ヨコハマタイヤはFIA、WTCC(世界ツーリングカー選手権)への入札で権利を獲得し、2006年からタイヤ供給がスタートした。供給が確定するまでのプロセスには意外な事実や驚きの真実があり、これまで3回にわたりお伝えしてきた。予期せぬものに対し、ヨコハマは技術面、ソフト面においてもどんどんとクリアしてきたわけだが、今回は技術面にポイントを絞り、お伝えしよう。
FIA世界ツーリングカー選手権(WTCC)にタイヤをワンメイク供給することが決定したのは2005年7月。2005年にFIAの世界選手権レースとして発足したWTCCは、従来のヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETCC)を継承・発展させたレースで、タイヤはワンメイク供給とされており、2005年の初年度は他社が供給した。しかし2006年度用は公開入札となり、ヨコハマタイヤは応札した。
FIAへの入札の結果、タイヤそのものの技術的な性能承認はFIAが行なっている。そのためタイヤに要求する耐久性、耐摩耗性などもFIAが決めた性能基準をクリアする必要があった。しかも短期間に開発をする必要があったため、開発プロジェクトはスペシャルチームとして2005年夏に社内で立ち上げられた。そして同年末までに2006年用のタイヤの技術承認を受けるという過密なスケジュールのもとWTCC用のタイヤ開発が始まったのだ。
◆想像を超える、レベルの高い性能要求
WTCCへタイヤを供給するということは、ヨコハマタイヤにとって初のFIA世界選手権レースへのワンメイクタイヤ供給であり、世界規模で転戦するレースというのも初めてだった。また、このプロジェクトはグローバル規模でヨコハマタイヤ・ブランドを訴求する重要な意味を持っているため、WTCCタイヤ開発は企画部門、技術部門、製造部門、物流部門まで含めた大規模なプロジェクトとなった。
ヨコハマタイヤのレース・タイヤにおける歴史はツーリングカー用タイヤからスタートし、その後はマカオ・ギアレースや、ETCC用のタイヤ開発など、ツーリングカー用レースタイヤ技術の蓄積はアドバンテージを持っていると見ていいだろう。こうした技術をベースにしてWTCCタイヤの開発に挑んだのだ。
開発当初は17インチ・サイズで、タイヤの形状(モールド:金型)、タイヤの構造、コンパウンド(ゴム材料の配合)などは日本のスーパー耐久レース用のタイヤをベースにスタートしている。しかし、同じツーリングカーとはいえ世界選手権という土俵では、国内耐久レース用の構造、コンパウンドともに通用しないことは予測できた。
考えてみるとその理由として、WTCCマシンは国内スーパー耐久マシンと同等の参戦車よりハイパワーであり、対地キャンバー変化の少ない、より優れたサスペンション・ジオメトリーを持ち、同等のサーキットで走ったと仮定すればスーパー耐久マシンよりはるかにラップタイムが速く、タイヤに対する負荷も大きく、タイヤ性能を使い切っていることがあげられる。
今年10月25日、26日に鈴鹿で開催されるWTCCは、そのスーパー耐久と併催されるので、その違いを目の前で感じ取れる機会がある。
WTCC用のタイヤは、規則によりドライ用、ウエット用がそれぞれ1つのスペックで、しかも全サーキットに適合する必要がある。さらに前回までのレースで使用したタイヤのうち2セットは、次のレースのプラクティスなどに使われる。WTCCは2ヒート制であり、レースが行なわれる週末で使用できる新品のドライタイヤはわずか3セットに限定される。したがってタイヤに求められるレース距離の60kmが持てばいいということではなく、さらに次のレースでのプラクティス走行にも使用できるように、トータル175kmをレーシングスピードで走行できる耐久性をFIAは求めているのだ。
もちろん、各メーカーのマシン、FF、FR車に適合でき、さらに気温、コースコンディションがまったく異なる各サーキットでもハイパフォーマンスを発揮し、FIA世界選手権レースにふさわしい高いパフォーマンスが発揮できなければならない、という厳しい条件が課せられているのだ。
◆スペシャルチームの誕生
「こういう状況に直面しましたが、タイヤのグリップ力を落とせば耐久性は高まりますが、それではタイヤのパフォーマンス・レベルは下がってしまいます。ですからタイヤ全体のパフォーマンスを引き上げる方向で開発を進めることにしました」と開発当初から現在に至るまで開発に携わる、ヨコハマ・モータースポーツ・インターナショナル株式会社 開発本部の渡辺晋氏は語る。
そのため、開発エンジニアだけで数十人体制という大掛かりな規模で体制が組まれ、より高い性能のタイヤを求めて試作をし、台上試験機での試験、性能確認を行ない、そしてまた試作するという繰り返しで開発が始まった。期間としては3ヶ月足らずというきわめて短いハードな開発となった。渡辺氏によれば、一般的なレーシングタイヤの開発の3年分くらいの試作、評価の工数を費やしたという。どれほど集中的に、大規模な開発が行なわれたかがわかるエピソードだ。
2006年シーズンのためのタイヤ開発期限が迫る2005年11月、バレルンガで再びテストが行なわれた。そして、このテストでは開発チームが設定するタイヤの性能、耐久目標に到達することはできた。がしかし、時期はすでに冬季に入っており、FIAのWTCC担当者はこのバレルンガのテスト結果は良好でも、高温下での性能が実証されていないと判断したのだ。
そのため、急遽、夏季となる南半球、12月の南アフリカ、カイラミ・サーキットで追加テストを行なうこととなった。そこにはWTCCに参戦している4メーカーのレーシンカー、サービススタッフ、そしてこの最終テスト用のタイヤが急遽、南アフリカに送り込まれたのだ。
高温下で、しかも滑りやすい路面のこのサーキットで、FIAが指定する175kmを走り込むと、摩耗は厳しく、走行後のタイヤはもう限界であった。だが、FIAの定める性能目標はクリアしており、その結果ヨコハマタイヤはWTCCにタイヤ供給することが正式に決定することになった。
「その正式採用の連絡を受けたのは、テストを終えて成田空港に着いたときでした。さすがに短期間で開発してきただけに、空港にもかかわらずスタッフ達は大声を出して喜び、抱き合い、万歳をしました」と渡辺晋氏は懐かしげに思い出を話す。苦労が報われた瞬間だ。
◆構造とコンパウンドの見直し
WTCC用のタイヤ開発のプロセスを見ると、当初は耐久性が要求性能に届かなかったためもあって、サイド補強やカーカスコードのアングル選択なども含めてタイヤの構造を固める方向で開発を進めていた。しかし、テストを繰り返し、研究を重ねた結果、タイヤの構造における「しなり」や変形を許容しつつ、耐久性とグリップ力を得るというコンセプトにたどり着いている。ただし、最終仕様は補強ベルトやインナーシールなど、構造を支える部材は0.1mm単位の精度で専用チューニングが行なわれ、全体的な精度を上げることで性能アップという結論に達している。
一方、トレッドゴムの配合は耐摩耗性とグリップという相反性能を両立させ、しかも気温に対する許容範囲が広く、レース車両ごとによっても大きなグリップの差がでない、という難易度の高いコンパウンドが開発されている。季節、気温だけではなく、摩耗が進行しても大きくグリップ力がダウンしない、タレないという、いわば純粋なレーシングタイヤの性能を持ちつつ、それらより、はるかに許容範囲の広いタイヤとなっているのが大きな特徴である。
その奇跡的なレーシングタイヤは耐摩耗性が高いにもかかわらず、面圧が低く、路面のミューが低い状態でもゴムにヒステリシスを与えることで高いグリップ力が発揮できるという、まさにヨコハマの技術ノウハウが盛り込まれたコンパウンドを開発し、レーシングタイヤに活かされているわけだ。
タイヤのトレッド部からショリダー部にかけての微妙な曲率などもWTCC専用に設定されている。そして、それぞれのスペックは極めて厳密に指定され、この数値でなければ目指す性能が発揮できない、といった精密なスペックにまで到達した。
このWTCC専用に開発されたスペシャル・コンパウンドは、非常に安定した性能を発揮するため、その後は他の市販レーシングタイヤにも採用されるようになり、さらにまたこうして開発されたWTCC用タイヤの技術ノウハウは、市販高性能ラジアルタイヤのフラッグシップ、アドバンスポーツV105 やアドバンネオバAD08Rの構造、コンパウンドにもダイレクトに生かされているのだ。
このようにしてFIAによって承認されたWTCC用のタイヤは、年間を通じて、つまりどのレースでも同一スペックでありFIAのポリシーに従い、その後のシーズンもスペック、コンパウンドを変えていない。工場でも安定した生産精度でWTCCタイヤを製造し続け、世界各地で開催されるWTCCレースに供給されているのである。まさに、WTCCがエキサイティングで観客を魅了するレースとして支えられているのは、ヨコハマタイヤの存在がなければ成立しないだろう。
そして2013年、新たにWTCCは大きく変貌を遂げる事件が起きた。それは2014年シーズンからのマシン・レギュレーションの変更である。マシンが変わればタイヤも変わる。この続きは次回から。