【舘さんコラム】2020年への旅・第28回「次世代車をめぐる旅その7 番外編 東京モーターショーに見る資本主義の終焉」

前回のつづき

◆EVの資本主義化
ただ、欧州勢の戦略に誤りがなかったというと、そうではない。ディーゼルの排ガス問題だ。

欧州の環境委員会は、排ガスによる健康被害よりも、CO2による地球温暖化の悪化を重視した。そして選んだのが、排ガスは多いが燃費が良く、したがってCO2の少ないディーゼルであった。だが、その結果、パリ、ロンドン、ミラノといった主要都市が大気汚染に見舞われ、ディーゼル車の優遇策が政治問題化するに至っている。

欧州の大半の自動車メーカーは、90年代に排ガス問題を解決し、2000年以降はCO2を削減し、やがて代替燃料に移行して脱石油化を図る戦略であった。しかし、現在の主要都市の大気汚染は、排ガス問題が解決していないことを示している。彼らは、原点に戻って自動車問題を一から解決しなければならない。

トヨタの燃料電池車FCV PLUS
トヨタの燃料電池車FCV PLUS

一方、からくも排ガスによる大気汚染問題を回避できたかに見える日本車も、ガソリン直噴エンジンのPM2.5問題に直面している。吸気管に噴射するポート噴射式に比べると直噴はPM2.5が10倍も多いという研究結果が出されたのである。もちろん、これは欧州勢の課題でもある。

こうした大気汚染問題に対してプラグイン・ハイブリッド車が無関係であるわけではない。電池の性能とコストが折り合えば、早急に純電気自動車に移行しなければならない。

そうした近未来を先取りしたのが、日産と三菱であった。ネガティブキャンペーンによって作られた「電気自動車は航続距離が短く、充電に時間がかかるから使えない」という都市伝説を覆そうと、電気自動車の資本主義的進歩拡大を発表した。

日産は、コンセプトカーのリチウムイオン電池の電力量を60kWhとした。現行リーフが24kWh、マイナーチェンジするリーフで30kWhである。世界一の航続距離を誇るテスラ・モデルSに匹敵する電力量なのだ。この60kWhの電池はおそらく17年にフルモデル・チェンジされるリーフに搭載されることになるだろうが、その場合、車体の改良等もあって航続距離は600kmに及ぶと考えられる。

日産自動車マイナーチェンジを受けて280kmに航続距離を伸ばした新型リーフ。EVは軽薄短小で脱資本主義型自動車である。つまり自動車産業革命の起爆剤なのだ
日産自動車マイナーチェンジを受けて280kmに航続距離を伸ばした新型リーフ。EVは軽薄短小で脱資本主義型自動車である。つまり自動車産業革命の起爆剤なのだ

市販されたことで燃料電池車のMIRAIの実燃費が明らかになっている。650kmというカタログ値に対して実燃費は400kmほどである。燃料電池車関係者は、「電気自動車は航続距離が短いのだから街中だけ走っていればよい。長距離は燃料電池車の守備範囲だ」と豪語していたが、どうやら逆転する日も間近である。

いや、60kWhに電力量を増量したこの電池は、現行のリーフにピッタリ収まる。その気になれば現行リーフですぐにでも600kmの旅が可能なのだ。

三菱は、航続距離が400kmのSUVのコンセプトカーを発表した。純電気自動車である。相川社長は電池のエネルギー密度が2倍なったので可能になったという。つまり、この先進電池は同じ重さで現行電池の2倍の電力量を蓄えられるということだ。早くもアウトランダーPHEVの後継者登場である。

三菱自動車純EVのコンセプトカー。航続距離400kmと例のネガティブキャンペーンである「EVは航続距離が短いから…」という都市伝説を覆す戦略に出た
三菱自動車純EVのコンセプトカー。航続距離400kmと例のネガティブキャンペーンである「EVは航続距離が短いから…」という都市伝説を覆す戦略に出た

プラグイン・ハイブリッド車は、モーターとエンジンのパワーを合わせた圧倒的な「速さ」という資本主義的価値観で、電気自動車は「より遠くへ」という資本主義的価値観でマーケットを獲得しようとしている。

一方、電気自動車のユーザーは、もともと環境意識が高く、環境に配慮したライフスタイルを見につけた人たちが多い。あるいは電気自動車のユーザーになると、こうしたライフスタイルに目覚める人たちが多い。彼ら、彼女らは、資本主義的価値観からは距離を置いているので、「速い」ことにも、「遠くまで走れる」ことにもたいして興味を持たない。

現行の電気自動車の性能に合ったライフスタイルを選ぶ。現状の生活をそのままに「電気自動車はあれが足りない、ここが不便だ」というのではなく、電気自動車の現状に自分たちのライフスタイルを合わせるのである。つまり彼ら、彼女らは、脱資本主義的価値観を身に付けつつあるということだ。次に具体的にはトヨタとホンダを見てみよう。

◆燃料電池車という資本主義
電気自動車以上に資本主義的価値観で未来の進路を拓くのは、燃料電池車である。トヨタとホンダのみが展示していた。

ホンダ燃料電池車クラリティ。これも自動車資本主義の賭けである
ホンダ燃料電池車クラリティ。これも自動車資本主義の賭けである

資本主義の骨格を形成するのが近代的価値観である。その一つに平等がある。そしてここに拡張主義が重なると、世界の均質化が起こる。世界中を同じもので覆うのである。これが可能になれば、大量生産の効果が倍加する。どの国でも、どの地域でも、どの民族でも同じものが売れるからである。

このような画一化された世界への希求の現れの一つがヨーロッパの統合=EUであり、TPPであり、グローバリゼーションだ。

グローバリゼーションで勝ち残るには、巨大なマーケットを一網打尽にできる巨大な企業になることだ。同じものを大量に生産する効率は、大きいほど高い。さらに独自の技術を持つことが一企業による独占を可能にする。誰もが容易に追いつけない技術の開発である。そこに燃料電池車がぴたりとはまる。

一方、電気自動車は、そこそこの技術と人的資源と資本があれば、(テスラのように)容易に飛び立てる。その意味では、初めから脱資本主義化している。しかし、燃料電池車はそうではない。開発が困難な技術の集積である。そのことで、途上国の自動車メーカーはもとより、老舗の自動車メーカーも容易には燃料電池車を開発できず、したがって独占が可能である。

近代資本主義の特徴は、重厚長大である。

燃料電池車は巨大な燃料供給のインフラが必要である。まさに近代資本主義そのものなのだ。重厚長大とは資本も巨大で、費用も莫大な大プロジェクトとなり、多くの企業が潤い、雇用が拡大する。成長が見込まれるので、政府の補助金も注がれ、官僚の天下り先も多く設けられ、官民みな幸せになれる。

まさに資本主義の見本だが、ダム工事、河川の改修、道路建設、鉄道建設など、この日本ではすでに重厚長大なプロジェクトはすでに終わって久しい。だから燃料電池車は、企業はもとより官僚にも希望の星なのである。ちなみに電気自動車は家庭のコンセントで充電するのが基本的なエネルギー補給方法だ。軽薄短小なインフラですむというより、すでにインフラは整っている。

かつての資本主義の形そのものを踏襲しようとする燃料電池車は、重厚長大であるがゆえに普及までには30年、40年の年月が必要である。

しかし、その間にも排ガス規制もCO2規制も強まり、ハイブリッド車だけでは規制をクリアできず、プラグイン・ハイブリッド車にも早々の退出が勧告される。これらに替わって燃料電池車の普及までをつなぐ次世代車が必要である。トヨタもホンダも、東京モーターショーではここに対する戦略を見せてはいなかった。

トヨタの燃料電池車レクサスFCV。トヨタは重厚長大型自動車資本主義にこだわりをみせる
トヨタの燃料電池車レクサスFCV。トヨタは重厚長大型自動車資本主義にこだわりをみせる

◆ハイパーモダンな「WOWS」
近代=モダンの究極は、世界中が同じ景色になることだ。平板で単調な画一化された世界である。人々はTシャツと短パンにゴム草履という出で立ちで、世界共通のファストフードであるハンバーグを頬張る。こうした世界は近代を超越したハイパーモダンだ。

そうした世界では、もうモノには興味はなく、コトにも飽きて、驚くことが希少価値となる。なぜならあらゆる家具が便利になり、ロボット化し、人間はただふらふらと生きていればよい。だから、驚くことが最高の価値なのである。

その世界では、自動車はもちろん電動化された自動運転車だ。音もせず、匂いもなく、運転の喜びもコンピュータに奪われ、驚きはもうない。自動車における資本主義経済の終焉だ。

だから驚きこそがこれからの自動車に求められる最高の価値なのだと言ったのが豊田章男社長であった。「WHAT WOWS YOU!」である。この言葉こそが、現代の自動車が置かれた状況をもっとも端的に表していた。今回の東京モーターショーの最大の収穫であった。けだし名言である。

COTY
ページのトップに戻る