Mr舘内登場
エッジ舘野がシュツッツガルトで会った舘内端は、そのメーカーの最高級車であるフラッグシップの試乗会にしか行かないという。エッジ舘野は、そんな舘内を「わがままジジイだ」という。
しかし、寄本も鈴本も訳がわからず、エッジ舘野が何をいいたいのか、舘内の何がわがままなのかわからなかった。
「あのね。試乗会もピンキリなのよ。一番安い新型車の試乗会は、ホテルも飯も庶民的なの。ところがそのメーカーで一番高いクルマ、フラッグシップの試乗会になるとホテルは5つ星、飯はミシュランの星付きで、最高級なわけだ。あいつはいつのまにか贅沢になって、高級なホテルと旨い飯の出る試乗会しか行かないの。嫌味だね」エッジ舘野が知ったかぶりをして言った。
舘内は、若いころには1ヶ月に三度も四度も海外試乗会に行って、ピンキリを経験していた。67歳にもなったのだから、少しは楽をさせても良かろうとエッジ舘野は付け加えた。
「それでS500プラグインハイブリッドの試乗に行ったのですね。S500はメルセデスのフラッグシップですものね」鈴本がそういって相槌を打った。
「そういうわけじゃないとは思うよ。彼は代表をしている日本EVクラブ主催のラリー白馬を9月6日、7日とやって8日に撤収し、その足でドイツに飛び立っている。67歳のご老体にしてはとんでもなくハードな日程だ。しかも一泊三日という大急ぎの旅だったのだ。旅が好きか、よほど興味がなければいかないだろう」
「で、舘内さんの興味はなんだったのですか」
高級車はみんなPHEVになる
「ぼくもシュツッツガルトに行ってたんだが、偶然帰りの飛行機が舘内と同じANAの787でね。余談だが、あれはビジネスクラスのシートがフルフラットになる。とても具合がいいんだ。それはともかく、彼と話し込んだ。彼は、これからしばらくはプラグイン・ハイブリッド車の全盛期になるという」
エッジ舘野と舘内のこの話を裏付けるようにメルセデス・ベンツのトーマス・ヴェーバー博士は、「とくに大型の高級車はみなプラグイン・ハイブリッド車にならないと、2021年の二酸化炭素排出量規制をクリアーできない」という。
そうした事情に詳しいエッジ舘野は次のように言う。
「2021年には、企業平均で二酸化炭素排出量は1kmあたり95gになる。これは日本流の燃費に換算するとリッター24.2kmだ。ただし、これはNEDCと呼ばれるEUの測定方法だから、日本のJC08ではリッター31kmほどでないとダメだ。そのメーカーの販売した乗用車の販売台数をかけた平均二酸化炭素排出量が95g、つまりリッター31kmというわけだから、現在の能天気な日本メーカーではとうてい到達不能な値だ」
「ヨーロッパは二酸化炭素排出量に敏感というわけですね」と、鈴本が訊いた。
「うん。そうなんだ。そのへんを舘内に聞くと、地球温暖化に対する感度というか、重要度の認識が、日本のメーカーとヨーロッパのメーカーでは、豚と真珠ほど違うんだって」
「豚と真珠って喩が違うのでは....」
「ほら豚は温暖になっても生きられるけど、真珠は海水温に敏感だろう? えっ、やっぱりおかしいか。とにかく日本のメーカーが全部というわけじゃないが、よくわかっているメーカーと、まったく地球温暖化に鈍感なメーカーの温度差は百度はあるってこと」
「そうですよね。トヨタは地球温暖化を危惧して、97年にハイブリッド車の初代プリウスを出したわけだから…」
鈴本がそういって、その他の鈍感なカーメーカーの名前をSだの、Mだの、Dだの、Fだのといったが、聞き逃した。
「で、メルセデスはどうするんですか?」。寄本が口を開いた。
「最良か無か」という自動車造りの思想を持つメルセデスの考え方を知れば、それは現在において最良の戦略ではないか。それをぜひ知りたいというのだ。
「それを訊きたくてハードスケジュールの中、シュツッツガルトまで行ったと舘内は言っていたぞ」とエッジ舘野が答えた。
舘内が言うには、メルセデスは燃料電池車を除いて、かつて発表したロードマップにしたがって、戦略車種を出しているという。戦略の概略はこうだ。
まずディーゼル車の排ガスをクリーンにして大量に販売し、企業平均で二酸化炭素排出量を削減した。次に用意したのがハイブリッド車だ。ガソリンとディーゼルのハイブリッド車をSクラスに用意した。
続いて全カテゴリーでエンジンの小型化、ダウンサイジングを行なった。そして現在、パナメーラには先を越されたが、S500のプラグイン・ハイブリッドを用意したというわけだ。さらに近々にCクラスのプラグイン・ハイブリッドモデルを用意するという。
メルセデスの燃料電池車戦略は…
「燃料電池車はどうですか。影が薄いんですか」。すかさず寄本が訊いた。
「舘内がThomas Weber博士に訊いたところ、『燃料電池車は次世代車のワン・オブ・ゼムだ。開発にはもっとスピードが必要だ』ということだ」
「90年代の初めのころにくらべるとトーンダウンですね」。燃料電池車が嫌いな鈴本が感想を述べた。
「うん。ぼくが調べたところでは、ヨーロッパのメーカーはみんな燃料電池車には懐疑的だよ。みんなはっきりとはいわないけどね。開発しているメーカーもあるけど、メルセデスのように数ある次世代車のひとつの回答に過ぎないという言い方になっている」
「日本のメーカーはどうですか」「トヨタが焦っている。理由は分らない。ホンダと日産は、トヨタがやるんじゃ、うちもやっておくか程度のお付き合い」だとエッジ舘野が言った。
「舘内さんの見解は?」
「うん。はっきり言わないけど、水素の製造で排出される二酸化炭素の量を加味すると、燃料電池車はガソリン車よりも二酸化炭素排出量が多いのが気になるといっている。地球温暖化防止が燃料電池車開発の主目的だとすると、むしろ反対の結果になるって」
「じゃあ、それでもトヨタが燃料電池車にこだわるのは…」。鈴本が一番気になっていることを訊いた。
「オレだって知りたいよ。舘内に訊くと、『ぼくだって20年前に電気自動車がこれほど進歩するとは思わなかった。だからそこら中でバッシングにあって、夜も寝られず昼寝をしたほどだ。出る釘は打たれるというか、コペルニクスだね』って言っている」
「地動説を唱えたコペルニクスは、宗教裁判にかけられましたね。彼の説が教会から認められるまでに450年近い年月が必要だったことを考えると、燃料電池車も認められるには相当の年月が必要ですか」
「うん。ヤツは燃料電池車が普及するとしても、20年から30年かかるし、それはトヨタも覚悟しているはずだってね。でも、現在の問題である二酸化炭素排出量の多さと、水素ステーションのコストの高さと、ステーションを含めた燃料電池系の耐用年数の短さが、純粋な技術の問題だとすれば、いずれは解決できる。それまでは判断できないって。ただし、それらが水素の分子、原子レベルの問題、つまり水素の特性から来る問題だとすると、技術を進歩させたところで解決できず、水素社会は壮大な夢で終わるといっている。水素そのものがまだよくわかっていないんだって」
「技術を進歩させても解決できないっていうのは…」。鈴本は重ねて訊いた。
「舘内はこう言っている。たとえば原発の核廃棄物の問題でいえば、高レベル放射性廃棄物に含まれるプルトニウム239はいかに廃棄技術を進歩させたところで、2万4100年という半減期は変わらない。ネプツニウム237に至っては214万年だ。半減期はその物質の特性であって、技術では解決できない。そういうことが燃料電池の燃料である水素にあるのなら、それは技術進歩では解決できないと」
「そうですか。一方で技術進歩で解決できる問題もある。それは現時点では判断できないから、とりあえず研究しておこうというのが、トヨタ以外のメーカーの燃料電池車開発のスタンスですね」。鈴本は、妙に納得していた。
こうしてエッジ天才舘野を囲む自動車夜話は続いていった。メルセデスS500の話は、次回に佳境を迎える。乞うご期待。