2023年5月20日(土)、午後4時にドイツ・ニュルブルクリンク24時間レースは始まった。
STIチームはSUBARU WRX S4をベースにしたマシンで、SP4Tクラスに参戦している。チームの特徴のひとつに全国のディーラーから選抜された8名がメカニックとして参加していることがある。SUBARU/STIでは、他にもGR86/BRZレース、全日本ラリーで同様の取り組みを行なっており、若いメカニックのモチベーションのひとつにもなっているのだ。
実技試験を行ない、成績優秀者が選抜されるが、なかでもドイツ・ニュルブルクリンク24時間レースへの参加はディーラーメカニックにとっての花形イベントなのだ。
チームは16日(火)にサーキット入りし、テントの設営や作業スペースの確保といった作業を行ない、ディーラーメカニックたちも準備を整えていく。8名の役割はマシンを部分的に切り分け、例えば左フロント担当、とかリヤサスペンション担当というように部分的なサポートを行なっていく。
また水曜日には整備の訓練をする時間を設け、タイヤ交換の練習、ブレーキ交換の練習なども行ない、予選、決勝に向けて準備を進めていく。予選は3回行なわれ、ドライバーは2周の計測義務がある。「STI NBRチャレンジ2023」チームは、クラストップタイムをマークし、総合51位からのスタートとなった。
2023年のニュルブルクリンク24時間レースは、参加台数130台。観客はなんと23万5000人と想像を超える。
スタートはクラスを3グループに分け、STI NBR challenge 2023のWRX S4は、第3グループのセカンド・ポジションからのローリングスタートで始まる。ポールポジションはSP6クラスのポルシェ911GT3(991型)だ。
予選では、カップ3(718ケイマン)の10台全てを撃破し、SP10クラスでは32台中4台に先行されたものの、GT4を押し退けている。とくにGT4勢はBoP(性能調整)がされているため、WRX S4とはいいレースになることが予想された。
辰己英治総監督は「ケイマンには勝てる、というところまでには来ましたね。参戦当初は歯が立たなかった。あの頃はケイマンといったら雲の上の存在でしたからね。それがちゃんとやれば勝てることになってきたし、最近では過剰に自信を持っている人も出てきてますけど(笑)」
というようにSUBARU/STIにとって、ニュルブルクリンク24時間レースは「クルマを鍛える」、「技術を鍛える」、「人を鍛える」ことで大きく成長してきた実感がある。
ストラテジー
スタートドライバーは井口卓人だ。ドライバーローテーションは井口卓人>カルロ・ヴァン・ダム>ティム・シュリック>山内英輝という順。ここ数年は、このローテーションでレース距離やコンディションなどさまざまな要素でスタートドライバーが変わることはある。だが、ローテーションには変更がない。
今回、井口がスタートドライバーを務める理由は「井口は燃費がいいんですよ、他のドライバーより。スタートはフォーメーションが1周あるから7周目にみんなピットインしてくる。そうすると、あの狭いピットで作業するにはリスクを感じますから、1周多く走って8周目にドライバー交代という作戦です」と辰己総監督。
総合84位からスタートした井口は予定通り8周目にピットインした。順位は総合54位までジャンプアップしている。そしてカルロにドライバーチェンジし、レースは耐久モードに入っていく。ディーラーメカニックたちにとって、失敗が許されない環境での作業が始まったのだ。
ドライバーはティム、山内へと変わり、徐々に順位を上げていく。山内から再び井口に変わるタイミングで総合47位。時刻は夜の9時10分。
後悔
日没は午後9時15分ころで、井口の2回目のスティントは夜間走行になる。35周目、井口に代わってすぐの3周目に緊急ピットインをした。ボンネットを開けてみるとオルタネーターから煙が出ていたのだ。
「あの部品は量産のままなんですよ。テストでも心配なパーツだとは言っていたのですが、専用部品にしなかったのは私の判断ミスです」」と辰己総監督は説明する。
オルタネーターの交換という突発的なアクシデントでも、ディーラーメカニックには咄嗟の対応が求められ、予備パーツを全力で取りに戻る姿もあった。そのおかげもあり、15分ほどのタイムロスとなり、井口は再びコースに戻る。
総合69位だ。
オルタネーターの修理時間を利用し、給油もした。そのため8周ごとのドライバー交代というルーティーンは11周することになった。
その後は順調でカルロ、ティムと夜間スティントを消化していき、山内に交代したのが午前1時55分。
順位は55位。
再びトラブル
山内はピットアウトして、その翌周にピットに戻った。再びオルタネーターのトラブルだ。
「今度は本体ではなく配線トラブルでした。ハーネスの交換をして、ついでにブレーキローター、キャリパー、パッドも交換しました」と辰己総監督。
日常のディーラー整備では真っ赤になったブレーキローターに触ることはなく、安全第一の作業をしているが、レースでは真逆な作業も必要になる。それでも一つのミスを犯すことなく、マシンの整備を終えた。10分程度のピットストップで済ませ、山内は再びコースに戻り、無事深夜のスティントを終えることができた。
深夜になってもディーラーメカニックたちは元気一杯で、やる気がみなぎっている姿は頼もしく思えたに違いない。
午前3時40分。68周を終え54位。
山内は井口にバトンを渡し、5時30分の日の出まで井口が走ることになった。そして76周を終え井口からカルロへ。
朝4時59分。まもなく夜明けだ。
この頃になるとディーラーメカニックたちにも少し余裕が出てくる様子だ。最初のピットインはおそらく、非常に緊張したと思うが、レースの折り返しの頃には自信に溢れた顔立ちに変わってくるものだ。
カルロが走り始めて3ラップ目。あたりが明るくなり始める。
痛恨のダメージ
81周目カルロから「エンジンパワーが落ちている」という無線がはいった。様子を見ながら周回していると、その2周後、カルロから無線で「ガードレールにヒットした。自走でピットに戻る」と無線が飛び込んだ。
メディアセンターにあるモニターに写しだされたWRX S4は、明らかにサスペンションがイっているのがわかった。左リヤ・タイヤの向きがおかしい。ゆっくりとコースの端を走るWRX S4の車体はユラユラとボディを揺らし、手負いの状態ながらピットを目指す。
午前6時14分ピットに戻ったカルロは「最初パンクだと思った。何かに引っ張られるようにマシンが左へ流れ、それを抑えることができず、フロントからガードレールに当たってしまった」と。
マシンは、左フロント周り、左リヤ・サスペンションに大きなダメージを受けている。タイヤがバーストしたのか、エンジンに起因したものか、それとも何か違う要因なのか。検証が始まった。
辰己総監督とカルロが話しているところへ監督の沢田拓也がデータを持ってきた。「排気漏れですかね、過給できていないです。タイヤはパンクしていないです。ホイールが歪んでますけど、多分当たった時のものだと思います」
どうやら同時多発的にエンジンとサスペンションに異常が発生したようだ。
決断
辰己総監督は、エキマニからの排気漏れならパーツ交換よりエンジン換装の方が早いと判断し、エンジンを載せ替えることを決断。そしてサスペンションは曲がったアームや外れたブラケットなどを点検し、部品交換の作業に入った。
幸いにもサブフレームやモノコックにダメージがなく、部品交換で走れるようになりそうだ。慌ただしくなるピット。全国のディーラーから選抜されたメカニックたちもフルに稼働。狭いピット内に日本人が溢れ、見物人やメディアも集まってくる。
その作業をじっと見つめるカルロ。アクシデントを聞きつけ、休憩中だった山内もピットで作業を見守る。車載映像のチェックもできるようになった。カルロが言うように右コーナーに差し掛かると、マシンに何かの衝撃があり、左へ流れていく。修正舵をあてるもガードレールに当たっていた。
ドライビングミスのようには見えない。マシンに何かあった様子だ。作業開始から2時間。壊れた足回りはすべて取り外され、交換された。
4本のダンパー、フロント左右のロアアーム、ステアリングギヤボックス、リヤデフ、左リヤのラテラルリンクが交換された。その頃エンジンの換装は終盤を迎えている。新エンジンはボンネット内に収まり、補器類との結合が次々にされていく。
ピットインから間もなく5時間が経過しようとしている。ダメージからするとリタイヤしてもおかしくない状況だ。だが、誰一人として諦めていない。全力で修復作業をしていく。
あきらめない
マシンの周回数は83周のまま増えない。だがラップタイムタイムだけは計測され続けている・・・
「あとはアライメントを取れば走れます」とチーフメカニックの宮沢が辰己総監督に報告する。すると、カルロは自分が走ると伝えてくる。ぶつけた責任を重く受け止めているカルロ。修復の確認は自分でするというのだ。
マシンを隣のピットまで移動させ、再スタートが切られた。ピットにいる他チームのメカニックたちから拍手が送られる。エンジンは息を吹き返し、コースインしていく。
久しぶりに周回数表示が動いた。84周。
刻んだラップタイムは4時間59分25秒693。
約5時間後に1周した証だ。
奇跡か?!
その2周後にカルロは8分59秒772を刻み、予選なみのラップタイムを出した。さらに2周後の88周目に予選タイムを超える8分55秒048のWRX S4のファステストを記録。
完全復活できた。
ディーラーメカニックのひとりひとりがモニターをみつめ、タイムを見て口元が緩む。
復活したWRX S4はティムに託され、再びレースに戻る。
レースも終盤だ。それぞれが乗るスティントはおそらく、これがラスト。
総合順位94位。
が、2周目に再びピットイン。タイヤのパンクだ。ここはすぐにタイヤ交換をして再びレースに戻す。ティムも決勝レース中ながら9分を切るタイムをマーク。25キロも走って3秒程度しかカルロとの差がない。メカニックたちの仕事を見てアドレナリンが出ているに違いない。
ティムも総合順位をひとつあげ89位として山内に託した。
連続の自己ベスト更新
山内はちょうど100周目、8分55秒491をマークする。
カルロが出したタイムには0秒4届かないものの、予選のカルロのタイム8分56秒662を上回っている。
山内自身の自己ベスト更新だ。
総合85位。
そしてスタートドライバーを務めた井口がラストスティントに入った。なんと井口は2周目に山内を上回る8分55秒145をマーク。井口も自己ベスト更新だ。
5時間に及ぶマシンを修復し、その直後に全員が自己ベストを更新しているのだ。
午後3時15分。
チェッカーまで45分になった。最終スティントはルーティーンどおりカルロでチェッカーの予定だ。カルロは残り45分もプッシュを続け総合77位でチェッカーを受けた。
トップの30号車フェラーリ296 GT3は24時間7分8.538秒でゴールしている。1周25.378kmのコースを162ラップしていた。
最高のチーム
歓喜に沸くピットボックス。全員が抱き合い、喜びを表す。大声を出すメカもいる。みんなが喜んでいる。みんなが笑顔だ。みんなの顔が崩れていく。
何分続いたのだろうか。歓喜の渦はピットを共有したライバルチームからも拍手が湧く。
カルロが戻ってきた。歓喜は最高潮に達し、涙し、喜びあった。
辰己総監督は「リタイヤしなくてよかったな。あの時、ちょっとよぎったんですよ。でもこんなにもみんなが喜んでくれるのを見ると、止めなくてよかった」と歓喜の外側で話してくれた。
記念撮影が始まり、ガッツポーズやら「やっぱりスバルはナンバーワン」のフレーズ、スバル応援団長のマリオ高野もチームを煽る。いつまでも喜びに包まれる中、インタビューや撮影に応じるドライバーたち。
ひと段落したころ、カルロと目があった。ゆっくりと近づいてきて「こんな経験は始めてだよ。長くレースをやってきたけどね。僕がマシンをぶつけたのに、辰己はなぜ、コントロールを失ったか丁寧に説明し、責任は自分にあると言うんだ。こんなチームに出会ったことないよ」と、うっすらと涙を浮かべるカルロの言葉が全てを語っていた。
特にメカニック達の5時間に及ぶマシン修復、そして完璧な仕上がりに感謝しきれない感情が湧いたのだろう。
「来年もこの『チーム』でくるよ。そしていい成績を出したいと思う」と言って歓喜の渦に戻っていった。
2023年のニュルブルクリンク24時間はクラス2位、総合77位という結果だった。
ファンの期待を裏切ったのかもしれないが、ディーラーメカニックを始め、参戦した全員が大切な何かを得たのは間違いないレースだった。