「フェルディナント・ピエヒ」評伝 自動車業界の巨星墜つ

この記事は2019年9月に有料配信したものを無料公開したものです。

フェルディナント・ポルシェの孫であり、最終的にフォルクスワーゲン・グループ会長・CEO、取締監査役会・議長、そしてフォルクスワーゲン・グループの持株会社であるポルシェ・ホールディングの議長を務めたフェルディナント・ピエヒ氏が2019年8月25日、82歳で急逝した。

「フェルディナント・ピエヒ」評伝 自動車業界の巨星墜つ

ポルシェの孫として

バイエルン州ローゼンハイムのレストランで妻のウルスラと食事中に突然倒れ、病院に急送されたがそのまま死亡が確認された。あまりにも突然の死であった。

フェルディナント・カール・ピエヒは、1937年にドイツ、オーストリア圏で有名な自動車エンジニアのフェルディナント・ポルシェの長女ルイーズとウィーンの弁護士アントン・ピエヒの三男としてオーストリア・ウイーンで誕生した。父親のアントン・ピエヒは長年ポルシェの友人であり事業のパートナーであった。母親のルイーズはポルシェのビジネスをサポートし、その後長くポルシェ、フォルクスワーゲンの株式を所有するなど、グループ会社の経営に関与した。またアントン・ピエヒは1945年、ポルシェ博士とともに戦争犯罪人としてフランスにより逮捕された経歴もある。

偉大なる祖父、ポルシェ博士と孫のフェルディナント・アレクサンダー(ブッチィ)・ポルシェ(左)とフェルディナント・ピエヒ(右):1949年
偉大なる祖父、ポルシェ博士と孫のフェルディナント・アレクサンダー(ブッチィ)・ポルシェ(左)とフェルディナント・ピエヒ(右):1949年
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