この記事は2016年7月に掲載した有料記事です
ポルシェ社は、2014年シーズンから現在まで世界耐久選手権(WEC)で戦うプロトタイプ・レーシング(LMP1)マシン「919ハイブリッド」を、将来のスポーツカーのための技術開発車と位置付けて参戦している。
■ポルシェ919ハイブリッドの仕組み
ポルシェ919ハイブリッドに搭載されるエンジンは、2.0L V型4気筒の直噴+シングルターボ。最高回転数9000rpm、最高出力500psを発生。また、ハイブリッドシステムはブレーキング時の減速エネルギー回生と、エンジン排気の熱エネルギー回生、つまりターボから排出された排気エネルギーで発電用タービンを駆動して、発電するシステムが搭載されている。
ブレーキエネルギーと排気エネルギーによって回生した電力は、アメリカのA123システムズ社製のリチウムイオン・バッテリーに蓄電される。回生できるエネルギー放出量は、2014年シーズンの仕様は6MJ(メガジュール)であったが、2015年シーズン以降はレギュレーションで許される最大の8MJに引き上げられている。
ポルシェ社は、919ハイブリッドを新たな電気駆動スポーツカーのためのテクノロジーを開発する母体と位置付けて、2015年に公開した公道走行可能な電動スポーツカー「ミッションE」のために、919ハイブリッドに採用されている電圧800Vのテクノロジーを採用すると発表している。
ポルシェは、世界耐久選手権シリーズのためのプロトタイプ・ハイブリッドマシン、とりわけ駆動とエネルギー回生システム関して、あらゆる可能性を徹底的に研究している。なぜならLMP1マシンはエンジンの排気量、エンジン形式などすべて自由で、エネルギー回生システムは2セット搭載が許される。したがって、どのようなマシンにするかは膨大な比較検討が求められるからだ。
最終的に919ハイブリッドは、ポルシェが今までに作り上げた最も高効率なダウンサイジング・コンセプトのエンジンである2.0L・V型4気筒ガソリンターボエンジン、そして減速エネルギー回生と、排気エネルギー回生という2種類の異なるエネルギー回生システムを持つハイブリッド・ユニットを組合わせて採用している。
この前輪に装備される減速エネルギー回生システムは、ブレーキをかけた時には、フロントアクスルのモーター兼ジェネレーターが減速エネルギーを電気エネルギーに変換。もうひとつの排気エネルギー回生システムは、排気ガスがターボチャージャーを駆動し、余剰となった排気ガスでもう1つのタービン兼ジェネレーターを駆動し、電気エネルギーに変換するものだ。
ちなみにエンジンの排気エネルギーでジェネレーターを回転させて発電するシステムは、F1グランプリで全車に採用されている(熱エネルギー回収システム=MGU-H)が、これはターボチャージャーと同軸でジェネレーターを回転させる方式だ。ポルシェ919ハイブリッドの場合は、メインのターボチャージャーのウエストゲート部に通常のバルブの代わりにもう一つのターボを設置し、このターボの回転で発電ジェネレーターを作動させる仕組みだ。
■モーターによる加速はドライバーがコントロール
919ハイブリッドの全回生量のうち制動エネルギーが60%を占め、残り40%は排気エネルギーから得られている。回生された電気エネルギーはリチウムイオンバッテリーに一時的に蓄えられ、要求に応じてフロントの駆動モーターへ供給される。 つまりこの段階では4WDとなる。
「要求に応じて」とは、ドライバーが加速したい時にボタンを押すだけで電気エネルギーを呼び出せることを意味する。最新のレギュレーション変更に従って、エンジンの最高出力は500ps(368kW)を下回っているのに対し、電気モーターの出力は400psをオーバーする。
これら2種類の回生されたエネルギーの使用と、エンジンの駆動の配合には高度な制御が必要となる。制動時には毎回エネルギーを獲得、すなわち回生される。ニュルブルクリンクの全長5.148kmのグランプリサーキットでは、このブレーキエネルギー回生が17のコーナーの手前で、つまり毎周17回のブレーキエネルギー回生が発生する。
回生されるエネルギーの量は、ドライバーがコーナーに進入した時の速度とコーナーがどれだけタイトか?言い換えるとブレーキの強さによって変化する。ブレーキングによる回生は全てのコーナーのクリッピングポイントまで続き、ドライバーはそこから再び加速に移行する。
この加速時の目標は、できるだけ多くの電気エネルギーを利用することになる。そのためドライバーは、スロットルペダルを踏み込んで燃料エネルギーを使うと同時に、バッテリーから電気エネルギーの「ブースト」も行なうのだ。
エンジンが後輪を駆動するのに対し、電気モーターはフロントアクスルを駆動する。つまり919ハイブリッドは4WDシステムを用いてトラクションを失うことなくコーナーから全力で加速する。さらにストレート走行では、排気エネルギーを利用し発電用のタービンがフル稼働するので、再びエネルギーを回生することができる。
このタービン兼ジェネレーターはエンジン回転数が安定して高い場合、排気マニホールド内の圧力が素早く上昇し、タービンを高速回転させ、発電する。しかし、こうした2種類の電気エネルギー源の使用はレギュレーショ ンによって制限されており、ドライバーは1周あたり1.8Lの燃料と1.3kWh(4.68メガジュール)の電力しか使用することが許されていない。
■ エネルギー限界に挑むポルシェ
ドライバーは、1周が終わる時点でこの量を正確に、過不足なく使い切るように慎重に計算しなくてはならないのだ。もし超過すればペナルティーが科せられ、電気エネルギーの使用が少なければそれだけ加速パフォーマンスが低下する。ドライバーは、正確なタイミングで「ブースト」を停止し、スロットルから足を離さなくてはならないのだ。こうした操作が正確にできるように、ステアリングホイールには必要な情報の表示やスイッチが詰め込まれている。
ル・ マンでは、1周13.629kmの全長に合わせてレギュレーションが変更され、認められる電気エネルギーの量は2.22kWhとなっている。これは8メガジュールに相当し、つまりポルシェ919ハイブリッドはトヨタTS050ハイブリッドとともにレギュレーションで規定された中で最も高いエネルギークラスとなっている。
ポルシェは、エネルギー規制値の上限に挑んだ最初のメーカーであり、 2015年の時点では唯一の8メガジュール・クラスのマシンであった。2016年には、トヨタも8メガジュールクラスに参戦し、一方のアウディは6メガジュールとなっている。 もちろんWECのレギュレーションでは、これらのクラスの差はほぼ完全に均衡させているので、どちらかが有利というものではない。
ポルシェ919ハイブリッドの技術コンセプトは、 様々な選択肢が何度も検討されたが、まずはフロントアクスルでブレーキエネルギーを利用しようとしたのは必然的だった。なぜなら、この方式はすでに開発済みで、大量のエネルギーを得ることができるからだ。
2番目のエネルギー回生システムとして、リヤアクスルでのブレーキエネルギー回生と 排気エネルギー回生が検討されたが、排気エネルギー回生を採用するに至ったのは、2つのメリットがあったからだ。それは、何より重量の軽さであり、その次が効率だ。
制動エネルギー回生のシステムは、極めて短時間に大量のエネルギーを回生しなければならず、それに対処するにはどうしても重量が犠牲になる。これに比べて排気エネルギー回生は、加速時間は制動時間よりもはるかに長いため、回生時間を長くとることができる。したがって、発電システムの軽量化を図ることができるのだ。加えて、919はエンジンの駆動システムをリヤアクスルに備えているため、リヤの出力が増大しすぎると、非効率なホイールスピンが多く発生することとなり、それによってタイヤの摩耗も激しくなる、ということが回避できるのだ。
919のハイブリッドシステムに関するポルシェの特徴は、800Vという高電圧を選択したことだろう。電圧レベルを決めることは、電動システムにおける根本的決断であり、バッテリーの設計、エレクトロニクスの設計、エンジンの設計、充電技術など他にも影響を及ぼす。そしてポルシェは、電圧レベルをできる限り高く設定したのだ。
ただしこの高電圧に対応したコンポーネントを見つけることは極めて困難だったという。特に、電力貯蔵のためフライホイールジェネレーター、スーパーキャパシター、またはバッテリーのいずれが適切なのかを検討した結果、ポルシェは液冷式リチウムイオンバッテリーを選択した。この中には数百個の独立したセルが備わり、それぞれのセルは高さ7cm、直径1.8cmの円筒形の金属カプセルに封入され ている。
市販EV車とレーシングカーのいずれの場合でも、出力密度とエネルギー密度のバランスを取る必要があり、セルの出力密度が高くなるほど、より素早くエネルギーを充放電することができるが、もうひとつのパラメーターであるエネルギー密度は、貯蔵可能なエネルギーの量を決定する。
レースにおいて、バッテリーは分かりやすく言えば巨大な開口部を備えていなくてはならないということになる。なぜなら、ドライバーがブレーキングした瞬間に大量のエネルギーが 一気に流入し、ブースト時にはそれが全く同じ速さで出て行かなくてはならないからだ。
日常的な例で言うと、もしスマートフォンの空になったリチウムイオンバッテリーが919のバッテリーと同じ出力密度を持っていれば、1秒をはるかに下回る時間で完全に再充電することができる。ただし欠点としては、わずかな通話で再びバッテリーが空になることだ。スマートフォンを数日間使えるようにするには、エネルギー密度、すなわちバッテリー容量が最優先されることはいうまでもない。
日常で使用する電気自動車のバッテリー容量は、イコール航続距離と言い換えられるが、当然ながらレーシングカーと公道走行可能な電気自動車の要件は異なる。レースカーは短時間に大量の電気の出し入れが必要で、市販車はバッテリー容量そのものが重要という違いになる。
ポルシェは919ハイブリッドはブレーキエネルギー回生システムと、排気エネルギー回生システムをミックスして、800Vという高電圧で使用するという今まで想像できなかったハイブリッドマネージメントの領域に踏み込んでいる。2種類の回生システムを統合的に制御し、加速時に短時間で電気エネルギーを放出する技術は、将来の市販スポーツカーのハイブリッドシステムの電気エネルギー制御や電圧を試す最適な実験室の役割を果たしているのだ。
LMP1のレースマシン開発を通じて重要なノウハウが発見されている。例えば、エネルギー貯蔵 (バッテリー)と電気モーターの冷却や、極めて高い電圧の接続技術、バッテリーマネージメントシステムの設計に関することなどだ。この経験から、市販車開発のスタッフは、800Vテクノロジーを採用した4ドアコンセプトカー「ミッションE」を実現としている。この「ミッションE]は単なるコンセプトカーではなく、量産化が決定され市販モデルは2020年末の終わりまでに登場する予定だ。このスポーツカーは電気だけで走る初めてのポルシェ車となる。