メルセデス・ベンツ新型Cクラスがついに日本に上陸する。2014年の3月に参加した国際試乗会で初めて新型Cクラスを味わうことができたが、その後、さらにドイツで1800Kmにも及ぶロングツーリングを体験し、ニュルブルクリンクや国内のサーキットでもたっぷりと走りこむことができた。
さらに自動ブレーキやアダプティブクルーズコントロールなどの高度運転支援の技術もいろいろな場面でテストすることができた。その結果、言えることは「最善か無か」というメルセデスの社是に忠実に丹念に開発された近年の新型車の中でも非常に完成度が高い逸材であるということがわかった。けっして美辞麗句だけを綴るつもりはないし、もちろんこの記事が提灯であるわけでもない。
「クルマなんて今乗っているヤツをもうしばらく使えばいいんだ」と考えている人も、ちょうどクルマを買い換えることを考えていた人も、あるいはクルマなんか興味ナシと思っている人も、新型Cクラスには未来の自動車の技術も詰まっているので、是非読んでもらいたい。
◆初代190E
W205というコード番号が示すように、メルセデスとしては5代目のモデルとなる。団塊の世代の人たちなら記憶に残っていると思うが、初代のW201はCクラスではなく「190E」と呼ばれていた。「あっ、小ベンツか」と思いだす人もいるだろう。「190E」は日本では5ナンバー・ボディだったので「小ベンツ」という愛称で親しまれていた。
この「190E」が発表されたのは1982年だったが、日本では1984年頃から市販された。なんとなくバブル経済初期の、心地よい経済成長を「そよ風」のように感じていた時代だったので、退屈な日本車から小ベンツに乗り換えたも人も少なくなかった。しかし、モータースポーツファンには別の意味で「190E」は重要な存在だった。それまで封印していたメルセデスのモータースポーツ活動が復活するきっかけのモデルだったからだ。
当時は年間生産台数5000台という条件を見たすと、グループAというカテゴリーに認定され、ラリーやレースに参加することができた。BMWは2.5L・4気筒の自然吸気エンジンを積んだM3をグループAレースに参戦させた。その結果は世界中で開催されていたツーリングカーレースでは常にトップ争いをする強者であった。
そのM3に挑んだのがメルセデス・ベンツ190Eだった。日本でも2.5L・4気筒の自然吸気エンジンを載せたエボリューションモデルに人気が集まった。私は雑誌やタイヤテストで何百ラップも「190E」でサーキットを走ったが、2.5L・4気筒の「190E]は宇宙一の操縦性と安定性を持っていた。そう、私の口から「宇宙一」の言葉が発せられたのは190Eのことだった。何を隠そう、190EのグループAにはアイルトン・セナもハンドルを握ったことがあったのだ。M3とは一味違った乗り味と操縦性を持つ190Eは、セダンとして使うとその価値が理解できた。
技術的にはアッパーミドルの高級メルセデスよりも先んじて、リヤにマルチリンク・サスペンションを搭載していた。後輪駆動(FR)のリヤ・サスペンションはセミトレーリングが定番だったが、より精密なジオメトリーをコントロールできるマルチリンクは190Eから始まったといえる。その意味でも世界中のライバルメーカーが190Eをベンチマークとしていた。そして今回のW205でフロントの4リンク(マルチリンク)サスペンションを完成させたので、前後のサスペンションにマルチリンクが備わったのである。つまりSクラスと同じシャシー性能が完備されたわけだ。
◆2代目W202
2代目W202は初めてCクラスと呼ばれたモデルだったが、フロントサスペンションがストラットからダブルウイッシュボーンに変更され、コンパクトクラスにもかかわらず多くの先進技術が搭載されていた。ステアリングは当時流行り始めていたラック&ピニオンは採用されず、リサーキュレーションボール方式の古典的なステアリングが採用された。が、しかしこれがメルセデスの伝統的なドライブフィールを醸しだてくれたのだ。余談話しをすると、ダブルウイッシュボーンとは鳥の喉仏の骨の形に似ていることから名付けられたが、その発展形がマルチリンク・サスペンションなのである。
◆3代目W203
その後、3代目のW203は2000年に発表されたが、サスペンションはフロントがストラットに戻るがこれは衝突安全のためだったと聞いている。この頃からBMW3シリーズのスポーティなハンドリングに人気が集まり、Cクラスは退屈と悪評されるようになった。BMW3シリーズを意識したメルセデスのエンジニアの口からは「アジリティ」という言葉が聞かれたのはW203が発表されたころだったと記憶している。伝統的なメルセデスに俊敏なハンドリングは似合わないと思っていたが、このころからマーケティングの意見も開発に取り込まれるようになったのだ。
◆4代目W204
W204は2007年に発表されたが、BMW3シリーズを強く意識してか、パドルシフトなどメルセデスとしては珍しく走る楽しさを追求したモデルであった。エンジンは1.8Lのスーパーチャージャーが搭載され、ターボエンジンはまだ姿を見せていなかった。しかし、伝統的な高級車メーカーが中途半端な形でスポーツ性を意識したために、「最善か無か」という教えは踏襲できなかった。その結果、2011年には2000ヶ所も部品を変更する大規模なフェイスリフトを敢行した。だが、ボディパッケージから新設するべくW205の開発はこの頃にすでに実行されていたという。しかも新型Sクラスの隣のテーブルで新型Cクラスが開発されていたのである。
190Eから数えておよそ30年の年月が経っている。新型Cクラスがどんな名車であろうとも「ローマは一日にして成らず」という諺があるように、Cクラスの完成には長い年月がかかっていた。
◆5代目W205
W205の開発はかなり早い段階からスタートしたと関係者は言う。つまりW204のビッグマイナーモデルが開発されていることから、密かに次期Cクラス(W205)が研究されていた。その後、A/BクラスのFFプラットフォームを巧みに使いCLAというセダンを発表したが、若返りが最重要事項だったメルセデスの目論見は成功し、CLAは世界的にブレイクした。
CLAはアメリカでは80%のユーザーが他ブランドからきている。CLAがCクラスにどのように影響したのかというと、CLAの誕生で、新型CクラスのボディサイズはEクラス並の1810mmに拡張できたのである。
新型Cクラスのエンジンは従来からある直噴ターボを使っているが、2.0LのC250が中心的なエンジンだ。欧州では2.2Lのディーゼルが主力となるが、日米ではガソリンターボが主流だろう。C250に搭載されるガソリンエンジンは世界でもっとも先進的なリーンバーン(希薄燃焼)ターボだ。このエンジンは近い将来に実用化が期待される理想的なガソリンエンジンへの道筋となる技術を持っている。ディーゼルのように同時多発自己着火するガソリンエンジンは、ある意味で究極だ。
ベースモデルのC200はエンジンの出力を抑えているが、ファミリーカーとして使うには十分なパフォーマンスだ。国際試乗会ではC400も試したが、これは3.0L・V6型ターボで450Nmを超えるトルクを絞りだすが、このエンジンは日本にはない。実際に走るとC400は最良のCクラスと言いたいところだが、ここまでのパフォーマンを手に入れるならC63AMGを待ったほうがよさそうだ。ベースモデルのC180は試乗できなかったが、メカニカル・サスペンションと組み合わせるもっともリーゾナブルなCクラスかもしれない。
乗り心地もよくハンドリングも俊敏で、まるで神が降りてきたような新型Cクラスの走りだが、成功の秘密は新開発のフロント・マルチリンクサスペンションと高剛性なボディシェルではないだろうか。新型Cクラスの走りでとくに印象的なのは、ESCを超えたシャシー性能に初めて出会えたことである。
メルセデスは1997年に登場させたAクラスがスウェーデンの雑誌のエルク(へら鹿)避けテストで、横転するリスクがあると指摘された。すぐにそのことを認め、2500台あまりのAクラスをリコールした。対策はESPをFF車に全車標準装備するという英断だった。それから17年、ダブルレーンチェンジのトラウマがあるメルセデスは、ESPを強めに利かせるセッティングでエルク避けテストで優秀な成績を得てきた。しかし新型Cクラスは基本性能で従来のESCの安定性の約70%をこなしている(筆者のイメージ)。
また予防安全でも新しい基準ができたようだ。メルセデスが昔から主張してきた安全の一丁目一番地は自動ブレーキにあらず。その前段階で機能する警報やブレーキアシストが重要なのである。ドライバーの下僕となり、ドライバーが安全運転できる環境を整える。ここにメルセデスの安全思想が存在する。もちろん、視界性能・ドラポジ・ペダル配置も基本中の基本だ。
筆者は17年もの間、メルセデスを保有しているがドライバーにおける最善の安全策は、メルセデスのステアリングを握り、公道では決して運を使わないことだと思っている。1997年にはESPつき4MATICのEクラスを買ったが、その結果、実に多くのことを学ぶことができた。メルセデスは「本当の自動車とは」を教えてくれる先生なのである。