【舘さんコラム】2020年への旅・第2回「充電の旅シリーズ2 電気自動車で旅をしようが勝手だろ」

20130924出発式
2013年9月24日に行われた、EV日本一周の出発式。はたして日本を一周できたのかどうか…

前号では、「電気自動車は2ヶ月あまりで日本を1周できるだろうか」というクイズを出した。答えは、A.できない、B.できる、C.充電インフラがないからできない、の三択であった。ちなみに沖縄を除いて全都道府県をぐるっと回ると、およそ8000kmある。

クイズの正解はさておき、電気自動車はそもそも日本を1周するような自動車なのか、という疑問がないわけではない。

というのも、某メーカーと某メーカーの次世代車の担当者は、「電気自動車は市街地で走るもの。長距離は他の自動車(たぶんハイブリッド車や燃料電池車など)に任せておけ」というのである。つまり、電気自動車は近距離走行車(シティー・コミューター)に過ぎず、ロングドライブなどもってのほかというわけだ。

電気自動車=都市内の自動車という意見にご賛成の方も多いと思う。確かに一理ありそうだ。なんたって航続距離はたかだか100~200kmに過ぎないのだから。

でも、この説に私憤を覚えて、「バカやろう。だったらオレが走ってやる」と、2009年の11月に東京・日本橋から大阪・日本橋までの555.6kmを一充電で走ってしまった強者がいた。しかも手作りの改造電気自動車でである。この記録はギネスに認定され、いまだに破られていない。

もっともテスラのモデルSの航続距離は500kmだから、上手にエコドライブするとこの記録も破られるかもしれない。いよいよ市販車が一充電で500kmも走る時代になったのだ。

それはともかく、この改造電気自動車には「そんなに走ってどうするの」というステッカーが貼ってあった。555.6kmも走っておきながら、「そんなに走ってどうするの」とは、人をバカにした話だ。しかし、当の本人に聞いてみると、「そもそも自動車で500kmだ、1000kmだと走ること自体がおかしい」ともいう。それほど航続距離を伸ばしても無意味じゃないかというわけだ。この説にも一理ある。

■アンタに決めてほしくない

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電気自動車でどこをどう走ってどこに行こうが勝手だろう、がこの旅のそもそものきっかけだった

さて、本論に戻って、自動車とはそもそもいかなる移動の道具なのだろうか。都市内を走るものなのか。それとも都市間を走るものなのか。あるいはどこにでも行けるものなのか。たとえば、自動車は都市内を走るものとして、都市間は飛行機、鉄道、高速バスといった公共交通機関を使うべきだという意見もある。

これを自転車に置き換えてみよう。答えは明らかである。都市内も走れば、ツール・ド・フランスではフランスとイタリアの国境の山々、すなわちアルプスさえも走ってしまうものなのだ。さらにランニングやウォーキングに置き換えてみよう。前号でお知らせしたように、日本橋から鈴鹿サーキットまでの470kmを2週間で歩いた狂気集団も存在したし、自動車やら鉄道がなかった江戸以前は、みんな歩いて旅をしたものだ。

ランニングといえばフル・マラソンは42.195kmも走る。しかも2時間と少しの時間でだ。これだって一種の狂気だ。上記の電気自動車=シティ・コミューター論者にすれば、許しがたいとんでもない話である。彼らにしてみれば、マラソンランナーなど「存在してはいけない人間」に違いない。

アメリカ独立戦争において、そしてフランス革命において、自由、平等、博愛の精神を獲得してからはとくに、「他人様に迷惑をかけず、公序良俗に違反しない限り、どう生きようと勝手」なことになっている。これからすれば、「歩いて日本を1周しようが、走ってそうしようが、自転車でアルプスを越えようが、自動車で500km、1000km走ろうが、オイラの勝手、どこが悪い」ということになる。「アンタに決めてほしくない」のではないだろうか。あるいは「アンタになんか決める権利はない」と、少々乱暴だが開き直るかもしれない。

■電気自動車の自由と権利
電気自動車だって同じである。電気自動車だって好きなように走る自由はある。どこへでも行く自由はある。ただし、苦労は自分持ちだと、「電気自動車の権利の章典」に書いてある。というのは冗談だ。いや、そうではなく、人間はどこへでも行く自由を保障されているのだ。少なくとも近代法治国家においては。

その権利を保障すべく自動車は生まれたし、そう思って私たちは自動車を使っているのだから、自動車メーカーはそれに答えなければらなず、政府はそのためのインフラを整えなければならない。

ということで、某メーカーと某メーカーの次世代車担当者は、「電気自動車はシティ・コミューターなのだから、都市内で走れ」といってはいけないのではないだろうか。私はそう思うのだが……。

北アフリカに生まれた原生人類は、グレートジャーニーと呼ばれる長い長い旅を経て、全世界に広がったとする説がある。なぜ人類はそんな苦労をしてまで旅をしたのだろうかと疑問になるが、原生人類たちの旅のおかげで現在の私があるのだから、もしそうだとすれば彼らと、彼らの旅に感謝しなければなるまい。

■自動車で世界の覇者となる

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電気自動車で北海道にだって行けたぞ。ざまあみろ!←誰に言ってるんだろう・笑

一方、東京大学の学生がもっとも読んだ本だとかいわれるジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を読むと、銃をもち、病原菌への耐性をもち、鉄器・鉄兵器をもった種族が生き残ったとある。それからすれば、よく移動をした民族が生き残ったという言い方もできるだろう。

たとえば、巨大なモアイ像を数限りなく作ったがゆえに、島の巨木をすべからく伐採して滅びたイースター島の種族も、移動する術を持っていて、他の島に移住できたら滅びなかったかもしれない。もっとも、移住した島でまだモアイ像を作り、森林を伐採してしまえば、再び移住しなければならないが。

日本ではかつて大和、奈良、平安と遷都を繰り返したが、そうして移動することで大和民族は滅びずに済んだのかもしれない。その理由は都市の環境悪化と木材を中心とするエネルギーの枯渇にあっとする説もある。現在の地球もまったく同じで、このまま環境を悪化させ、化石エネルギーを使えば、人類はまるごと滅びかねない。えっ、他の惑星への移住という手があるってか? ウーン。

話を戻すと、先のジャレド・ダイアモンド説に従えば、自動車という移動の道具を上手に使った民族が世界の覇者になる。事実、欧米と日本という先進国はすべからくモータリゼーションを受け入れ、拡大することで世界の覇者となった。だからアジア勢もモータリゼーションを受け入れ、拡大するのだ。

むずかしい話はともかく、人類は何をするかわからない動物だということだ。ということで(何が「ということ」だかわからないが)、電気自動車で日本を1周しても誰に怒られるわけでもないという結論に達した。

で、前号のクイズの答えである。正解はBだ。56日で(沖縄を除いて)日本を1周した酔狂な集団がいたのだ。

なぜ? どんな電気自動車で? だれが? ハプニングは? 電欠は? といったおもしろそうなことは次回のこのコラムにて書こうと思う。

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