ホンダ・シビックは今年2022年で生誕50年を迎えたが、歴代のシビックに触れる機会があった。栃木県もてぎ町にある「モビリティリゾートもてぎ」にあるホンダコレクションホールは、歴代のクルマやバイクを動体保存していることでも知られているが、今回、試乗もさせてもらえる機会を得たのだ。
1972年に誕生したシビックはBセグメントのコンパクトハッチバックとして誕生し、アメリカの厳しい排気ガス規制をCVCCという技術でクリアした環境車でもあった。クルマ好きの間では「RS」がスポーツモデルとして人気を博し、カローラ、サニーと肩を並べてシビックは多くの人に愛されたモデルだ。
3代目ワンダーシビック開発責任者の伊藤博之さん
初代も人気だったが、なんといっても3代目の「ワンダーシビック」が大ヒットし、揺るぎないポジションを確保した。この日、その3代目の開発主査LPLをされた伊藤博之さんのお話も伺うことができた。
1981年に3代目の開発がスタート。初代はヒットしたものの7年後の2代目は円高の影響で開発に苦労したという。
「2代目は思い切ったことができなくてみんなストレス持ってました。だから3代目は思い切ってやろうという空気があって、僕はフラッシュサーフェイスをやりたかった。空気抵抗を減らしてボンネットも低くしたいからフロントのサスペンションをトーションバーにして、すべからくデザインも機械も全部新しいことをやろう!ってなりましたね。会社も開発に投資したし、人にも投資してくれた」
見た目のデザインでサッシュレスは新鮮だったという。そしてこのときホンダの今にも継承されているM/M思想が投入された。キャビンスペースは広く、メカ部分はコンパクトにという考えで、開発スタッフのみんながさまざまなアイディアを持ち、それを持ち寄りまとめたのが3代目ワンダーシビックだった。
「やらないとオヤジも怒ったからね」
「当時は、開発に対して役員がとやかく言えなかったと思うよ。やろうと思ったらやれる時代で、やらないとオヤジ(本田宗一郎氏)も怒ったからね。『なんでやりたいことをやらないんだ』ってね。だからいいものが作れたし、いいものを作ったから売れたんだ。営業の親分が『こんなもの売るか!だれが売れるって言ってるんだ!』『オレが売れるっていいました』なんてやりとりもありました」
この当時カローラとシビックがフルモデルチェンジのタイミングが同じというサイクルだったそうで、伊藤さんはそれが嫌で、トヨタを見ずに欧州車を目標に、シビックより上のカテゴリーを目指して開発をしていたという。
おそらく「今度のカローラはこうなるから、シビックはこうしよう」といったことが嫌だったのだろうと想像する。自分のやりたいことを見つけ、欧州車に見出していたのかもしれない。
「開発は今みたいに商品企画、製品企画という流れではなく、オレがだいたいの目論みでここをあーして、こーしてやれば、だいたいこれくらいでできる、という目論みで開発できたんですよ。だから上のクラスを目指して、ゴルフやBMWを見てましたね(笑)」
そして初代から4代目までで伊藤さんは起承転結ができたという。だから5代目は思い切ってまた新しいことを若い人にやって欲しいと。
サンバボディの5代目スポーツシビック
5代目の開発は新しい提案を考え、行き着いたのが「サンバボディ」だった。
開発責任者の鈴木謙三さんは「グローバルで販売が伸びていった時代なので、広い室内が必要になりました。また3代目のフラッシュサーフェイスはヒラメボディと言われて、薄型デザインでしたので、女性の体から連想するボリューム感のあるスタイル、そしてスポーツシビックのネーミングのように躍動感を表現する必要がありました」
5代目は伊藤さんからも檄を飛ばされ「燃費も一番、空力も一番をめざせ」と言われたそうで、L型のウイッシュボーンを採用するなど、ボンネット高を下げることはアイデンティティだったのかもしれない。
6代目ミラクルシビックは革新的な技術を搭載
6代目も伊藤さんの影響は色濃かった様子で通称ミラクルシビックが誕生している。今で言うCVTのホンダマチックや2DINタイプのビルトインナビなど当時としては革新的な技術が搭載されたモデルだ。
シビックは現在北米がメインのモデルとなり、ボディサイズも大きくなっているが、革新性やスポーティさなど2021年に発売された11代目にも受け継がれていると感じ、理解を深めることができた体験だった。
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