【言いたい放題コラム】第6回 クルマが面白くない? その理由を考える 繁浩太郎

クルマが面白くない? イメージ写真

こんにちは、繁浩太郎です。今回のテーマは「クルマが面白くない時代。なぜ楽しくないか?」です。

難しいテーマですが、目線を変えてみれば気づくことがありますよね。そこでちょっと、私の話を聞いてください。きっとわかることがあると思います。

日本では、もう10年以上前から「最近のクルマは面白くない」とユーザーにもモータージャーナリストにも、はたまた造っているメーカーの人間からも「私が買いたいクルマがない」と言っている声を私はよく聞きました。つまり極端に言うと、クルマに関わっている人全員?「クルマは面白くない」と思っているのかなと…。モータージャーナリストも誌面等では「良くなった、良いクルマ」と言いながら、個人になると「面白くない」というのです。

そんな中で、「車離れ」とかが世間で話題にされても、かえって違和感を覚えていましたが、つまりクルマに関わる人が「面白くない」といっているものを「他の一般ユーザーが喜ぶ」はずはないですよね。じゃ何故そうなっていったのでしょうか?考えていきたいと思います。

スマートフォンと自動車

クルマ作りの進化
カーメーカーは新型車やモデルチェンジ毎に、時代にあった、あるいはリードするデザインをあたえ、性能的にも進化させてきました。

性能面で考えてみても、あらゆる速度で、乗り心地良くて、音も静かで、振動も少なく、快適で…ホント応接間が移動するようなクルマ。少し荒れた道路でもスゥ~っと滑るように走る。こういうことを目指して、カーメーカーはクルマ造りしてきていますし、モータージャーナリストの方々も、「今度の○○は良くなった」と評論してきました。勿論、ユーザーも「今度のクルマは静かで、乗り心地よく、快適!」と評価してきました。だから、ユーザーにとって良い方向で進化してきているはずなんですよね。

まぁ、右肩上がりの成長が世の中で普通だった頃には、クルマだけでなく全部がそうだったと思います。昨日より今日、今日より明日は必ず「成長」する。全てが右肩上がりの「成長」感覚で、成り立っていたんですね。

今は右肩上がりの世の中ではなくなりましたが、ただ右肩上がりのクルマ造り自体は悪いことでありません。その方向性、何を進化させるかが大切なのでは、と考えます。つまり「進化」と思ってやってきているのに、結局「つまらない」と言われるのは、簡単にいうとユーザーの真底の価値観と造る側の価値観がずれているということです。

もう少し具体的に言うと、作り手は本当のマーケティングをせず、表面的な「ユーザー対応」だけで、結果「ユーザーを退屈させてしまっている」のではないかということです。ユーザーに「買って喜んでもらう」ことを本気で考えていない、ユーザーへの「想い」を持っていないと言うことではないかと考えます。

何故こういう方向に進化するか?
造っている方の言い分はマーケット調査して、どんなクルマが欲しい?とユーザーに聞くと、「質感があって、静かで、乗り心地良くて、快適で、燃費良くて…」と答えるし、競合車を比較しても、毎モデルごとにこういう性能は確かに良くなっているし、「全て良くしなきゃいけない」というところでしょうね。さらに、右肩上がりの価値観に慣れた人々の「当たり前」でもあるんですね。

一方、実際に造る開発チームの方はコストの壁もあり、かつユーザーの価値観も考えて、例えば「今度のモデルの騒音性能はキープにしておこう」と考えて造った時に、モータージャーナリストからは当然「うるさかった」と指摘され、買ったユーザーからも「なんだかうるさいよ」と、進化が無いと指摘されます。まじめなカーメーカーの開発者は必然的に、次のモデルでは「今度は指摘されないように造ろう」と考えます。

これらの一連のことも決して悪いことではないのですが、この場合の本質は、全部良くすることがユーザーのためか? つまり、「本当にこのうるささで「ダメ」なのか?」ということです。

うるさいものはうるさいと皆さん言います。しかし、それを言葉通り真に受けて、「じゃ静かにします」と言うのが、本当にユーザーや世の中の人の事を「想った」結果でしょうか?それより本当は、何をしてあげればユーザーは喜ぶか?と言うことをしっかりと「考察」「想う」ことが必要なのではないでしょうか。

ダイハツ イメージ写真

 

ユーザーの価値観を考えてみると
クルマ=生活必需品。「安くて良いもの」という価値観のユーザーさんも多いと思います。クルマが浸透し成熟期を迎えた20年程前から目立って見うけられるようになり始めました。つまり、できるだけ安くて、手がかからなくて、でも良いものでないと…という価値観。

さらに、よく言われるように「クルマは服みたいなもの」つまり外へ着て出る、外見でこういう人と思われる、いくら「安くて良いもの」で十分と思っている人でも、そういう人達の真底を考えてみると、何でも良いということにはなっていなくて「人並み」「ソコソコ」「恥ずかしくない程度」という価値観はあります。

また、クルマに興味ある、クルマ好きという人から先行層(マーケットをリードする)の人にとっては、今のクルマは「どのクルマもこの方向?」「クルマとして良くはなっているけど、何かモノたりない」つまり新しい発見・個性等がないから、面白くない、つまらないとなっているのではと思います。

クルマに対して「恥ずかしくない程度」というような消極的な価値観の人達に、もし「このクルマはこんなになってんだ!」とかクルマもモノですから「カッコいい!」とか、「走ったら面白かった!」とか感じてもらえれば、「驚きの価値」として、これこそ「ユーザーの価値観を超える商品」「買う側のユーザーが気づいてなかったけど、商品を目の前にして、買って、使ってみてわかる価値のある商品」になるのではないでしょうか。こういう商品にふれて、感動しないユーザーはいません。

クルマは「楽しい」もの
ユーザー層が違ってもクルマにはあるはずの「クルマの楽しさ」という観点で考えてみましょう。

クルマの楽しさ イメージ

「クルマは楽しい」「クルマ好き」という人達には、クルマに対していろいろな感情があると思いますが、一番はやはり「非日常」体験に魅力を感じているのではと思います。

昔、巨人軍の王選手が試合の後「嫌なことがあってもいいクルマで首都高を飛ばして帰るとスッキリして、気持ちを切り替えられる」と言っていました…・古過ぎ? 子供が歩くようになって、次はプラスチック製の押せばコロコロと動く子供用クルマに乗せて、坂を歩く速度より早く走らせると、ほぼ全員大喜びします。また、私も初めて免許を取得しクルマを手にした時、どこまでも道が続く限り走り続けることができ、未知の場所へも思いのままに移動できる自由を手に入れた感動は今もはっきり記憶しています。

クルマには基本的に人間の倍力装置としての凄さ、楽しさ等があります。クルマが楽しくないと言うのは、こういうことを感じていないのではないかと考えます。

愛車という言葉 イメージ

又、クルマは「愛車」と言ってもらえる「愛」がつく数少ない「モノ」ですね。名前を付ける人もいます。本当は、愛車と呼ばれるのは自分と違う一つの個性として、認める。つまり、クルマに対して「こういう奴」という個性化をして相棒又はペットのような感覚でつきあえる。その多くは、小手先ではなく、作り手の想いを込めたデザインに表現されますし、全て良くすることとは異なる性能にも表現されます。そういうことができるモノって、やはりクルマしかないし、できるからクルマなんですよね。

先ほどの例のように「うるさい」と言われて対策して、全部良くしていくということは、商品に個性が無くなるということを意味して、個性がなくなると人は「愛車」と呼ばなくなることを意味します。

コンピュータでできたようなデザインには愛着より冷たさを感じます。また、性能も全て良いという応接間の延長のクルマじゃ「非日常」と逆ですよね。

今、大きく「非日常性」と「個性」の無さがクルマをつまらなくしていて、あらゆるユーザーを満足させることができず、結果「今のクルマは面白くない、つまらん」と言われる大きな要因となっているのではと感じています。

これからのクルマが進む方向は?
ヒントは、最近のスバルやマツダです。

彼らは、「まずは、ソコソコ好きなユーザーから入ろう」という考えでユーザーターゲットを定め「非日常」や「愛車」を上手く取り入れ、それが広がり初めています。トヨタも「規模や量を追って株主に良い会社と言われることも良いが、ユーザーに良いクルマ造っている会社と言われたい」と言っています。

マツダ

これは、大きな価値観変革ですね。とにかく大トヨタも企業運営のハンドルを大きく切ったということになると思います。つまり、端的に言うと、クルマに興味の無い人にまで「トヨタは良いクルマを造ってる会社」と言ってもらおうと考えているということですね。

ユーザー全体として本当は何を求めているか?その為には「ユーザー対応」だけのマーケティングでユーザーを退屈させるのでなく、「本質マーケティング」でユーザーの真底の本音をさぐり当てなければなりません。「クルマは楽しい」と言ってもらうためには、どの層のユーザーにも「愛車」とか「楽しい」とかの価値観があって、その層なりに感じる「個性」と「非日常」を核に商品造りしていけば、ユーザー全体として「クルマは楽しい」と言ってもらえるのではないでしょうか。

これはコモディティ化(平準化)してきているクルマの商品造りの中で大変難しいことですが、難しいからこそやれば、ユーザーにも作り手にも「クルマは楽しい」と感じてもらえると考えます。それが結果、ユーザーの本質価値観に響いて、つまり心をうって、「数」に繋がると考えます。

COTY
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