また東南アジアでは、クルマ同士のコミュニケーションにクラクションを鳴らすことが多用されるので、鳴らされる方はストレスが大きいはずだが、流石にそうした交通環境ではドライバーも慣れてしまうのかもしれない。
いずれにしても、自分が悪意を持って妨害された、というような状態で頭に血がのぼり、正常な判断ができず、「やられたから、やり返せ」となるのがあおり運転の引き金なのだ。
しかし、例えば混雑した駅の構内通路などで、思うように歩けない、横切る人と体が接触しそうになるようなケースで、いきなり相手に突っかかる人はめったにいない。
クルマに乗っていると、自分はクルマと一体であると感じ、さらにクルマは密室空間であるため、自分の顔や名前を特定される心配のない安全圏にいると錯覚するからだといわれている。またこうしたドライバーの怒りの感情は、交通状態が混雑した状態で発生しやすいが、ドライバーの性格などはあまり関係ないといわれている。ドライバーなら、誰もが怒りの感情を持つ可能性があり、攻撃的になる可能性があるのだ。
無理な追い越し、強引な割り込み、クラクションやハイビームを浴びせる、幅寄せ、ウインカーを出さないといったクルマに遭遇するとドライバーは自分を無視、攻撃、悪意のある運転だと感じるわけで、強いストレス症状が発生する。
交通の現実
このように考えると、あおり運転は今に始まったわけではなく以前から存在する現象だ。ドライバーが自分の思い通りに運転できない状況で、自分が攻撃された、悪意のある運転をされたと感じた場合に怒りの感情が爆発し、報復手段に訴えるのがあおり運転となる。
ドライバー側から見て、苛立ちや怒りを発生させないためには、急がないという気持ちの持ち方が一番有効だろう。混雑し渋滞した道路で、自分の意志通りに走れない状況では、急ぐのを諦める、という気持ちの切り替えが最も重要だ。
また、一方で、高速道路の追い越し車線をゆっくり走り続ける、周囲を確認しないでいきなり車線を変更する、強引な割り込みをする、夜間に前走車がいるにもかかわらずハイビームで追従する、といったようなドライバーはどの時代になっても存在する。
それは自己中心的というより運転スキルが著しく低い、周囲の交通状況を確認する余裕がないなどが原因であることがほとんどだろう。
あおり運転を起こさないためにも、あおり運転の被害を受けないためにも、交通状況の広い視野での観察や、心の余裕を持つことが何よりも大事である。