オペルの歴史
オペルは、企業としては荒波に翻弄された歴史がある。世界的な金融恐慌によりオペルはアメリカのGM傘下となり、GMのヨーロッパの拠点となった。第2次世界対戦後は「カデット」を開発し、フォルクスワーゲン・ビートルと激しい販売競争を展開するなど大きく成長し、大型の高級モデルまでラインアップするフルラインメーカーにまで拡大している。
その後はGMのグローバル・プラットフォーム戦略により、オペルが開発したFRプラットフォームを使用してオペル「カデット」、日本のいすゞ「ジェミニ」、シボレー「シェベット」などを生み出している。
しかし、本家GMの破産とその後の再建過程ではオペルの売却も検討されたが、GMのヨーロッパ市場計画が不明確で、オペルは縮小均衡経営を強いられた。だが、現在のGMのメアリー・バーラ会長がヨーロッパからの撤退を決断し、2017年にGM傘下のオペル、ヴォクソールはPSAグループに売却された。いうまでもなく、そのPSAはFCAグループと合併することが2020年に決定し、オペルは巨大クループの中核ブランドとして脚光を浴びることになったのだ。
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GM時代の後半は、オペルはヨーロッパ地域限定のブランドとされてきたが、PSAグループの中で、新たなグローバル・ブランドと再定義され、世界の各市場への進出が決定したのだ。もちろん、その中には、日本も販売台数は少ないものの重要な市場とされている。
なお現在のオペルの財務状態は予想より早く黒字化を達成し、想定以上の収益を上げ、営業利益率も4%台まで復帰。今後は6%台を目指すとしている。
その一方で電動化攻勢も積極的で、20億ユーロ(2373億円)を投資して、ラインラント=プファルツ州のカイザースラウテルン市に巨大バッテリー工場を建設中だ。コルサEV用に換算して50万台分のバッテリーを生産できる能力を持つというから驚異的であり、EV化、PHEV化をリアルに推進していくことが理解できる。
日本のオペル
日本において、オペルは第2次世界大戦前には、日本GMがオペル車を販売したが、戦争が始まり日本GMは撤退した。大戦後は1950年代から東邦モーターズが輸入代理店となり、オペルを販売した。
またGMとの提携関係にあったいすゞも1989年からオペルを販売。そして1993年からはヤナセが輸入権を獲得し、販売を行なった。コンパクトカー「ヴィータ」は国内で人気モデルとなり、輸入車としては異例のヒットを記録。1996年には販売台数は3万8000台に達するまでに至った。
しかし2000年には、日本GMがインポーターとなり、オペルの小型ミニバン「ザフィーラ」が、スバルから「トラヴィック」として発売。しかし日本GMのオペル販売戦略は破綻し、2006年に日本市場から撤退している。
このように、オペルは古くから日本では知られたブランドだが、取り扱い輸入会社の変遷や販売網の不備などが原因で撤退を強いられたといえる。
だが、今回のカムバックでは、既存のPSAグループの販売ネットワークが活用でき、近い将来にはFCAジャパンの販売ネットワークの利用も構想でき、販売ネットワークでのポテンシャルはかなり期待できる状況にあると言えよう。
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