【メルセデス・ベンツ】新型Sクラス 最善か無か。蘇るかSクラス神話 W222型誕生 vol1

メルセデスベンツの最高級車Sクラスがフルモデルチェンジした。2013年の6月にドイツ・ハンブルグでワールドプレミアが華々しく行なわれたが、そのワールドプレミアはビッグサプライズの連続だった。それはどんな驚きなのか。発表会と試乗会に参加した清水和夫氏がレポートする。

間もなく国内導入される新型Sクラス

そもそもメルセデスとはどんなブランドなのか

誰が見ても威厳があり、高級車の名を独り占めしてきたメルセデスベンツ。そのシリーズの中でも最高級車がSクラスだ。最近はコンパクトなA~Bクラス(前輪駆動)の開発も熱心だが、メルセデスはもともと大きなエンジンを積む高級車が得意であった。その意味ではSクラスこそ、メルセデスの真髄を発揮するモデルである。

メルセデスはダイムラー・ベンツ社(現在はダイムラー社)が持つ高級車、つまりプレミアムブランドである。少し前まではマイバッハというロールス(BMWの傘下)と比肩するウルトラ高級車を開発販売していたが、このビジネスはロールスに軍配があがり、ダイムラー社はオーバー5000万円のクラスから撤退することになった。プライドが高いダイムラーの関係者にとっては苦渋の選択であったはずだ。マイバッハなき後はメルセデスがダイムラーの最高級ブランドとなったので、そのトップモデルでありプレステージ・クラスのSクラスは失敗が許されなかったわけだ。

 

100年以上続くダイムラー社のプレステージカー&「Sクラス」の歴史

ところでメルセデスというブランドはいつ誕生したのだろうか。Sクラスを正しく理解するために、少しメルセデスの歴史を振り返っておきたい。2013年の今から約113年前にダイムラー社のクルマを販売していたエミール・イェリネック(Emil Jellinek )は「ダイムラー」という硬いドイツ発音の名前ではクルマは売りにくいと考え、自らの娘の名前である「メルセデス」を車名とした。モナコを中心に販売ビジネスをしていたエミール・イェリネックは自らステアリングを握り愛娘の名前をつけた「メルセデス」でレースに参戦していたのだ。こうした歴史からメルセデス・ブランドには「軽く・速く・美しい」というDNAが刻まれている。

メルセデスという車名になったメルセデス・イェリネック嬢

 

 

二人のガソリン自動車の生みの親、ダイムラーとベンツ

さて、このブランドは「ベンツ」や「ダイムラー」という名前との関連性についてだが、これは1886年に二人の天才技師が偶然にも同じ時期に同じ場所でガソリン自動車を考案したのだ。当時はまったく別の会社であり、むしろライバル関係にあった。その一人であるゴットリープ・ダイムラーはガソリンエンジンを発明したニコラス・オットーの研究所に従事していならが、ガソリンエンジンを搭載した四輪自動車を考案した。

1885年にカール・ベンツが製作し特許を取得した3輪自動車
1886年にゴットリーブ・ダイムラーが製作した4輪自動車

 

 

一方、カール・ベンツはガソリンエンジンを搭載する三輪車を考案するが、ステアリングなどの現代の自動車に近いアイディアも織り込まれていた。つまり、ニコラス・オットーがガソリンエンジンの産みの親であり、ゴットリープ・ダイムラーはそのガソリンエンジンを積んだ四輪車を考案し、カール・ベンツが三輪車を考案したのである。

戦前のメルセデス・ベンツの頂点「770」(グロッサー・メルセデス)。直列8気筒・7.7Lエンジンを搭載

産業革命でイギリスが蒸気機関を発明するものの、もっと効率がよくパワフルな内燃エンジンは天才的なドイツ人によって考案されたのである。ちなみにマイバッハというエンジニアはニコラス・オットーとともに4サイクルガソリンエンジンの理論を打ち立てたエンジニアとしても有名で、1886年以降はダイムラー社でその実力を発揮したのである。話は飛ぶが、オーストリアにあるダイムラーの会社(アウストロ・ダイムラー)の主任技師があのフェルディナント・ポルシェであったから、ダイムラーとベンツのDNAは生粋の技術集団であることが理解できる。

時は1926年、世界を震撼させるほどの大恐慌が起きたが、ドイツでは外資からの買収を避けるために、好敵手だったダイムラー社とベンツ社が合併することになった。こうして生まれた「ダイムラー・ベンツ社」は戦後もドイツを代表する高級車メーカーとして君臨した。国民車のフォルクスワーゲン、高級車のメルセデスと90年代までは棲み分けていたのだ。そしてメルセデスは戦前のグロッサー・メルセデス、戦後のメルセデス600(W100)をその頂点に置いていた。

「最善か無か」の象徴的存在、メルセデス600(W100)。1963~1981年に販売された

 

メルセデスの開発哲学「最善か無か」

少し前までは高級車のセグメントではメルセデスSクラスが絶対的な優位を誇ってきたが、最近ではBMWやアウディもこのプレステージクラスに割って入ってきた。日本ではハイブリッドを武器とするレクサスLS600hがSクラスの宿敵となった。伝統や格式を気にしないライフスタイルを持つユーザーの間では「メルセデスを年寄り臭い」と見ている傾向が強まってきている。

W108/W109の後継モデルとして登場したW116(1972年)が初めて「Sクラス」と命名された

ダイムラー社のディェター・チェッチェ会長はユーザー層が高齢化したメルセデス・ブランドに危惧を感じていた。また環境面では大きなエンジンとボディを持つ高級車には逆風も吹いている。このような時代の変化の中でどんなSクラスを開発すべきなのか、声が枯れるほど議論を続けたという。こうして得られた結論は洗練性と先進性を高めることで存在感を取り戻そうというものだった。

「最善か無か」というクルマ造りにおけるメルセデス流の哲学は、クライスラーと合併した2000年以降はあまり聞かなくなった。グローバル化を推し進めるには邪魔な哲学だったのだろう。しかしクライスラーと離縁し、昔のダイムラー・ベンツ社のように生粋のドイツ経営が復活すると、ディェター・チェッチェ会長指揮の下では「最善か無か」という哲学が戻ってきた。そして技術者魂を見せるべく新型Sクラスには最新のテクノロジーが投入されたのである。

S 500, Magnetitschwarz met., Leder Seidenbeige

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