発進、停止も自動になります。もちろん車線維持もシステムが負います。レベル3の適用が想定されているのは高速道路、自動車専用道路に限定されます。
この自動走行中の責任はシステムが負うことになり、またシステムが自動走行が不可能と判定したときは、ドライバーに操作を戻すことが含まれています。つまり、ドライバーの監視は必須要件となっています。導入目途は2020年なのですぐ目の前ですね。
そして最終のレベル4になると完全自動運転ですべてドライバー以外が操作し、ドライバーの監視義務もなくなるわけです。もちろん責任はシステムが負うことになり、導入は2025年を目途としています。こうなると移動カプセルの意味が強くなり公共の乗り物のようになりますよね。
■どうやって自動で走るのか?
では、自動運転はどうやって走行するのか?ですが、自動車メーカーが開発するものとインフラが関与するものがあります。カーメーカーは自律航法からアプローチしています。というのはインフラ整備に関しては、カーメーカーではなく国、政府が主導しなければ成立しないからで、カーメーカーは自分たちでできることから開発するのは自然なことですよね。
そのためにカメラやレーダーが開発され、データの解析やアルゴリズムの確立などを経てレベルアップを図っています。反面、インフラ整備に関しては世界的に見て、カーメーカーより歩調が遅く、徐々に進められています。しかも、インフラ整備ができる国は限られていることも重要なポイントです。
カーメーカーはある意味目の前の状況に対して自動運転を成立させています。前走車や左右、後方を監視して走行走行しています。一方インフラでは数キロ先の情報をクルマと通信することで、情報共有し円滑な交通の流れにする方向で考えられています。それは信号の監視であったり、渋滞情報であったりするわけです。
つまり、自動運転にはカーメーカーだけでなく政府、国も関与しなければ成立しないということが分かってきます。日本に限って言えば2020年の東京オリンピックの時にはレベル3を実現すると言ってます。
その背景には安倍総理大臣の経済活性化プログラムにあるアベノミクスでは、この自動運転がリストアップされているのです。内閣府主導の政策でSIPと言われる戦略的イノベーション創造プログラムが11項目あり、その中に革新的燃焼技術だとか、この自動運転だとかがあります。
つまり、研究開発予算は国が払うという前提で向き合うことができるので、開発は急ピッチで進んでいることと思います。おそらく東京の首都高速では自動運転が実現しているのではないか?と想像できます。
■問題は思わぬところに
順調に見える自動運転の開発ですが、問題がないわけではありません。この問題は世界共通の認識が必要であり、各国がそれぞれのやり方で自動運転化しても、国境を越えれば利用できなくなるものではダメですよね。そこでG7先進国の交通相が2016年9月軽井沢に集結し、協調路線を確認したのですが、なかなかうまく行ってません。
G7は米国、カナダ、ドイツ、英国、イタリア、フランス、そして日本ですが、ドイツと日本がその議長国として進めていました。しかし、アメリカ、カナダでは独自の認識のもとに、安全基準のガイドラインを米国内で成立させてしまっていたのです。そのガイドラインに同調しているのがカナダと中国です。欧州連合は議長国に従う意向を示していますが、なかなかうまく行きません。
これには各国の思惑もあり、イニシアチブを握ることに固執するアメリカなりの事情があるからなのでしょう。こうした協調路線がなければ世界共通のインフラ整備は先に進むことはできないので、担当者は頭が痛いことと思います。
そしてこの先の自動運転にはAI(人工知能)が必須だという考え方もあり、そうなると、倫理観や法律も整備させれなければなりません。
トロコッコ問題という名称で知られていますが、どうしても避けられない状況の時、5人いる方向と1人いる方向のどちらに突っ込むか?あるいは自爆を選ぶのか?という判断をAIがしていくことになります。簡単に答えの出る問題ではないことがよくわかると思います。さらにサイバー攻撃への対応も必要で、問題は山積しているわけです。
整理しますと、技術面では完全自動運転に向けたマテリアルの熟成、インフラ整備、そして協調。さらに各国共通の倫理観と法整備などが先々の課題として残っているわけです。
そうした中、2018年にはアメリカではトラックのCar to Car通信が義務付けられ、自動運転によるコンボイ走行が実施されそうです。日本でも前述のように限定的ではありますが首都高速だけは自動運転車走行するようになると思います。
いずれにしても、日々変化が起こり、変更があり徐々に自動運転が実現していくことは間違いでしょう。
その一方でクルマの魅力をどうするか?という議論ももちろんあります。クルマの最大の魅力は自由にいつでもどこにでも移動できることが挙げられます。
メルセデス・ベンツの自動運転開発における責任者は社会学の博士です。そのアレクサンダー・マンカウスキー博士は自動で走るエリアと手動で走るエリアとの棲み分けもあると言っています。つまり、街づくりを変えて自動運転を実現しようというのがひとつのアイディアであるというわけです。それほど、自動運転の領域は一筋縄ではいかないわけですね。
グーグルの自動運転もずっと話題の中心にいた気がしますが、ついに2016年末に自動運転車両の開発は中止し、技術協力というポジションに変更しました。アップル社はソフト開発だと言ってます。つまり、無人の自動運転車両は社会インフラの乗り物になっていくわけで、今のクルマの進化型ではない、ということですね。
というわけで、まだまだ、いろんなことが起きると思うので、楽しみに見ていきましょう。