戦後のメルセデス・ベンツを彩った名車たち

雑誌に載らない話vol249

300_52
1952年に登場した「300」セダン

前回は第2次世界大戦の結果、壊滅状態となったが、戦後すぐに170Vを製造し、復興に着手し再建に取り掛かったダイムラー・ベンツ社について記した。今回はその輩出された名車たちを見てみよう。

■300、300S 、300Sc
ダイムラー・ベンツ社は1954年に送り出した220aにより、戦後のメルセデスというブランドの基盤を作り上げた。そして戦前の高級プレミアムカーメーカーとしてのポジションを戦後に改めて構築することに取り掛かった。

その第1弾となるのが1951年に登場した「300」(W186)である。「300」は、戦前の770K(グロッサー)に次ぐポジションにあったメルセデス320に匹敵する高級セダンとして企画されたモデルだ。X型鋼管のバックボーンフレームを採用し、フロントはダブル・ウイッシュボーン、リヤはスイングアクスルのサスペンションを採用。このサスペンションには補助トーションバーをモーターでひねることによって車高を調整するシステムも装備した。

300のフロント・サスペンション
300のフロント・サスペンション
51_300S_Rear
リヤ・サスペンション

 

 

 

 

 

 

エンジンはチェーン駆動式SOHC・6気筒(7ベアリング)の3.0Lで115psを発生。4速フルシンクロ・トランスミッションを装備した。最高速は160km/hをマークする。1954年にはマイナーチェンジし、125psにパワーアップしている。

この300セダンが発表されてから少し遅れて、スポーツバージョンの300S(W188)が発売された。「S」はsportのイニシャルだが、純粋なスポーツモデルというよりスポーツカー並みの性能を持つ豪華なパーソナルカーを狙ったもので、戦前の540Kに相当するモデルだ。

300Sは300のホイールベースを短縮して2シーターとし、パワーアップするためにエンジンをチューニングしている。2シーター化によって、エンジン搭載位置もフロントミッドシップとして重量配分を向上させるとともに、ロングノーズのエクステリアを実現し、スポーツイメージと高級車イメージを高めている。

300Sはクーペとカブリオレ、ロードスターという3種類のボディタイプがある。セダンの300、300Sともに工場の特別ラインで、ボディパネルは金型に合わせて職人が手で叩き出すというハンドメイドの工芸的な技術を駆使して生産されていた。

300Sのエンジンは300と同じ3.0L 6気筒だが、圧縮比のアップ、トリプルキャブレターを装備し150psを発生。最高速は176km/h、0→100km/h加速は15秒であった。

1955年に登場した300Sc カブリオレ
1955年に登場した300Sc クーペ

なお300Sの価格は300セダンの1.7倍もした高価なモデルで、生産台数は4年間で560台だった。このモデルは1955年まで生産され、300Scにチェンジされた。Scモデルはさらにエンジンの圧縮比を上げ、ボッシュ製の機械式直噴システムを採用し、175psを達成。 最高速は180km/hに達している。

300Scのエクステリアも300Sから若干マイナーチェンジされている。この300Scは1958年に生産を終了したが、生産台数は200台強だ。戦前からあるドイツの熟練工の高い技術が反映されたこれらのモデルは、伝統のマイスターの技によって作られた戦前のメルセデスの高級車の工芸的技術が投入された最後のメルセデスと呼ばれている。

■ 300SLプロトタイプと300SL
ダイムラー・ベンツ社は創業以来、積極的にモータースポーツに参加し、勝利することで名声を高めると同時に、その先進技術を量産モデルにフィードバックし、高性能化することをフィロソフィーとしている。したがって、戦後再建されたダイムラー・ベンツ社がモータースポーツに再び参加することは必然であったといえる。

その第1弾となったのが1952年に登場した300SLプロトタイプ(W194)だ。SLは、Super Leicht(リヒト=ライト)、つまり300Sの超軽量版スポーツカーを意味するが、1952年にワークスチーム用の300SLプロトタイプがレース・モデルとしてデビューする。

300SL
300SL

ルドルフ・ウーレンハルトが設計担当となり、シャシーの骨格は薄肉の鋼管マルチチューブスペースフレームで、溶接によって組み立てた複雑なトラス構造に特徴があった。このような複雑な鋼管溶接フレームも戦前の職人技の技術が活用されている。このフレーム構造のため車体側面は通常のドアが取り付け不可能なため、特徴的なガルウイングドアが採用された。アウターパネルは応力がかからないため、叩き出しのシームレスなアルミ製パネルとしている。

軽量な鋼管を溶接で結合した鋼管スペースフレーム
軽量な鋼管を溶接で結合した鋼管スペースフレーム

エンジンは300Sの3.0L 6気筒を、左に45度傾斜させて搭載。専用アルミ製シリンダーヘッド、ビッグバルブを備え、ソレックス・ツインバレルトキャブレターを3連装して175psを発生。車両重量はわずか860kg。最高速は240km/hだった。なおトランスミッションは4速MTだ。

300SLeg
300SIに搭載されたエンジン。手前側面に見えるのが機械式燃料噴射ポンプ

このプロトタイプは、1952年の第19回ミッレミリアに参戦し、フェラーリについで2位と4位に入賞。次のスイスのレースでは優勝。ついでル・マン24時間に出場。アストンマーティン、フェラーリ、タルボ、ジャガーなどの強豪が出走したが、300SLが1、2位を独占して圧勝した。

さらに同年のニュルブルクリンク・レース、パンナメリカ-メキシコ・レースで優勝しその実力を証明。パンナメリカ-メキシコ・レースは、アメリカ~メキシコの公道3371km走破し、平均速度は165km/hを叩き出し、アメリカ人に強烈な印象を与えた。

エンジンを45度スラントさせて搭載
エンジンを45度スラントさせて搭載

もともとこの300SLプロトタイプはワークススポーツカーで、市販する予定はなかったが、ニューヨークでメルセデスの輸入ディーラーを経営していたマックス・ホフマンはアメリカ市場で売れると確信し、1000台の先行受注を抱えてダイムラー・ベンツ社と交渉し、公道版レーシングカー300SLの発売が決定。1954年2月のニューヨーク国際オートショーで市販版が発表された。また、廉価版とも言うべき190SL (R121) も同時に発表されている。

300SLのリヤ・サスペンション
300SLのリヤ・サスペンション

この市販300SLは当初1400台製造され、その80%はアメリカで販売された。そしてアメリカにおけるメルセデス・ブランドの高いイメージはこのモデルによって確立された。なお後期型はロードスターボディとなり、1858台が製造された。製造はいずれもシュツットガルト市のウンターテュルクハイム工場である。

1954年のニューヨークモーターショーで市販モデルの300SLがデビュー
1954年のニューヨークモーターショーで市販モデルの300SLがデビュー

市販モデルの300SL(W198 )はトリプル・キャブレターではなくボッシュ製の機械式直噴が採用された。このガソリン直噴システムは、第2次世界大戦時のメッサーシュミットBF109Eのダイムラー製DB601(倒立V型12気筒)に採用されていた燃料噴射システムだ。出力は215psという当時としては圧倒的なパワーを誇った。ただし機械式燃料ポンプのため、スロットルを閉じても燃料は噴射され、オイル希釈現象が発生するため、容量10Lのオイルの交換サイクルは1600kmごとと指定された。

またサイドシル部が異常に高いためガルウイングドアを採用していることに加え、乗り降り時にはステアリングシャフトがチルトするシステムを採用している。またボディパネルも市販用はボンネット、ドア、トランクリッドはアルミ製、その他はスチールパネルとなっている。インテリアも市販モデルはラグジュアリーな仕上げとなっている。

■W196
ダイムラー・ベンツ社は、1954年から2.5Lエンジン規格に改訂されたグランプリ・フォーミュラレースに参戦することを決定した。主任技術者のルドルフ・ウーレンハウトを中心に、新フォーミュラカー「W196」(戦前のフォーミュラカーの最終モデルのW165の次のコード番号)の開発を行なった。

W196初期
エマヌエル・ファンジオ、スターリング・モスらがステアリングを握ったW196・グランプリフォーミュラーカー

シャシーは300SLよりさらに洗練されたアルミパイプ製のスペースフレーム製で、ボディはマグネシウム合金パネル製だ。サスペンションは前後とも縦置きトーションバーを使用。フロントはダブル・ウイッシュボーン式、リヤは変形ダブル・ウイッシュボーン+ワッツリンクとした。なおすべてのリンク類は削り出しである。ブレーキは大径アルフィン・ドラムで、前後ともインボードに装備している。

W196に搭載された2.5Lデスモドロミック・バルブ式エンジン
W196に搭載された2.5Lデスモドロミック・バルブ式エンジン

エンジンは、直列8気筒SOHCで、直列4気筒を接続した構造とし、カムシャフトはセンタードライブ式。エンジン自体は70度傾斜させ低重心化している。シリンダーは一体ではなく、独立したライナー部に鋼板溶接でジャケットを被せる戦前の航空機エンジン方式だった。 ベアリングはすべてローラー式。バルブは大径2バルブ方式で、デスモドロミック(機械式強制開閉)バルブとしている。出力は257ps、最高回転数は8700rpm。

こうした複雑な高度な技術を要するエンジン構造は、グランプリレースでのライバルは実現不可能で、W196は孤高の存在といえ、レースでも圧倒的なパワーを見せ付けた。

W 196 R
工場から運び出されるW196R用のマグネシウム合金ボディ

燃料噴射はボッシュ製機械式直噴。 排気量2.5Lで圧縮比13.0、256ps(翌年には280ps)。5速ギヤボックスはトランスアクスル配置としている。このためドライブシャフトは運転席の左側を貫通し、リヤのトランスミッションと結合させるレイアウトだ。

このW196はグランプリ・フォーミュラレースと、スポーツカーレースの両方に参戦することを目指し、グランプリ用はW196R、スポーツカーレース用はW196Sというコードナンバーが付けられている。なお当時はグランプリ・フォーミュラレースでもクローズドボディが認められていたが、1954年のシーズン途中からオープンホイール・ボディに変更している。グランプリ・フォーミュラカーもW196S(300SLR)も、戦前からのナショナルカラーのシルバーに塗られ、シルバーアローと呼ばれる。

w196

1955年にメルセデスは300SLR(3.0L直列8気筒エンジン)によって世界スポーツカー選手権を制覇する。この300SLRは先行した300SLとはまったく異なり、W196Sの車名だ。300SLRのエンジンはアルミ製シリンダーブロックに進化し、排気量もグランプリカーより500cc多い3.0L/310psとしている。

3.0Lエンジンを搭載したスポーツカー選手権用の300SLR。
3.0Lエンジンを搭載したスポーツカー選手権用の300SLR。

この300SLRはル・マン24時間レースでは、ストレートから急減速するときにドライバーがレバーを操作すると、リヤカバーが跳ね上がるエアブレーキを装備していた。しかし、1955年のル・マン24時間レースで300SLRは多数の観客を巻き添えにした大事故が発生したため、ダイムラー・ベンツ社はモータースポーツからの撤退を決断し、300SLRはわずか1シーズンでサーキットから消えて行った。

ダイムラー・ベンツ社は、まだ経済的な混乱が続いていた戦後10年足らずの間に高級車を開発し、さらにモータースポーツの世界で圧倒的なパフォーマンスを発揮するレーシングカーを開発したことにより、どの自動車メーカーよりも早く高級プレミアムメーカーとしての地位を確固たるものにすることができたということができる。

ページのトップに戻る