【スバル】サンバーの生産が終了し、軽自動車の歴史が閉幕。3月から86/BRZの生産を開始

2012年2月29日、スバルは群馬製作所・太田工場におけるサンバーの生産が終了し、これによりスバル製の軽自動車すべての生産が終了すると発表された。この太田工場では54年間で延べ9車種、約796万8000台が生産された。太田工場では軽自動車に代わり新ラインでトヨタ86/スバルBRZの生産が開始される。また2012年度中にインプレッサの生産も開始する予定と発表している。


スバルの軽自動車は、1958年に傑作車、スバル360の発売から始まった。敗戦により巨大軍需産業の中島飛行機は解体され多くの企業に分割されたが、そのうち6社が合併して富士重工に生まれ変わっている。そして中島飛行機のエンジニアが開発したのが当時の国民車構想に合わせて作り上げた360であった。このスバル360の大成功により富士重工の基盤が確立されたため、軽自動車はスバルの原点ともいえる。

↑スバル360(1958年)                   ↑スバル・サンバー(1961年)

なお最後まで生産された軽トラックのサンバーは1961年に初代が発売され、現時点のスバル車の中ではもっとも歴史の長いブランドだった。サンバーはスバル360をベースに開発されたため、トラックとしては異例の床下配置のリヤエンジン/リヤドライブであること、そのために駆動性能のポテンシャルが高いこと、最初から4輪独立サスペンションを備えていたこと、後には直列4気筒エンジンの搭載やフロントにベンチレーテッド・ディスクブレーキを採用するなど、他の軽自動車トラックと比べ異色の存在だった。


サンバーのこの特長を生かし、過酷な業務用に耐える特別仕様の軽トラックとして、1980年頃から赤帽専用車が型式認定を受け、生産された。30万km以上を走破でき、積載重量が大きな状態で高速走行や山道でも余裕があることを目標に、赤帽専用のEN07型エンジン、フロント・ベンチレーテッドディスク、電源用ソケット(無線機用)、高照度ルームランプ、収納式サイドブレーキ・レバー、強化オーバーヘッドシェルフ、エアダム一体式フロントバンパー、強化レザーシートなどが採用されていた。

専用エンジンは吸気ポートの研磨、ポートの段付き修正が行われ、白金点火プラグなどを装備し、カムカバーが赤色塗装されていた。このため、サンバーの生産終了することが告知された後も受注が集中し、最後までフル生産が続いていた。

富士重工 公式サイト

ページのトップに戻る