【舘さんコラム】2020年への旅・第27回「次世代車をめぐる旅 その6 番外編 東京モーターショーに見る資本主義の終焉」

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マツダ・ロードスター ディーゼルはさすがに載せなかった

ここ10年ほど、各自動車メーカーは東京モーターショーで明確な進路を示せないでいた。新しい提案がなく、会場は湿りがちであり、来場者も減った。ところが今回は、明確な進路を示していた。3つの進路があったと思う。

1つは、時代の要請にしつかり応えよういうコンセプトであり出展だ。これは後述するようにさらに2つに分かれる。3つめは、原点に回帰しようというものだ。Old fashioned love carといってもよい。新しい進路ではないが、自動車は資本主義と共にあることを明確に示したプレゼンテーションがあった。トヨタの豊田章男社長の示した「WOWS(ワオ)」(驚き、感動)である。これぞ自動車の原点であることを忘れたところに、現代の苦悩があるといってもよい。

過去の栄光を振り返る

さて、進むべき道がわからなくなったとき、人は過去を振り返る。日本の自動車産業の過去は、栄光に包まれている。経済は拡大に次ぐ拡大を遂げ、自動車産業は日の出の勢いで成長し、給料がうなぎのぼりで上がって、人々は先を争って自動車を買った。良い時代であった。

その輝かしい成功体験で自動車を考え、提案してみようというのが、東京モーターショーにおけるマツダとホンダだった。いずれもエンジンを前面に打ち出してのプレゼンテーションであった。マツダは、販売台数はともかくブランドイメージを高めたロードスターを中心に、各種のエンジン車を展示した。だが、圧巻はプレスデーのロータリー復活宣言である。「ブオーン、ブオーン」とロータリー・サウンドを響かせてのプレゼンテーションであった。私を含めて昭和の自動車ファンには熱いものがこみ上げた。

ロータリー車は、サーキットでスカイラインGTRと血のたぎる熱戦を繰り広げ、ル・マン24時間レースで国産レーシングカーとして初めて優勝した。まさに栄光の国産車の1台である。だが、時代はロータリーエンジンに環境保全に対応するよう求めた。燃費が悪く、CO2も多いロータリーは時代の要請に応えられず、販売の幕を下ろした。しかし、現代のエンジン技術をもってすれば、排ガスもCO2も少なくできるという。これはル・マンで勝つよりも厳しい挑戦かもしれない。

エンジンにこだわったのはマツダだけではない。ホンダである。ニュルブルクリンクでFF車最速をマークしたシビックRを頂点に、ずらっとエンジン車を並べて見せた。そして、会場で人気を博したのは、軽自動車のスポーツカー、S660だ。これもターボチャージャーを付けたエンジン車だ。

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ホンダS660 ホンダ・サウンドが爆裂する

ホンダは現在、日本勢でただ一人、(エンジンで)F1を戦っているが、1964年から数次にわたるF1への挑戦こそホンダをホンダたらしめる栄光の日々であり、それを支えたのは、彼らの作り上げたホンダ・サウンド=エンジンだった。ホンダとはエンジンの代名詞なのだ。
市場にフロンティア見出すのが困難なこの時代に、過去の栄光に活路を見出そういうのは、確かにひとつの手である。過去に資本主義が行き詰ったとき、何度も繰り返された手法だ。そうして資本主義は延命してきたのである。

しかし、過去という過ぎ去った時間にマーケットはあるのだろうか。資本主義は時間を先取りすることで拡大、成長してきた。そもそも投資とは、その企業の将来の成長を見込んだものであり、未来の収奪である。収奪量が多いと見込まれれば、さらに資本が投下され、金利が上がる。

ときに過去をマーケットにする場合もあるだろうが、それは未来の収奪が困難になったこと以外の何物も示してはいない。マツダとホンダの提案には、資本主義が終焉に向かう中で未来に対する展望が期待できない中での苦悩を見ることができる。

確かにロータリーもスカイアクティブという現代の技術を使えば、排ガスもCO2もクリアーできるかもしれない。だが、自動車とは隣人に欲望して買うものなのだから、果たして新型ロータリーに隣人が欲望するかどうか。見極めが大切だ。
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ポルシェのプラグイン・ハイブリッド車 パナメーラ
ポルシェのプラグイン・ハイブリッド車 パナメーラ

モーター駆動という新しい欲望の点火

資本主義下では、隣人はより新しいもの、より速いもの、より大きなものに欲望するよう仕向けられてきた。では自動車はどんな欲望を作り、資本主義を延命してきたか。GMのアルフレッド・スローンは、米国の庶民をT型フォードに飽きさせることに腐心した。そして発案したのが、矢継ぎ早のモデルチェンジという「新しさ」の魅力であった。そして「速さ」と「快適さ」と「便利さ」を次々に加えていった。

それから100年。自動車は十分に速くなり、遠くに行けるようになり、快適に、便利になった。スローンの仕掛けた資本主義的市場開拓の終焉である。そして、この病の最初の患者が日本の自動車ユーザーであった。自動車離れとは、いわば資本主義的市場開拓に魅力を感じなくなったということなのだ。

だが、そんなことでへこたれていては、多くの労働者諸君を食わせられない。そこに登場したのがモーター駆動という新たな資本主義的顧客吸引装置であった。仕掛け人はプリウスである。最初にモーター駆動の楽しさと魅力を知らしめたのは、世界初の量産ハイブリッド車のプリウスだった。そして、初代よりも二代目は、より多くモーターで走れるようにEボタンさえ付けた。そして、三代目にはモーターだけで20km近く走れるプラグイン・ハイブリッド車をラインアップした。

カイエン・プラグイン・ハイブリッド車
カイエン・プラグイン・ハイブリッド車

そして、燃費の悪いSUVや大型高級車の多いドイツ自動車メーカーは、CO2規制の厳しさに音を上げて、一斉にモーター・パワーに宗旨替えした。プラグイン・ハイブリッド車である。いうまでもなくモーター駆動は振動が少なく、静かである。そればかりかどんなエンジン車も勝つのがむずかしい圧倒的な加速が素晴らしい。電気自動車ユーザーの90%が再び電気自動車を購入する最大の理由はここにある。

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アウディが送り出すプラグイン・ハイブリッド車

「新しもの好き」の自動車ファンは、モーター駆動を選ぶだろう。そうしてモーター駆動に洗脳された隣人が次から次に生まれ、その隣人に欲望する新たな消費者が生まれるのだ。自動車離れの昨今、販売トップの座に輝いているのは、プリウスであり、アクアである。これはモーター駆動という「新しさ」が消費を牽引していることに他ならない。エンジンは、排ガスとCO2をいかに低下させようが、モーター駆動に洗脳された隣人たちを再びエンジンに回帰させる力をもっているだろうか。自動車は資本主義の産物であり、資本主義を延命させてきたのは「新しさ」だったことを忘れてはならない。
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BMW プラグイン・ハイブリッド車 i8
BMW プラグイン・ハイブリッド車 i8

環境・エネルギー対応車に欲望するのか

ところで、時代は、自動車に排ガスとCO2の低減という環境問題と、石油エネルギーからの転換という2つの課題を突き付けている。この課題に正面から取り組もうというのが、もう一つの進路である。問題は、こうした時代の要請に応えるだけで欲望は生まれるのかということだ。たしかに流行という時代の要請に巧みに答えることは、資本主義を延命させてきた。資本主義は「流行」をうまく取り込んで延命したのだ。しかし、環境・エネルギー問題は「モード」ではない。その意味で資本主義とは無縁なのである。したがって、これらに応えたところで、欲望は生まれず、資本主義的自動車産業は延命できない。

BMW プラグイン・ハイブリッド車 X5
BMW プラグイン・ハイブリッド車 X5

そのことを知っているのか、欧州勢はクリーンではあるが、資本主義的魅力に欠けるハイブリッド車には見向きもしなかった。だが、解決すべき環境・エネルギー問題は山積していた。ディーゼル車の経済性の良さと加速感で人々を酔わせている間に、ドイツ勢はハイブリッド車に資本主義的魅力を植え付けた。プラグイン・ハイブリッド車である。

BMW プラグイン・ハイブリッド車 2シリーズ
BMW プラグイン・ハイブリッド車 2シリーズ

ドイツメーカーは、ずらりとプラグイン・ハイブリッド車を並べて見せた。これであれば退潮を余儀なくされているディーゼル・エンジンよりも、排ガスもCO2も少なく、EUの規制も米国のZEV規制もクリアできる。

BMW プラグイン・ハイブリッド車 3シリーズ BMWはすべてのモデルにプラグイン・ハイブリッド車を投入する
BMW プラグイン・ハイブリッド車 3シリーズ。BMWはすべてのモデルにプラグイン・ハイブリッド車を投入する

そればかりか、それらはみな一度味わうと忘れられなくなる高性能の持ち主なのだ。
VWが先鞭をつけたダウンサイジング・ターボは、アクセルペダルを踏んですぐにパワーがもりもりと盛り上がるわけではない。プラグイン・ハイブリッド車はここをモーターが補う。アクセルペダルを踏んだ瞬間にタイヤに駆動力がかかる。しかもそれはタイヤをその場で空回りさせるほどの力なのだ。

次の瞬間、今度はエンジンとモーターを合わせた壮大なパワーで車体を牽引し、ドライバーを天に昇るような気持ちにさせる。これを味わったら、もうプラグイン・ハイブリッド車の虜である。ハイブリッド車でモーター駆動の魅力を知った日本のユーザーの多くは、またたくまにドイツ製プラグイン・ハイブリッド車の虜になるに違いない。プラグイン・ハイブリッド車は、環境・エネルギー対応の資本主義的解釈に成功したようだ。

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