ホンダは2020年2月20日に、2030年ビジョンの実現に向けて既存事業の盤石化と将来の成長に向けた仕込みを加速させるために、4月1日付けで事業運営体制の変更を行なうと発表した。その内容は、従来のホンダという企業の構造、組織を一新するほどの大規模なものとなった。
「2030年ビジョン」の背景
ホンダの「2030年ビジョン」とは、「すべての人に、『生活の可能性が拡がる喜び』を提供し、世界中の一人ひとりの『移動』と『暮らし』の進化をリードする」という企業ステートメントを実現するために、21 世紀の方向性、活動指針である「喜びの創造」、「喜びの拡大」、「喜びを次世代へ」の3つの視点で、取り組むこととしている。
「喜びの創造」を実現するのが、「移動と暮らしの価値創造」で、これの実現を目指して、「モビリティ」、「ロボティクス」、「エネルギー」の3分野に力を注ぐという。
「喜びの拡大」を実現するのが、「多様な社会・個人への対応」だ。先進国や開発途上国にかかわらず、多様な社会に向けて、また、多様な文化・価値観を持つすべての人に向けて、最適な商品・サービスを提供することとしている。
「喜びを次世代へ」を実現するのが、「クリーンで安全・安心な社会へ」で、環境と安全の領域でのナンバーワンをめざし、さらに資源を投入し、カーボンフリー社会と、交通事故ゼロ社会の実現をリードする存在となることを目指すとしている。
この「2030年ビジョン」は、2015年に退任した先代の伊東孝紳社長の後を受け継いだ八郷隆弘社長が打ち出したもので、抽象的な表現が多いが、企業ポリシーを「量的な追求から質的な追求」への方向転換を意味している。
そして2030年を目途に販売台数の2/3を電動車両にする。ゼロエミッションの燃料電池車(FCV)と電気自動車(EV)で15%程度、ハイブリッドとPHEVで50%以上とする方針としている。
6極体制の修正後
先代の伊東社長が掲げていた、グローバル6極体制とは日本、北米、南米、ヨーロッパ、中国、アセアンの各地域で開発・生産・販売体制を展開することで、それと、グローバル販売600万台という目標が、2016年八郷社長により修正された。
6極体制により、世界各地域に展開する地域に合わせた車両開発の開発工数の増加がけっきょく栃木R&Dセンターなどに大きな負担となり、さらに地域での生産・販売が計画通りに進展したわけではなく、各工場での有休生産ラインが生じコストが増加するなど、営業利益率は低下していた。
このため従来の地域ごとに特化したモデルの開発から、再度以前のようなグローバル・モデル(シビック、フイット、アコードなど)を確立させ、それぞれの商品力を高め、これに合わせて開発における役割・責任を明確にするよう組織変更を行なっている。
こうした、いわば経営の路線変更により、新世代のグローバル・プラットフォームを採用し、アコード、シビック、フィットが誕生している。
独自のホンダ社内構成
ホンダは、生産部門、例えば鈴鹿製作所、埼玉製作所の狭山完成車工場、小川エンジン工場といったプラントを子会社にしているのは他の自動車メーカーと同様であるが、ユニークなのは開発・設計も、本体の「本田技研工業」とは別とし、ホンダ技術研究所を分社化し、4輪R&Dセンター和光(設立:1964年)、4輪R&Dセンター栃木(設立:1986年)を設けている。
そのため、新型車を開発・生産するためには、「本田技研工業」が商品企画を行ない、ホンダ技術研究所に車両の開発を発注する。ホンダ技術研究所は、設計、実験などを開発全般を請負い、最終図面を「本田技研工業」に納品し、「本田技研工業」は製作所に生産発注するというシステムとなる。同じグループ内とはいえ、いわば商品の企画と開発は別会社で行なわれているのだ。
かつて、トヨタは工販分離体制を採っていた。1950年の金融引締により経営危機に陥ったため銀行の主導により「トヨタ自動車工業」と「トヨタ自動車販売」に分離され、「トヨタ自動車販売」が商品企画と販売、「トヨタ自動車工業」が設計・開発・生産を行なう。そして「トヨタ自動車販売」に納品するスタイルとなった。
しかし、この工販分離は1982年に終了し、トヨタ自工とトヨタ自販が合併し、現在のトヨタ自動車になったという経緯がある。当時の基幹車種のカローラ、コロナ、クラウンなどの販売が日産など他のメーカーを圧倒し、トヨタ・ナンバーワン体制が確立したのが背景にある。
一方、ホンダの場合は、しばしば経営に苦しんだ時代に、経営の舵取りを担当していた藤沢武夫副社長が、目先の業績に左右されない自由な研究環境が実現できるとして、1960年に本田技研工業からホンダ技術研究所を分離・独立させている。
トヨタの場合は、営業・販売部門を分離したのに対して、ホンダは研究・開発部門を分離したのだ。ホンダ技術研究所はその後、2006年4月に、事業軸別に5つの開発(R&D)センター体制に移行している。
ホンダR&D
ホンダ技術研究所、つまりR&Dセンターは、「R(研究)」と「D(開発)」と呼ばれる機能がある。リサーチの頭文字をとった「R」は先進技術を長期的に研究する部門で、研究専任者が従事する。
一方、ディベロップメントの頭文字の「D」は、文字通り量産モデルを設計、実験する部門で、車体、内装、エンジンなどの各部署があり、ニューモデルを開発するためにはそれぞれの部門から車種開発担当者が選出され、そうした各部門の車種開発担当者を統率するのがLPL(ラージプロジェクトリーダー)だ。
このように、先行研究部門と量産車の開発部門が一体となっているのがR&Dセンター、つまりホンダ技術研究所だ。
実際に、この体制のもとで1987年に世界初の機械式4輪操舵システム(プレリュードに搭載)、1981年にはジャイロセンサー、距離センサーを利用し地図上に自車位置を表示できる世界初のカーナビゲーション「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケーター」をアコードに搭載。
2003年には「ホンダ・インテリジェントドライバーサポートシステム」の一環として世界初のカメラとミリ波レーダーを使用した「追突軽減ブレーキ」(CMS:Collision Mitigation brake System)を開発し、インスパイアなどに搭載。また2004年にはレジェンドにSH-AWD(駆動トルクベクタリング付きAWD)を搭載するなど、世界をリードする革新技術を生み出している。
例えばもし、「ホンダ・インテリジェントドライバーサポートシステム」の開発が、継続されていれば、スバルのアイサイト以上に世界をリードする運転支援システムに成長したはずである。
いずれにしても、幅広い先行研究に取り組み、そこから生み出された革新技術をいち早く量産モデルに投入することができる体制だったということができる。
しかし、世界6極体制のもとで、次第に先行研究より各地域に合わせた量産開発の比重が増加しR&Dセンターとしての機能が十分発揮できなくなってきた。ホンダ技術研究所のカラーが薄れて行くことになってしまったのだ。
社内の大改革
冒頭の「2030年ビジョン」の達成、具体的にはCASE時代へ向け、本田技研工業、ホンダ技術研究所などすべてを含む再編が決定した。役員体制も従来の社長−副社長−専務以下はすべて執行職となり、いわばボードメンバーと執行職という形態に変更された。
商品開発に関しては、4輪事業の体質強化をさらに加速させ、将来の成長に不可欠な「強い商品・強いものづくり・強い事業」を実現するために、4輪事業運営体制の変更が行なわれる。
従来は「営業(S)・生産(E)・開発(D)・購買(B)」の自立した領域による協調運営体制から、SEDB各領域を統合した一体運営体制へ変更する。これにより、4輪事業全体を捉えた戦略を立案し、より精度の高い企画に基づく開発を実現するとともに、開発から生産まで一貫した効率のよいオペレーションを行なうことで、ものづくりを進化させるとしている。
新たな4輪事業本部には、本田技研工業の生産本部と購買本部、事業管理本部と、ホンダ技術研究所のデザインなど一部機能を除く4輪商品開発部門。そして子会社のホンダエンジニアリングの生産技術開発・設備製造で構成される。
なお、ホンダエンジニアリングは、かつて初代NSX、初代インサイト、S2000などを生産していた少量生産向け製造設備を備えている。
そして4輪事業本部は、機能別に別れていた各領域を統合した上で、新たな業務プロセスを実行する。4輪事業本部の組織としては事業戦略立案を担う「事業統括部」、競争力のある商品を開発する「ものづくりセンター」、商品の生産を担うとともに、グローバルでの生産品質の管理と平準化を担う「生産統括部」、最適なサプライチェーンの企画・実行を担う「SCM統括部」、地域と一体となった営業戦略の立案・実行を担う「営業統括部」の5部門となる。
また各車両の企画から量産立ち上げまでを一貫して統括する責任者として、ビジネスユニットオフィサーを配置する。
これらの事業運営体制の変更に伴い、生産本部、購買本部は解消。また、ホンダエンジニアリングは、従来担ってきた生産技術の研究開発の一部機能をホンダ技術研究所へ移管した上で、本田技研工業へ吸収合併されることになる。
したがって、ホンダ技術研究所の「D」部門は「ものづくりセンター」として統合され、機能することになる。
リサーチ部門は単独
一方でホンダ技術研究所は、新たなモビリティやロボティクス、エネルギーなど、新価値商品・技術の研究開発に集中するとし、「R」部門だけに集約されることになる。また「先進パワーユニット・エネルギー研究所」を新設し、2輪用、4輪用、汎用エンジン、ジェットエンジンの研究・開発を集約し、より競争力のあるパワーユニットを開発する体制としている。
さらにデザイン部門は、新たに「デザインセンター」を新設し、この部門を2輪、4輪から汎用製品までのデザインを担当し、デザイン、ブランドを強化することを目指すとしている。
また結果的に、従来のオートモービルセンター、デジタルソリューションセンターは、本田技研工業に統合するとしている。
こうした社内再編に加え、CASE時代のために、日本におけるモビリティサービス事業の企画立案、運営を担う事業会社「ホンダモビリティソリューションズ」を2月18日に設立した。
この会社は、自動運転モビリティサービスや、ロボティクス、エネルギーなどを組み合わせた新しいサービスを提供することで、交通弱者への対応や、渋滞・排ガス・交通事故といった社会課題の解決、移動の利便性の向上を目指すとしている。
このような空前の社内再編は、現在の八郷社長が目指すビジョンを達成するための最終手段ともいうことができる。こうした、ホンダにとっては従来では考えられなかったクルマづくりの新体制となるが、こうした新組織によりどのようなクルマがプロダクト・アウトされるのか興味深い。
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