2022年シーズンのスーパーGT最終戦の第8戦がモビリティリゾートもてぎで行なわれた。SUBARU BRZ GT300は、第7戦を終えた時点でシリーズドライバーランキングは2位。トップとはわずか2.5点差。優勝は20点加算されることからも、そのポイント差が僅差であることがわかる。
もちろんチーム全員がシリーズチャンピオンを目指して戦っているが、今季はスーパーGT300クラス史上初となる2年連続チャンピオンがかかっているので、より一層気合が入っている。それは、なにもチームだけではなく、部品を供給するパーツメーカーもチャンピオンを欲しているのだ。
小耳に挟んだ情報では、前戦のオートポリスが終わったあと、ダンパーメーカーのオーリンズから最終戦に向けて、ニューパーツの提案があったというのだ。
マニアであればご存知と思うが、BRZ GT300は主にブレーキング時のリヤのリフトを抑えるために、サードダンパーを装備している。そうすることで常にリヤの接地荷重とノーズのターンインの関係を探っているのだが、その関係性によってアンダーステアやフロントタイヤに過度の荷重がかかるとか、リヤのリフトを抑えるとノーズが入らないといったダイナミック性能の関係性の模索をしている。
そこへオーリンズから「新しい設計のサードダンパーができたので試さないか」という提案があったという。具体的には縮み側と伸び側で極端に減衰の異なる特殊な仕様のダンパーだというのだ。これは試してみる価値は高いと判断し、土曜の公式練習でテストしドライバーからのフィードバックで判断しようということになったのだ。
いつも通りのスタンバイ
チームは金曜日に最終戦の会場となる栃木県茂木町のモビリティリゾートもてぎに到着した。
この日は走行がなくマシンのチェックをすすめつつ、さまざまな準備に取り掛かる。2年連続のシリーズチャンピオンを狙うというプレッシャーがある中、チーム員はいつもどおりに、各自の担当エリアを淡々と確実にこなしていく。
ドライバーも金曜にサーキット入りをし、午後のチームミーティングに出席する。
サーキットに到着したばかりの山内英輝は、笑顔でスタッフひとりひとりに声をかけ「よろしくお願いします」と挨拶をしてまわる。まだチームユニフォームに着替える前、黒のヨットパーカーにデニムを合わせた爽やかな青年、そんな印象を与える山内に声を掛けた。
「オーポリ(オートポリス)からだいたい1ヶ月あったので、ジムトレーニングも目のトレーニングもいつも通りやってました。でも頭の中にはいつも『最終戦』があって、トレーニングもついついやりすぎてました。おかげで、体脂肪率もこれまでにないくらい絞れちゃって、いいんだか、悪いんだかわからないですけど、なんか落ち着かないんですよね」と屈託のない笑顔で話す。
最終戦を楽しみにしている、やってやるという意気込みが笑顔からも伝わってくる。そんな立ち話をしていると井口卓人も現れた。
「僕は他のレースとかもあって、なんかバタバタしてました。あっちこっちへ行くことが多くてお陰様で忙しくさせていただきました」といつもの笑顔が返ってきた。
昨年も最終戦でチャンピオンが決まるという展開で、その時は、チーム全員がチャンピオンを経験したことがないので、金曜日の段階から「いつものように、いつも通りに」と念仏を唱えるかのように心の中で念じながら作業していた。なんとなくギクシャクとした空気になっていたことを思い出す。今年は、チャンピオンを獲得したことが自信になったのか、そこまで緊張しているようには見えず、「いつも通り」の作業風景があった。
土曜の朝
土曜日。
朝の公式練習でセットアップを決めて行く。提案のあったサードダンパーも試している。
そして、旋回性をより高めるためにリヤのジオメトリーの変更も行なったと小澤総監督は話す。「リヤのグリップを高めつつノーズの入りをよくして旋回性を上げる方向にしました」といつもの表情で話す。
小澤総監督は、常にアイディアを、アイディアを、とデータを見つめ研究している。だいたいが二律背反になるこの世界で、両立させることができれば、ひとつのブレークスルーに繋がるわけで、その積み重ねが今季のBRZ GT300の速さでもあるのだ。
今季のマシンは前年度チャンピオンということで、エンジン出力が4%も絞るBoP(性能調整)が課せられ、さらに50kgのBoPウエイトも搭載している。ところが、その条件でもポールポジションの獲得や優勝することもできたので、シーズン途中ながら、さらに25kgのウエイトを追加搭載の指示があり、結局BoPウエイトは75kgを搭載している。
そうしたハンディキャップを背負いながらもポールポジション、表彰台を目指すには速く走るためのアイディアが必要というわけだ。R&Dスポーツのトラックエンジニア井上氏に話を聞くたびに「なんか考えます」という言葉が出てくるのもそうした事情がある。
好調だった公式練習
公式練習。
いつもはタイヤとのマッチングに苦労するものの、今回は比較的容易にマッチした様子。提案のあったサードダンパーも試す。そのためにピットインの回数も多いが、計測13周目には全体2位のタイムを山内がマークしていた。
一方、ランキングトップの56号車GT-R GT3はコースレコードを記録するなど、ライバルも好調で、予選、決勝ともに激しい争いが起こることが想像できた。公式練習ではヨコハマタイヤを履くマシンが上位に多く、上位8台中ブリヂストンは65号車のAMG GT3だけだ。またダンロップ勢ではBRZ GT300のほか96号車RC-F GT3の2台という結果だった。順位としてはBRZ GT300は3番手。トップはポイントリーダーの56号車である。ちなみにオーリンズの新サードダンパーは採用決定をした。
誰も予想していなかった予選結果
予選。
Q1予選は井口がB組で走る。ソフトタイヤを履いてタイムアタック。
コースインしてから1周のウオームアップをとり、2ラップ目からアタックを開始する。
1分46秒133をマークする。
これはA組のトップタイムが1分45秒939なので、かなり上位のタイムだった。さらに井口はアタックを続け、2アタック目には1分45秒863をマーク。トップに立った。
午前中の公式練習で山内が出した3番手のタイムを上回っている。
調子はいい。これでQ1突破は確実だ。その後ポジションは2台に交わされ3番手に落ち着いた。
井口はピットに戻り山内にバトンを渡す。
山内はいつものように予選開始10分前から準備を始める。
フェイスマスクを被り、丁寧にマスクの裾をレーシングスーツの中へ仕舞い込む。
ヘルメットを被り、ハンスを装着する。
そしてシューズ裏の油分を取るためパーツクリーナーで靴裏を拭い、終わるとルーフに手を当て数秒間、目をつぶる。
マシンと何か語り合っているのか、目を閉じながら指先でルーフをトントンとする。
そしてマシンに乗り込む。
視線は真っ直ぐに前を向く。
宍戸メカの親指が立つのを待つ。
GOサインが出た。ゆっくりと山内はピットアウトしていく。
コースインした山内は井口と同様に2ラップ目にタイムアタックを開始。
セクター1では早くも井口のタイムを0.115秒上回った。セクター2も0.264秒速い!そしてセクター3でも0.173秒速い。
ここまでで0.552秒速い。残すはセクター4のみだ。
「これはとんでもないタイムが出そうだ」とピット内では固唾を飲んでモニターを見つめる。
最終コーナーにBRZ GT300が現れた。
左旋回からのラスト右コーナーを立ち上がる。ややアウトに膨らみ縁石をまたぐ。
その瞬間BRZ GT300のノーズは大きくインに向き、コンクリートウォールに向かった。
山内はマシンを立て直そうとするが回転するBRZ GT300は止まらない。タイヤからは白煙があがり、ホームストレートを斜めに滑って行く。
そしてBRZ GT300はリヤからウォールにヒット。マシンは止まった。
数秒後、山内は無線で「みんなごめん、やっちゃった」と。うな垂れる山内。
レスキュー隊員がポストから駆けつける。
マシンを自ら降りBRZ GT300に謝る姿がモニターに映し出される。クラッシュした部位を確認しながら、マシンを撫でる。
そこには愛機に謝り続ける山内が映っていた。
幸いにも山内に怪我はなく、そのまま歩いてピットに戻った。マシンを修復できるのか、何が必要なのか、メカニックがチェックをする。その傍らに山内は立ち尽くす。
自己嫌悪と戦いながら、そして愛機へ謝罪する姿は見ていられないほど嘆き悲しんでいる。
予選結果は16位。
ピットにキレイなBRZ GT300
チームは夜を徹してマシンの修復作業に入った。傍らで修復を見つめる山内がいる。壊してしまった悔恨があるのだろう、ピットから離れられない。その様子を見たスタッフに促されピットを後にした。
翌朝、ピットへ行ってみると何事もなかったかのように綺麗なBRZ GT300があった。
宍戸メカに聞けば「4時ごろまでかかりました。ホテルに戻ってシャワー浴びて寝ようとしたら出発の時間でした(笑)」と疲れているのだろうが笑顔で接してくれる。
見た限りアクシデントがあった形跡は微塵もない。あとは決勝で予選の走りが再現できれば上位に食い込めるはずだ。
小澤総監督も「不安はありません。ジオメトリーもきちんと取れているし、心配はないです。このタイミングで何かあったら、あとはグリッド上で対応しなければならないというのが心配といえば心配ですが、大丈夫ですよ」と笑顔だ。
決勝前のウォームアップが始まった。わずか20分間。
ドライバーは井口。
マシンチェックをして、その後タイヤ交換、燃料給油などを行なう予定でコースに入った。1周してピットに戻るとBRZ GT300が再び走行することはなかった。
井口によればエンジンの音がおかしくてパワーがないという。小澤総監督がエンジンをチェックする。どうやらアンチラグシステム周辺の不具合だというのだ。
大急ぎで部品を交換に取り掛かるが、無情にもウォームアップ走行の時間内に作業は終わらなかった。
決勝スタート直前まで修正作業
迎えた決勝はまさしくぶっつけ本番になった。
ピットアウトし16番グリッドに向かって走る。まだ不調は続く様子。
原因は何だ。
グリッドについたBRZ GT300のボンネットカウルが外され、作業が始まる。メカニックも2人、3人、そして4人と大勢で作業を進める。フロントフェンダーも外された。数分後には決勝レースのグリーンランプが点灯するというのに。
作業を終えフェンダーが取り付けられ、最後にボンネットフードが閉じられた。
もはやトラブルなく決勝を走れるのかという不安がよぎる。
スタートは井口だ。
井口は16番手から順調にスタートし前のマシンへ仕掛けていく。が、3周を終えたあたりで「パワーダウン」の無線が入った。
原因は何だ。。。
燃料系も含めコクピットで操作できるさまざまな機器をピットからの指示で試す。
井口は「アンチラグをオフにするとストレートが伸びる気がする」と無線で伝える。
そうしたトラブル対策をしていた時、多重クラッシュがありFCYがでた。後にSCへと変わりマシン回収が始まる。コースの復旧には時間がかかっている。
ピットがオープンとなったことでチームは給油だけ行なう作戦を取った。それはルーチンのピットインで、給油時間を短くするためだ。
ドライバーは井口のまま再スタートをする。順位は22位まで下がっているが、どこかで挽回できるはずなのだ。
ただひたすら、追いかける。
SCが解除されレースは再開された。
20周を終えたところでルーチンのピットインをし、山内に交代する。
タイヤもニュータイヤへ4本交換し、燃料も十分搭載している。あとはチェッカーまで走り続ける作戦だ。
山内はマシンの不調を抱えながら追い上げを試みる。
アンチラグシステムのオン・オフを走行中に行なうことを選択したのだ。
つまりストレートではアンチラグをオフにして、コーナー侵入時にオン。加速力を稼ぐ。その切り替えを全てのコーナーで行なっていたのだ。
映し出されるモニターには右手でステアリングにあるスイッチを操作する姿が写っている。ほとんど左手だけでステアしている状況だ。山内は諦めずにその操作を繰り返す。
交代して10ラップすると19位に順位が上がっている。ルーチンのピットインが残っているチームがあるからだ。山内はアンチラグを操作しながら追い上げ続ける。1分50秒台でコンスタントに毎周同じタイムを刻む。しかしトップは1分48秒台で周回しており、引き離される一方だった。
ただ下位グループは山内より遅いマシンもあり、徐々に順位は上がっていく。
36周を終えた時点でスタート時の16位に戻した。そしてさらに10周した44周目には14位に。53周を終えると13位に順位は上がっている。ポイント圏内まであと少し。8位入賞で3点獲得し56号車がノーポイントになれば逆転チャンピンになる。という皮算用が脳裏を巡る。
レースは60ラップ。残り7ラップ。
ひたすらプッシュする山内。だが燃料の残量が厳しくなってきた。
チームから燃費を稼ぐようにと指示がでる。
マシンの戦闘力はさらに落ち、追い上げは厳しくなる。だが山内は諦めない。ひたすら前だけを見て追いかける。
60周目。ラストラップに入った。ポジション13位。
すると、山内から無線で「みんな本当にごめん」と涙声の無線が入る。ガス欠でマシンが止まったのだ。
山内の追い上げも止まった。
意気消沈するピット。だが、よくやったという気持ちがある。山内の勝負に対する強いこだわりと意地が見え、スタッフは感動したことだろう。
徹夜でマシンを修復したメカニックへの恩返しという山内の気持ちはスタッフ全員に伝わっているのは間違いない。
レースは20位フィニッシュ。しかしドライバーシリーズチャンピオンは変わらずの2位でシーズンを終えることができた。トップの56号車もノーポイントだったもののシリーズ3位の10号車が8位フィニッシュで、10号車は逆転チャンピンを逃し、56号車がドライバーチャンピオンに輝いた。
さらに10号車は、井口卓人/山内英輝組にも0.5点届かず、二人はドライバーランキング2位という結果になった。そしてチームランキングは3位でシーズンを終えた。
山内は自分がミスしなければ優勝できたのに、と悔やんだが2位フィニッシュも立派な成績だ。強敵ひしめき合う中、BoPが前年より厳しい条件でありながらの2位は価値が高い。BRZ GT300の今季は粘り強さとチーム力の向上をみたシーズンだった。