最高速度120km/hの実現も間近!高速道路を考察

雑誌に載らない話vol199
日本の自動車用の高速道路は1963年、名神高速道路の栗東インターチェンジ〜尼崎インターチェンジ間(71.7km)の開通によって幕を開けた。クルマが100kmで疾走できるということは、当時の大ニュースとなり、前日の7月15日には名神開通記念として記念切手が発行されたほどだった。

オートプルーブ コラム 高速道路走行イメージ

■名神、東名、中央高速の開通

1965年(昭和40年)に、小牧IC〜西宮ICの全線が完成し、これまで名古屋〜阪神地域間は自動車で5〜6時間を要していたが、一挙に2時間ほどで結ばれることになった。もっとも当時の日本車は100km/hで安定して巡航できたわけではないのだが、舗装状態が悪く、あるいは未舗装路の国道も多い道路事情の中でせいぜい40〜50km/hで一般道を走っていた状況を考えれば、夢のような道路が登場したわけだ。

名神高速の開通時に登場したトヨタのトヨペット・コロナ(RT40系)が、性能と耐久性をアピールするため小牧〜西宮間で10万km連続高速走行公開テストを行ない、58日間で276往復走行している。

オートプルーブ コラム 名神高速道路標識

名神高速道路の設計にあたっては、ドイツのアウトバーンの設計技師を招聘し、そのアドバイスによってインターチェンジの形状の採用や、周囲の地形に調和するようにクロソイド曲線を採用するといったことが実現している。

東京〜名古屋を結ぶ東名高速は1969年に全線開通し、日本の道路の大動脈が完成した。また東名高速と着工を争った中央道は、1982年に東京〜名古屋(小牧IC)が全線開通した。ただし中央道は東京近郊を除き最高速は80km/hに設定されている。

現在では、東名高速のバイパスとなる新東名が御殿場〜豊田JC間で開通し、新名神高速も部分開通するなど新しい高速道路も完成しつつある。

日本の高速道路は、1966年に国土開発幹線自動車道建設法が成立され、中央、東北、北陸、中国、九州の縦貫5道を軸に、全国の都道府県を結ぶ32路線7600kmの高速道路網が計画された。

その後、1987年に修正変更が行なわれ、第4次全国総合開発計画として高速道路43路線:1万1520km、一般国道の自動車専用道路2300km、本州四国連絡道路180kmの高速交通網から成る全長1万4000kmの高規格幹線道路網が決定している。

オートプルーブ コラム 東名高速道路標識

その一方で、名神、東名、中央道など他に先駆けて開通した高速道路は施設の老朽化、舗装の劣化が進行しており、これらの改修・保全も記念の大きな課題になってきている。

■アメリカの高速道路

自動車大国のアメリカでは1907年にニューヨーク州の一部区間で高速道路が建設されたが、本格的には第2次世界対戦後の1956年連邦補助高速道路法により、全長約6万5000kmの州間高速道路(インターステーツ・ハイウェイ)網を、250億ドルの資金を投じて、10年の期間を費やして整備することになった。

この巨大プロジェクトは計画から35年後の1991年に完了。整備費用も計画当初に見積もられていた250億ドル(2.8兆円)を大幅に上回り、最終的に1140億ドル(12.6兆円)を費やしている。州間高速道路の総距離は6万8500kmで、全線が片側2車線以上の原則無料高速道路(都市部近郊は有料区間が多い)になっている。

オートプルーブ コラム アメリカ インターステーツ・ハイウェイ網
全米を網羅するインターステーツ・ハイウェイ

インターステーツ・ハイウェイの最高速度は郊外では70マイル(113km/h)、無人の地域では80マイル(129km/h)、都市近郊有料道路部は75マイル(121km/h)〜85マイル(137km/h)、大都市部近郊は55マイル(89km/h)となっている。

■イタリアのアウトストラーダ

意外にも本格的な高速道路を最初に建設したのはイタリアで、1924年にミラノ近郊に完成している。現在では、イタリア全土に拡大され、ドイツのアウトバーンとも接続している。アウトストラーダは有料道路で制限速度は130km/h。

オートプルーブ コラム イタリア・ミラノ近郊のアウトストラーダ
1924年に開通したミラノ近郊の高速道路

■ドイツのアウトバーン

日本でもその名がよく知られているのがドイツのアウトバーンだ。アウトバーンは、無料、速度無制限で知られているが、現在、トラックは有料で、速度無制限区間は半減しており、場所により80km/h、100km/h、130km/hなどの制限速度が設けられている。また速度無制限区間でも状況により速度制限がかけられる場合も少なくない。しかし、日本の高速道路に比べ遥かに快適で走りやすい高速道路であることは間違いない。

オートプルーブ コラム ドイツ・アウトバーン網
アウトバーン

アウトバーンの総延長は約1万3000kmで、近諸国の高速道路とも接続されているのが特長で、ドイツだけでなくEU諸国との国際道路でもある。

アウトバーンの構想はワイマール共和国時代に構想され、1921年にはベルリン郊外にアヴスと呼ばれる専用道路が建設され、1932年には、ケルン〜ボン間の道路が完成した。しかしアヴスは9km、ケルン〜ボン間は35kmと距離は短かった。

オートプルーブ コラム アウトバーン標識
アウトバーンを示す道路標識

1933年にナチスが政権を獲得し、不況や多数の失業者対策として巨大公共事業としてのアウトバーン建設が開始された。失業者を雇用する公共事業で、耐摩耗性に優れ、航空機の発着もできるコンクリート舗装を採用。アウトバーンの建設には労働者以外に、国家労働奉仕団で6か月間無償での労働奉仕が義務付けられた青少年が参加した。

アウトバーン建設の担当部署、道路総監となったトート技師(後の国家建設事業を担当するトート機関の責任者)は、単純な直線の高速道路ではなく、クロソイド曲線を用いた緩やかなカーブのライン設定や、近代的で周囲の風景に調和する橋や高架橋のデザインを取り入れるなど、後の世界各国の高速道路設計の基本を作り上げた。

なおアウトバーンは舗装(戦前はコンクリート、戦後はコンクリート+アスファルト)の厚みが平均75cmと厚く、その結果として各国の高速道路に比べ圧倒的に耐久性が高い。ちなみにアメリカのインターステーツ・ハイウェイでも舗装の厚さは30cm、日本は20cm程度で、最新の新東名で30cmとなっている。

建設された当時のアウトバーン

アドルフ・ヒトラーは完成したアウトバーンを、労働者など一般庶民が国民車(フォルクスワーゲン・ビートル)で100km/h巡航し、レジャーを楽しむために利用する道路と位置付け、ドイツ国民に約束している。だが、アウトバーンが完成し、ビートルのプロトタイプも完成したものの戦争に突入したため、終戦後まで庶民がビートルでアウトバーンを走ることはできなかった。

■日本の高速道路の最高速度見直し

さて、2016年3月、警察庁は現在の高速道路の最高速度100km/hについて、安全性の条件を満たす区間に限り120km/hへの引き上げを認める方針を決めた。この速度規制については以前から有識者による諮問会議が繰り返されてきたが、一般道路での速度規制に加え、高速道路の最高速度も引き上げることになったのだ。

計画では新東名の一部区間と東北道の岩手県内の区間で、速度引き上げテスト運用を行なう方針だ。こうした制限速度の見直しは、実際にクルマが走っているスピード(実勢速度)と制限速度の隔たりを解消しようという理由だ。なお高速道路で速度が120km/hに引き上げられるのは乗用車で、トラックは80km/hのままだ。

また、一部には慎重論もあるため、当面の試験運用は制限速度110km/hとし、将来的に120km/hに引き上げる方向だ。こうした方針が決定しているものの、実施が遅れているのは、120km/hまで対応でき、さらに状況により制限速度を低下させる可変表示の道路標識の準備など、該当区間での設備改修の準備に手間取っていることと、実際の最高速度の変更は各県の公安委員会が決定を行なうため、必ずしも一斉に変更されるとは限らないなどの事情で、早くとも2018年以降となりそうな気配だ。

オートプルーブ コラム 日本の高速道路網

■海外の高速道路の最高速度

海外に目を向けてみると、ヨーロッパ諸国は120〜130km/h、アジアでも中国、韓国はいずれも高速道路は120km/h制限で、日本での120km/h制限の導入はようやくという感じがなくもないが、日本で実際に120km/h制限が採用されるのはまだしばらく先になりそうだ。

おもしろいことにイタリアでは現行の130km/hから150km/hに引き上げる案も登場しているが、さすがに現在の社会環境事情では反対意見も多く、案にとどまっているという。

いずれにしても高速道路は、現代の社会にとって無くてはならない社会基盤であり、いかにストレスなく、快適に走れるか、ということはもちろん、渋滞を抑制し無駄な燃料消費を抑え、より安全に走れるように整備できるかどうかは大きな課題になっている。

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