かつて同時期に創業したダイムラー社とベンツ社は1926年に合併し、ダイムラー・ベンツ社が誕生した。それ以前のダイムラー社の乗用車ブランドとして、1902年に「メルセデス」が商標登録されていたことはよく知られているが、その時点ではメルセデス・ベンツではなくダイムラー社のメルセデスであった。
しかしダイムラー社とベンツ社の合併により、これ以降の乗用車は「メルセデス・ベンツ」と呼ばれるようになり、また、新たにダイムラー社の三ツ星の円の周囲をベンツのロゴが囲むというエンブレムが作られていた。その後、ダイムラー・ベンツ社は、乗用車はもちろん、トラック、バス、商用車、軍用車など、さらには潜水艦、航空機、戦車用エンジンの開発・製造や機関銃の銃身製造などを行なう巨大な産業に成長している。この2社合併の背景には、第一次世界大戦の敗戦によるドイツ国内の大不況があったのだ。
戦闘機メッサーシュミット(Bf109)に搭載されたダイムラー・ベンツ DB 601は倒立型のV12水冷エンジンで、歴史に名を残す航空機エンジンとなっている。ダイムラー・ベンツ社はナチス政権の庇護の下で大きな成長を遂げ、1932年と1943年の売り上げ比較では15倍以上という成績を残している。その売り上げの内訳は76%が航空機エンジンだったのだ。しかしその急成長はその後勃発する第二次世界大戦で、壊滅的な被害を受けることになっていく。
■戦後の復興と四輪独立サスを持つ170V
第二次世界大戦後のドイツの産業は、壊滅的に破壊された製造設備の元で細々と再建された。ダイムラー・ベンツ社も同様に、1946年に乗用車の生産を復活。戦前(1931年)の小型車であり最小排気量モデルの170Vを、壊滅状態の工場で少量ながら生産を再開した。4気筒1767cc(45ps)のエンジンを初め、シャシー、ボディも戦前の設計をそのまま踏襲し生産した。
この時生産された170Vは戦前(1936年登場)の中産階級向けの小型車で、フロントサスペンションは上下とも横置きリーフスプリングを採用し、回転摩擦式ダンパーを装備した当時としては画期的な独立サスペンションだった。
リヤはスイングアクスル/コイルスプリング方式による独立懸架としていた。また、フレームは楕円断面のX字型バックボーン・フレームで、前部のY形状部にエンジンをフローティングマウントし、リヤのY形状部にリヤデフを配置している。
ちなみに同時期の1946年にフォルクスワーゲンはタイプ1を1万台生産しており、オールスチール製モノコック、四輪独立サスペンションという、戦前の設計とはいえ革新的なもので性能的には170Vを上回っていたのだ。
このダイムラー・ベンツ170Vは1949年に170Sに進化する。これまでのボディは木製骨格にパネルを張り付けたものだったが、170Sのボディはスチール骨格にスチールパネルを使用する全鋼製構造になった。そのためプレス機を駆使しての生産へと移行し、量産が可能となっていく。またフロントサスペンションは、リーフスプリング式ダブルウイッシュボーンからコイル式ダブルウイッシュボーンに変更されている。
■戦後設計の180
しかし、170シリーズはミドルクラスの中級車という位置付けで、今日のメルセデスのイメージとはかなり違っている。ダイムラー・ベンツ社が、新しい戦後のモデルとして1951年に送り出したのは、完全に新設計の180だ。
この180のボディ、シャシーはまったくの新設計で、Y型バックボーンにクロスメンバーやサイドメンバーを一体化したフロアパン構造を形成した剛性の高いプラットフォームを採用している。これにアッパーボディをリジッド結合することでクルマ全体の剛性が高められるとともに、170Sより40kgの軽量化がされたモデルだった。しかしながら、エンジンだけは従来型の4気筒を受け継いでいる。
エンジン、トランスミッション、サスペンション、ステアリング等は三角形の板金溶接製サブフレームに搭載され、メインフレームに防振マウントされた点も大きな特長で、ラインでの生産性も防振性能も大幅に向上している。
この時ステアリングはウォームギヤ式から、よりフリクションの少ないボールナット式に改良。滑らかで質感の高いメルセデス・ベンツならではのステアリングフィールの出発点と位置付けられているのだ。
パッケージングも革新され、従来の170ではホイールベース内にエンジン、キャビン、トランクスペースまで納めていたのに対し、新パッケージングではエンジンをフロント車軸上に置き、トランクはリヤ車軸より後方にオーバーハングさせることでキャビンスペースを拡大するという方法を採っている。また、ホイールベースが短縮される一方で、エンジン搭載位置は前進し、キャビンが大きくなるなどレイアウトが改良され、プロポーションも近代化されている。
サスペンションはフロントがコイル式ダブルウイッシュボーン、リヤはスイングアクスル+トレーリングリンク式となっている。なおこのサスペンションは1955年モデルからはローピボットのスイングアクスルに変更されている。
スイングアクスル+トレーリングリンク式サスペンションとは、スイングアクスルの前後の位置決めを左右それぞれ2本の前方に支点を持つ、揺動する位置決めリンク(トレーリングリンク)によって行なう。また横方向の位置決めは、ドライブシャフトがこれを兼ねていた。そのためホイールの上下動に伴うキャンバー変化が大きいなどの欠点があり、現在は採用されていない。
180に搭載されたエンジンは170Sと同じ52psだったが、ボディ重量が軽くなった分だけ性能向上を果たしている。またやや遅れて40psのディーゼル・エンジンを搭載した180Dも登場する。1957年に登場する新4気筒エンジンは、サイドバルブ式を継承したものの、新設計のエンジンとなり、戦前設計のロングストローク型の75×100mm、1767ccからオーバースクエア型の85×83.6mm、1897ccに変更されている。出力も52psから65psへ向上している。この180シリーズは1962年まで9年間という長いモデルライフとなった。
■プレミアムブランドを確立した220SE
しかしダイムラー・ベンツの名声が復活するのは1951年に発売した、より上級クラスの200以降のモデルによって実現する。搭載される6気筒エンジンはもちろん戦後の設計で、先進的なSOHCを採用。1954年に登場する220a用のエンジンは2.2Lで80ps、高回転・高出力化が図られている。 また4速コラムシフトのトランスミッションは、初のフル・シンクロメッシュを採用したモデルだった。
当初、200系、220系のシャシーは170Sの鋼管X型バックボーンフレームを流用し、6気筒を搭載するためにボンネットを前方に伸ばしたものだった。しかし1954年には前年に発売した180の新しいシャシーへと変更し、220aへと進化する。
220aのボディデザインは一新され、ヘッドランプをフェンダーに埋め込むなどモダン化し、全長は4507mmと伸びている。また内装も170Sより格段に豪華になっている。最高速は141km/hに達し、当時のセダンとしては群を抜く性能を実現していた。
この220aはホイールベース、全長が長くなり、シャシーは180の発展型の強固なプラットフォームにボディを結合したセミモノコック構造となっている。サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン、リヤは新開発のローピボット・スイングアクスルを採用している。
このローピボット・スイングアクスルとは、ダイムラー・ベンツ社がそれまで採用していたリヤのスイングアクスルで発生する、限界時のジャキアップ現象で、コントロール不能なスピン状態になるという欠点を克服するためのサスペンション形式だ。
スイングアクスルはデファレンシャル・ギヤ左右のジョイントを中心点にアクスルが上下するため、コーナリング中、ロールがある段階を超えたとき、リヤホイールのキャンバーが過度に変化して転倒の危険性を持ち、これがジャッキアップ現象だ。この傾向はタイヤのグリップが高まれば高まるほど顕著になる。そのためロールセンターをより低く路面に近づけること、ロールセンターからタイヤの接地点までの距離を大きくすることの2点により、危険性を遠ざけることができた。これがローピボット・スイングアクスルだ。
つまり、リヤデフの右側面下側にスイングピボットを設置して、デフより下の位置にスイング軸を設け、左側ドライブシャフトとデフは一体でスイングする。右側ドライブシャフトはスライドスプラインを持つ構造で、この結果、従来のスイングアクスルよりロールセンターを下げると同時に、スイングアーム長を長くしてキャンバー変化を小さくするという凝った仕組みなのだ。このため車体には下側スイング軸を保持する、長い垂直のブラケットを介して取り付けられていた。
220aで成功したこのリヤサスペンションは、1956年以降、全車種に適用されている。なお1959年に登場するニューモデル220bからは、大荷重時や発進時に過度なキャンバー変化を抑制する横置きコイルスプリング式のコンペンセイタースプリングを追加している。
ちなみに、同時期のアメリカ車は大排気量のV8型エンジンを搭載していたが、リヤサスペンションはすべてリジッド式。ジャガーは1961年のEタイプで初めてリヤ独立懸架を採用している。
1956年には220Sが追加された。エンジンはツインキャブを装備し、2.2L 6気筒で100psにアップ。当時のアメリカ車から見れば、わずか2.2Lのエンジン、1.4tのボディでありながら160km/hで巡航できるという性能は驚異的で、1958年に登場する220SEによりメルセデスの6気筒の高級モデルというブランドイメージが世界的に確立されていったのだ。