2019年12月31日、驚愕のニュースが飛び込んできた。「私はいま、レバノンにいる」というカルロス・ゴーン元会長のメッセージが伝えられた。ゴーン元会長は長い勾留後の保釈中で、インターネットやスマートフォンへのアクセスは制限され、妻との面会も禁止など多くの制限を受けながら東京に滞在していた。そして2020年4月頃に開かれる金融商品取引法違反に関する裁判に向け、公判前整理手続きを行なっている最中であった。
プランB:日本脱出
ゴーン前会長は弁護士とともに裁判所で開かれる公判前整理手続き(裁判開始前の争点の整理、絞り込み)に参加していた。公判前整理手続きでは、検察官、弁護士、裁判官により証拠や争点を絞り込むため、争点整理に際しては十分に当事者が証拠の開示を受ける必要がある。そのため、検察官及び弁護人に一定の証拠開示義務が定められているが、検察官は一部の証拠に関して開示を拒んでいたとされる。
また、ゴーン元会長は弁護士との協議や、過去の判例などから、当初の想定と現実が大きき違っていることに衝撃を受けたという。
ゴーン逮捕は突然に
そもそも今回の事件は2018年11月19日に突然開幕した。東京地検・特捜部は羽田空港に午後4時半頃、取締役会に出席するためプライベート・ジェット機で到着した日産のカルロス・ゴーン会長に、羽田空港で任意同行を求め、夕刻に逮捕した。また、グレッグ・ケリー取締役も、架空の重要会議に出席を求められ、羽田空港に到着し首都高速を走行中に平和島パーキングエリアで停車させられ、逮捕された。
2018年春頃に開始された日産の幹部数名による社内調査の結果をもとに、東京地検特捜部と協議を行ない、「司法取引」が行使されてゴーン元会長、ケリー取締役が金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)で逮捕され勾留された。容疑は、ゴーン会長の退職後の報酬予定金額を有価証券報告書に記載していなかったということだ。
この容疑でのゴーン元会長は勾留され、さらに一度保釈された後に、特別背任容疑でも再度勾留され、2回の勾留で120日間以上を拘置所で過ごし、合計15億円の保釈金を支払って出所した。ゴーン前会長は勾留中の取り調べに対して、弁護士が同席しないことに不満を語ったが、保釈後は無罪を主張して裁判で戦うことを表明している。もちろんこれがゴーン元会長にとってのプランAである。
事件の特殊性
しかし、この事件の特殊性は、東京地検特捜部と日産側との司法取引が発端になっていることだ。つまり特捜部が司法取引を決めたということは、日産側の調査報告の内容を特捜部が裁判において有罪を勝ち取れると認定した結果の司法取引である。
言い換えれば、第1審の裁判で例えゴーン元会長が無罪判決を受けたとしても、特捜部はメンツにかけて上告し、最高裁まで争うことは明白だ。そうなればどんなに早く裁判が進められたとしても5年以上、長ければ10年以上の裁判になると予想された。
また従来、企業における経済事件の有罪の判例では、粉飾決算や特別背任事件などでも求刑が懲役5〜6年、判決は懲役3年、執行猶予5年程度が相場となっているが、東京地検特捜部が扱ったホリエモンのライブドア事件では、ホリエモンが全面否認を貫いたため、最高裁まで争って結局、異例とも言える懲役2年6ヶ月の実刑となるなど、特捜部の扱う経済事件は容易ならざる結果が想定される。
さらにゴーン元会長は、出国禁止、インターネット接続禁止、妻との面会禁止など多くの制限がかけられた保釈条件となっており、これがいつ解かれるのかはまたく見通しが立たなかった。
日本脱出
現在65歳のゴーン元会長にとって、今後日本において拘束され10年近くを過ごすということは、もはや人生の終わりを意味する。また、裁判に関しても特捜部案件という特殊性を考慮すると、無罪を主張する限り、部分的な有罪判決であっても懲役刑の実刑の恐れもなくはない。
ゴーン元会長はこうした現状や司法の動向を熟考した結果、選択したのがプランB、つまり日本脱出だ。違法出国であり、相当の危険も考えられたが、第三国のプライベート・ジェット機をレンタルし、日本を脱出することを決意したのだ。おそらくこの計画には1ヶ月以上を費やし、綿密に計画されたはずだ。
ゴーン元会長が日産の社員と接触しないように日産は警備会社と契約し、監視・尾行を行なっていたが、ゴーン元会長は監視を停止させるために、告訴の警告を行ない、この監視行動が停止した12月29日に自宅を出発。ゴーン元会長は同日の夜11時半頃に関西空港からジェット機で日本を脱出し、9000kmをトルコに向けて飛んだ。トルコではジェット機を乗り換え、レバノンに入国し、プランBは成功した。
ゴーン会長は長期裁判から逃れたと言えるが、もちろんそれだけではない。これまで自ら主張できず、特捜部からの一方的なリーク情報により、強欲、恥知らずで経営者失格の烙印を押されたことに対する反撃が可能になったわけだ。15億円の保釈金の没収、多額の脱出費用という高額なコストを費やしたものの、自身に被せられた汚辱を晴らすことがゴーン元会長の当面の最優先行動となるだろう。
この先、どのような事実が語られるのか興味深い。
ルノーの異変
時間は2018年10月に遡る。ルノーの臨時取締役会でルノー・グループのティエリー・ボロレCEOが解任された。後任には暫定的に最高財務責任者(CFO)のクロチルド・デルボ氏がCEOとして指名されている。
一体何があったのか? もちろんこの解任劇を指揮したのはジャンドミニク・スナール会長だ。スナール会長は大株主のフランス政府ともパイプが太く、カルロス・ゴーンが去った後の体制を構築することが最大の任務となっている。
そのスナール会長がボロレCEOを切ったわけである。ボロレ氏はもともとルノー・グループ内で当時のゴーン会長に引き立てられ、COO(最高執行責任者)に就任した経緯があり、次期CEOと言われていた。だからゴーン会長が逮捕された後にCEOに指名されたのは当然のことと言えるだろう。
だが、ボロレCEOはゴーン氏の右腕であり、日産におけるゴーン事件には疑いの目が向けられていたといわれる。そのため、第三者による事件の調査委員会の報告書が日産の取締役会に提出された時、日産の取締役であるボロレCEOはただ一人、再調査を主張したという噂もあった。
ポスト・ゴーン体制を作りつつあるスナール会長はこれに激怒し、ルノー・グループでゴーン時代の名残りであるボロレ氏を見限ったとされている。ボロレ氏は、激しく反論したが、フランス政府の同意も取り付けたスナール会長に抗することはできなかった。
スナール会長はグループの新体制を整え、アライアンスを前進させることが使命であり、暫定的なデルボCEOの後任探しも始まっている。
また2019年12月4日には、「ルノー・日産・三菱アライアンス・オペレーティングボード」の事務局長にルノーのハディ・ザブリット副社長が任命された。ザブリッド氏の役割は3社アライアンスの様々なプロジェクトの調整役であるが、実質的には各プロジェクトのトップとなり、旗振り役となる重要なポジションと言える。
ハディ・ザブリット氏は1970年生まれで、レバノンとフランスの2重国籍だ。フランスのエコール・ポリテクニークを卒業し、パリ国立高等鉱業学校にて機械工学修士号を取得。まるでカルロス・ゴーンと同じ経歴なのが興味深い。
ルノーに入社後はパワートレーン部門の生産技術エンジニアを務め、その後、販売・マーケティングのプロダクトマネジャー、デジタル技術部門の設立でマネージングディレクターを務めた。その後はアライアンス上級副社長に就任。Aセグメント向けコモン・モジュール・ファミリー(CMF)プラットフォームの開発やOEMとの提携、アライアンス モビリティ サービス、投資ファンド「アライアンス・ベンチャーズ」などの事業を主導した経歴を持っている。
ハディ・ザブリット氏がアライアンス・オペレーティングボードのトップになったということは、もはや3社アライアンスは、ルノー・グループが主導権を握ったと理解してよいだろう。
日産の混乱
ゴーン元会長が逮捕されて以来、ゴーン体制を支えてきた外国人の取締役クラスはすべて日産を去って行った。ダニエル・スキラッチ副社長などはその代表例だ。スキラッチ氏は日産やダットサン、インフィニティの各ブランドの責任者を務め、またe-POWERやプロパイロット技術の導入、日本事業におけるノート、セレナの販売に大きく貢献した経歴であった。
そして、ゴーン元会長を告発し、追放した西川廣人CEOが2019年9月9日に取締役会で辞任が求められ、CEOを退任した。ゴーン元会長とともに逮捕され保釈中のグレッグ・ケリー前代表取締役が月刊誌文芸春秋のインタビューで、西川CEOが株価連動型報酬で不正操作をしていたことを問題提起した。その後社内で調査が行なわれ、この疑惑はシロとされている。しかし取締役会ではガバナンス改革に取り組む中、うやむやにすべきではないという意見が強まり、最終的に西川氏を除く全員一致での辞任勧告が行なわれたのだった。
この結果、山内康裕COOが暫定CEOに就任したが、取締役会は次期CEOを早急に選定することになった。ここで注目すべきは日産は2019年6月の株主総会で、取締役会が「指名委員会等設置会社」に変更されていることだ。
この制度は、従来の株式会社とは異なる企業のコーポレートガバナンス・システムで、取締役会の中に社外取締役が過半数を占める委員会を設置し、取締役会が経営を監督する方式だ。つまり社外役員が日産を監督するシステムで、特に取締役やCEO、COOなど企業を推進する役職は指名委員会が選定することになっている。
現在の取締役会は、議長が社外取締役の木村康氏、副議長がジャンドミニク・スナール氏、指名委員会委員長が社外取締役の豊田正和氏となっている。木村康氏は元・日石(JX)会長出身、豊田正和氏は通産省の官僚で、自動車ビジネスに明るいわけではない。しかし、豊田社外取締役が主導して次期CEO、COOの選定が進められた。
※関連記事:日産 内田誠新CEOが就任 中期経営計画見直しへ
合議制の経営
その結果、新体制が決定した。新執行部は大幅に若返り、内田誠CEO、アシュワニ・グプタCOO、そして関潤・副COOによる3トップ体制となった。ゴーン元会長によるトップダウン体制を改め、合議制による経営を行なう体制に変わったことを意味している。
しかし、驚くべきことに副COOの関潤氏が12月中旬に辞任を申し出て、12月25日付けで退任が決定したのだ。関氏は日本電産の永守会長の誘いに応じて2020年春頃に日本電産のCEOに就任すると見込まれている。ハード・ディスクのモーターで高いシェアを持つ日本電産が、電気駆動車の駆動モーターの分野に本格進出する要の役となるといわれている。
関氏は、日産一筋でパワートレーン生産技術部門からスタートし、多方面のグローバル事業を担当した後、中国の東風日産の責任者を努め、事業を拡大した経歴を持ち、3名の中で唯一の技術系だ。新CEOに就任した内田氏は関氏より5歳若く、中途入社であり、アライアンスの購買を担当した後に関氏を引き継いで中国の東風日産の責任者になった、いわば後輩だ。
グプタCOOも関氏より9歳も年下でルノー出身だ。役割的には内田CEOが最終責任者、グプタCOOが事業全体をマネージメントし、関氏がパフォーマンス・リカバリー(業績復活)とグローバル商品開発を担当することになっており、関氏は日産のトップになる可能性はゼロとなった。後輩に報告する立場で、関氏にしてみれば立場が逆ではないかという思いがあったのだろう。
豊田指名委員長は、じっくり幅広い人材にヒアリングして日産の経営を立て直す体制を決定したと語っていたが、登用した人材に矛盾を含んでいたわけで、そもそも日産という会社がわかっているのか、人を見る目があるのかという疑問を抱かざるを得ない。
関氏の退任の結果、12月26日に指名委員会を開催し、執行役・副社長の坂本秀行氏を新たな取締役候補者とすることを決定した。坂本氏はボディ実験部・主担、車両開発主管などを歴任し、近年はコモン・モジュール・ファミリー(CMF)プラットフォーム開発を主導し、生産技術部門の最高責任者となっている。
したがって坂本氏がナンバー3となり、当然ながらCMF開発などを通じてルノーとの関係も良好なはずだ。
結果的に、内田CEO、グプタCOO、そして坂本氏のいずれもスナール会長の眼鏡にかなった人材であり、指名委員会は豊田委員長ではなくジャンドミニク・スナール会長の影響力が極めて強いと考えるべきだろう。
ルノーとの距離を取ろうとした西川氏らの思惑とは別に、今後の日産はルノーのスナール会長のコントロールの下に置かれる状況になりつつあるということができるだろう。
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