「フェルディナント・ピエヒ」評伝 自動車業界の巨星墜つ

フォルクスワーゲン時代

1993年1月に、ピエヒはアウディからフォルクスワーゲンAGに移籍した。カール・ハーンCEOの後継者としてCEOに就任したのだ。しかし当時、フォルクスワーゲンは暗黒時代を迎えており、品質の低下に苦しみ、大きな損失を出していた。ピエヒはフォルクスワーゲンの社内の問題点に切り込み、生産と調達の最適化、妥協のない品質の向上、グループ全体で高価格セグメントやトラック部門などを擁する大クループに拡大することを最終目標とした。

調達、購買に関しては、ピエヒはゼネラルモータースから7名をスカウトし、改善を担当させたが、彼らはGM方式を導入した。一方GMは、その7名が社内の秘密情報を持ち出したとして提訴、紛争となった。

結局、和解に至ったがGMに1億ドルの損害賠償を支払い、GMからの10億米ドルの部品を調達することになった。とはいえ部品購買、調達に関しては従来の高コスト体質を打破し、部品原価の低減を実現した。この購買方針は、現在でも垣根のないグローバル・サプライヤー会議として受け継がれ、どのサプライヤーであっても、品質基準に合格し、かつ価格が安ければフォルクスワーゲンへの部品供給が可能になっている。

フォルクスワーゲン・ルポとピエヒ
フォルクスワーゲン・ルポとピエヒ

品質改善と豪腕

フォルクスワーゲンにとって品質問題も大きなテーマだった。ゴルフ3の品質の低下に苦しんでいた。アメリカでのビジネスでは、ビートルによって確立した信頼性の高いというブランド評価は地に落ちていた。そうした背景のもと、ピエヒは品質の回復のために妥協を許さなかった。ピエヒは製造上の問題の原因を探り、それを徹底的に排除した。またトヨタ生産方式を学び取り、それをフォルクスワーゲンやポルシェ、アウディなどグループ全体にまで普及させている。さらに品質、性能劣化を招いた原因を作ったとして、それまでのフォルクスワーゲンの役員、部長クラスをほとんど解雇して社内を刷新している。

そしてゴルフ3の後継モデルとしてゴルフ4が開発された。ピエヒが全面的にプロジェクトを指揮して開発したこのニューモデルは、衝突試験結果でも、性能面でも世界トップレベルを実現し、ゴルフ・ブランドの信頼性を復活させる画期的なモデルとなった。

ピエヒは経営者ではあるが元来はエンジニアであり、車体のねじり剛性は3万7000Nm/度以上となるように設計チームに指示するなど、常識的な経営者とはまったく違っていた。

また車両のパネル公差に関しては、ボディ関係の設計や生産の責任者を務めるエンジニアたちをオフィスに集め、ゴルフ4を筆頭にフォルクスワーゲンのすべてのモデルを6週間以内にパネル間の隙間3mm以内を達成するように命じた。もし達成できなければ全員を解雇すると宣言した。

もちろんエンジニアたちは、それまでにも役員、部長クラスがほとんど解雇されているのを知っているので必死の努力をしたことは容易に想像できる。そして、今日でもフォルクスワーゲン・グループのクルマのボディ・パネルの隙間の小ささや精度で世界No1となっているのはその後の継続的な技術革新が行なわれた結果である。ピエヒは社内では「(パネル)隙間マニア」と呼ばれるようになったという。

ピエヒが全力を注いだゴルフ4
ピエヒが全力を注いだゴルフ4

ピエヒの採用した様々なコスト削減策、合理化や、そして最も会社が厳しい時期でも労働者一人あたりの操業時間の短縮を行なったり、従業員のリストラをしないという方針により、数年間でフォルクスワーゲンは黒字化し、ピエヒの権力は絶対的なものにった。

労働者のリストラをしなかったために労働組合からの信頼も得た。そればかりかピエヒは、むしろ監査役会のメンバーである労働組合の幹部を優遇し、懐柔し、味方につけることで役員クラスを躊躇なく解雇することができた。

ピエヒは、取締役、執行役員クラスに対して「2回同じ過ちをしたやつは許さない」と語っているように、高いレベルの技術開発力を要求し、失敗を許さなかった。

VWの私物化

ピエヒは2002年までフォルクスワーゲン・グループのCEOを努め、2002年以降2015年4月までは取締監査役会会長を務めフォルクスワーゲン・グループを完全に、独裁的に支配した。CEOの時代に、2012年のポルシェ・ブランドを買収し、ベントレー、ブガッティ、セアト、シュコダ、ランボルギーニ、マン、スカニア、ドゥカティを含む12の車両ブランドを手中に収めた。

シュコダはフォルクスワーゲンより安く高性能であること、スペインのセアトはアルファロメオのようなスポーティな味があるクルマにといったブランドの方向性も明確にした。

ピエヒのほとんど強迫観念ともいえる思考は、フォルクスワーゲンは自分(とポルシェ一族)の所有物であることを徹底し、同時にフォルクスワーゲン・グループを世界No1メーカーとすること、世界No1の最高性能のクルマを作ることに没頭した。

そのため、メルセデス・ベンツを上回る最高級モデルのフェートン、1000psエンジンを搭載した世界最速のスーパーカーのブガッティ・ヴェイロン、量産モデルとして燃費世界一のアウディA2ハッチバックなど、プロジェクトを主導したが、これらのクルマの開発コストや事業としての損失額は、現在の自動車業界で損失事業ワースト10の3位に入るほどの浪費となった。

ガラス製の工場、ドレスデン工場でのフェートンのラインオフ
ガラス製の工場、ドレスデン工場でのフェートンのラインオフ

なにしろフェートンの生産のために、ドレスデンにガラス製の工場と呼ばれる世界で最も美しい工場まで建設したのだから、その執念がわかる。ただし、これほどの大きな損失があってもフォルクスワーゲン・グループは盤石であった。

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