既報のように、事件は2015年9月18日のアメリカ環境保護局(EPA)がフォルクスワーゲンの違反を発表したことから始まった。つまり違反該当モデルがエンジン制御用のECUのソフトウエアに「defeat device(ディフィート デバイス)排出ガス処理システムの無効化)プログラム」を使用していることを指摘したことだった。
■1年間の交渉
しかし、事の発端はもっとさかのぼる。NPO組織のICCT(The International Council on Clean Transportation:クリーン交通国際会議)が、アメリカにおけるディーゼル乗用車の実走行で、排ガスの計測をウエストバージニア大学に依頼。その計測結果のレポートは2014年5月に完成している。
この公道でのテスト結果から、特定のディーゼル・エンジン車は、負荷が大きくなるとNOxの排出量が大幅に増大することが判明した。改めていうまでもないが、アメリカを含め、各国の公式な燃費や排ガスの計測は公認されたシャシーダイナモ上で行なわれることになっている。実走行では、交通環境や天候の影響が大きいため再現性がないからである。
そのため、公認機関のシャシーダイナモの上で、テストを受けるクルマは決められた走行パターンに従って運転され、燃費、排ガスが計測される。決められた走行パターンとは、日本ではJC08モード、ヨーロッパのNEDCモード、アメリカでは市街地モード、高速モードなど、各国の規則により走行モードが決められているわけだ。
そのため、シャシーダイナモ上での計測結果と、公道での実走行での燃費、排ガスレベルに差が生じることは珍しくない。燃費では、カタログに記載されているモード燃費と、実際に使用したときの燃費のズレは一般的にも周知の事実だ。
しかし、ウエストバージニア大学のグレゴリー・トンプソン博士のチームが行なった実走行の排ガス・テストでは、特定のクルマの排ガス、特にNOxだけが負荷が大きくなると急激に増えることが問題になった。テストデータでは、一定の負荷領域を超えるとNOxが増大していることが分かったのだ。
アメリカ・メディアの報道によれば、この事実を知ったEPAはフォルクスワーゲンに改善を求め、両者のやりとりは1年間にもわたって継続したが、最終的にフォルクスワーゲン側が「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」を使用していることを認めたとされる。
■「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」とは何か
「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」について少し考察しておきたい。EPAは1972年から、つまり有名なマスキー法(大気浄化法)が制定された直後から自動車メーカーに対し、車両の排ガス制御機能を損なう可能性がある「機能」、すなわち「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」の使用禁止を通達している。このためEPAは、フォルクスワーゲンに対してクルマの改修と制裁金を課すことができるわけである。
違法なプログラムの発覚により、一般的なマスコミは「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」とはシャシーダイナモでのテストを検知する特殊なプログラムと捕らえているようだが、それは少し現実離れしていると思われる。
一般的にエンジン制御は、エンジン始動により排ガス制御システムも起動し、フィードバック制御が作動し、決められた排ガスのレベルに制御される。「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」により、加速や登坂でエンジンの負荷が増大すると、排ガス処理システム(NOx触媒)のフィードバック制御を停止する。つまりエンジンの一定以上の負荷で制御をオフにするという、単純なものと考えた方が妥当だ。
この負荷によるプログラムの切り替え説と、もうひとつは「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」とフェールセーフ・プログラムに切り替えているのではないかとう仮説も存在する。ディーゼル・エンジンに限らず、どのエンジンのECUも、エンジン制御システム(ECU)には、センサーや触媒が故障した時にエンジンがいきなりストップしないように、フェールセーフモードと呼ばれるプログラムも内蔵されている。
このモードでは、通常はエンジンチェックランプは点灯するが、フィードバック制御なしでエンジンを運転することができる。このフェールセーフ機能を切り替えて使用しているのではという推測もある。
もちろんいずれにしても「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」の実態、リスクを犯してまで採用した目的はフォルクスワーゲン社の社内の担当者に対する調査結果、つまりECUのプログラムの車両適合実験を担当した人間の説明を待つ以外に、真実は明らかにはならないことはいうまでもない。<次ページへ>
■衝撃はアメリカからヨーロッパに
アメリカでディーゼル・エンジンの制御の違法性が発覚した時点では、フォルクスワーゲンはアメリカ市場における硫黄分の多い軽油の使用を前提に、NOx触媒の耐久性を確保することと、燃費、動力性能を高めるために、違法を認識しながらも「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」を採用したと推測されたのは妥当なところだ。
ところがフォルクスワーゲンの調査で、該当するエンジン「EA189型」は、アメリカ市場では48万台強であるが、ヨーロッパを中心にフォルクスワーゲンだけで500万台(対象車種は、ゴルフ6、パサート7、初代ティグアン)、シュコダやセアト、アウディなど、傘下ブランドで600万台、合計1100万台に達することが明らかにされ、ドイツ国内はもちろんヨーロッパ全体で大きな衝撃を与えることになった。
アメリカ市場で発覚した問題は、アメリカよりもヨーロッパで深刻な問題となったのだ。EA189型エンジンは、アメリカでは世界で最も厳しい排ガス基準「Tier2 Bin5」をクリアするためと、硫黄分の多い燃料に対する誤った対応策として「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」を使用したと考えられていたのだが、アメリカの「Tier2 Bin5」よりはるかに規制レベルのハードルが低いユーロ5規制のヨーロッパでなぜ「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」なのか? 謎は深まった。
この問題の真相追求のために、フォルクスワーゲン監査役会の助言の元で、アメリカのジョーンズ・デイ法律事務所が第三者調査を実施している。この徹底的な調査の結果が発表されるのは数ヶ月先と予想されているが、われわれはその発表まで真相はわからないというもどかしさはある。
ドイツでの周辺情報では、ボッシュはディーゼル・エンジンの制御システムを開発、納入しているが、2007年の時点で「defeat device(排出ガス処理システムの無効化)プログラム」に相当するプログラムをフォルクスワーゲンに開発用として提供したことが明らかにされている。
しかしボッシュは2015年10月6日の発表文で、「エンジン制御システムなどの部品は各メーカーの仕様に沿って供給しており、これらの部品を較正し、車両システム全体に組み込む責任は、個々の自動車メーカーが全面的に負っている」と説明し、最終的な仕様決定はフォルクスワーゲンであることを発表している。
またボッシュは、今回の問題はディーゼル技術そのものの根幹を揺るがすものではなく、工学的観点から原理的に最も優れている内燃機関が最新のディーゼル技術であり、大気汚染物質の排出量が最も少ないものがディーゼルエンジンだとし、最新のディーゼルパワートレーンは、ヨーロッパが掲げる地球温暖化ガス排出低減目標を達成する上で欠かすことができないと説明している。つまりディーゼルは本質的にCO2排出量が少ないという優位点を持っていることを強調している。
ボッシュの「EDC17」と呼ばれるディーゼル・エンジン制御システムは、北米で販売されているほぼすべての4気筒ディーゼルエンジン車の基本制御ソフトとなっていること、「EA189型」用のエンジンコントロールユニット(ECU)は、ボッシュとコンチネンタル社が供給していることなども明らかになっている。
現在の自動車産業では、例えばエンジンの開発では、自動車メーカーがエンジンのハードウエアを開発し、目標性能を決めた後はサプライヤーにバトンタッチされ、サプライヤーが制御システムや制御プログラムを製作するという役割分担が行われているため、事態はより疑心暗鬼を生む状況となっている。もちろん最終的な制御システムのキャリブレーションや適合性テストは自動車メーカー側が行なうため、最終責任が自動車メーカーにあるのは言うまでもない。
2015年10月7日、フォルクスワーゲンは、排ガス浄化装置を操作する違法ソフトウエアを搭載したクルマのリコール計画をドイツの連邦自動車局に提出した。そして10月末までにEA189型用のECUの対策プログラムをドイツ自動車局に提出し、2016年1月からECUのプログラムの上書きインストールで対処するが、ヨーロッパにおける360万台はソフトウエアのインストールだけではなく、エンジン部品(おそらくNOx触媒とその関連部品)の交換も必要になると発表されている。
ただ、その一方でフォルクスワーゲンの問題を契機に、従来のシャシーダイナモによるモード走行による燃費、排ガスの計測・試験ではなく、実走行での燃費、排ガスのレベルを向上させることが必要だという議論も巻き起こっており、これはフォルクスワーゲンだけではなく全自動車メーカーに対する新たな課題となりつつある。
■フォルクスワーゲン・グループの構造改革が始まった
2015年9月23日に行なわれたフォルクスワーゲン最高取締役会で、マルティン・ヴィンターコルン会長は辞任を発表した。つまり違法なエンジン制御プログラムがヨーロッパ全体のクルマに対象が拡大したことが判明した時点で、辞任は避けられなくなったのだ。
それだけではない。問題の発生した2007~2008年の時点でフォルクスワーゲンの技術開発責任者、上級技術管理職であったウルリッヒ・ハッケンベルク(現アウディの技術開発最高責任者)、ウルフガング・ハッツ(現ポルシェの技術開発最高責任者)は停職となり、ハッケンベルクの後任のフォルクスワーゲンの最高技術開発責任者であったヤーコブ・ノイサーなどグループの開発のトップ達と、財務責任者も更迭された。そして、フォルクスワーゲン・ブランド部門の最高責任者にはヘルベルト・ディースが選任された。
また北米市場の統括責任者には、これまでシュコダ社の会長のウィンフリート・ファーラントが就任し、問題が発生した時点での北米市場の責任者のマイケル・ ホーンは、フォルクスワーゲン・グループ・オブ・アメリカのCEOとして留任した。
2015年9月25日にフォルクスワーゲン・グループの最高取締役会の会長に選任されたのは、ポルシェ社の会長、マティアス・ミュラーである。ミュラー会長の就任と同時に、ブランドの開発体制の改編も実施され、新たにポルシェ・ブランドグループとして、ポルシェ、ベントレー、ブガッティが統合され、アウディ・ブランドグループとして、アウディ、ランボルギーニ、ドゥカティを統合。また商用車部門、MQBを使用するフォルクスワーゲン、シュコダ、セアトそれぞれが統合され、各グループが開発・生産が独立した体制となり、フォルクスワーゲン・グループ全体の生産統括部門は廃止されている。つまりブランド・グループごとの開発、生産の独立性を高めたといえる。
フォルクスワーゲンはポルシェ・オートモービル・ホールディングが株式の約50%を所有し、ポルシェ・オートモービル・ホールディングの株式の90%を所有するポルシェ家、ピエヒ家が支配権を持っている。が、株式の約20%はフォルクスワーゲンの所在地であるニーダーザクセン州が所有しており、この発言力も無視できないのだ。
フォルクスワーゲンはドイツの戦後における工業・経済のけん引役を果たしており、ドイツの国家・経済・雇用などにとっても重要な役割を担っているだけに、ブランド、信頼性の回復は国を挙げての要請となっている。
マティアス・ミュラー新会長は、ウォルフスブルグ工場・ホール11で、2万人以上の従業員を集めて行なわれた従業員集会で次のように演説した。「現時点においてまだ算出できていない莫大な財務的損失を別として、今回の最大かつ一番の問題は信頼を喪失したことです。なぜなら、クルマへの信頼こそが当社の根幹であり、アイデンティティであり、それこそが私たちのクルマそのものであるからです」
さらに「フォルクスワーゲンは、より誠実な企業として立ち直らなければなりません。それは、書面上だけでなく、いかなる時、いかなる場所でもです。私たちは、すべての従業員が規則を遵守することを明確にするための、あらゆる努力を払います。フォルクスワーゲン グループとその傘下のブランドは、持続可能性、責任と信頼を表していますが、現在、それが根底から大きく揺らいでいます。しかし、私は、皆さんと一緒に、私たちの企業価値が存続していることを証明しようと決意しました。それが実現したとき、フォルクスワーゲンと皆さん一人ひとりが、世界中の人々から信頼されるようになるでしょう」