のきなみの低金利にあえぐ世界
住宅金利が安い。固定型か変動型かで変わるが、およそ0.6%から1.6%だ。ちなみに私の親戚がバブルの始まる直前の1988年に都内で5000万円の戸建てを買ったときは、金利はなんと17%だった。おかげで2億円も借金を抱えることになったと嘆いていたが、バブルが吹っ飛ぶと金利も落ち、借り換えてホットしていたが、それでも5.5%ほどだった。
昭和40年代(1965年)は、20代の若者でも勤め先さえ確かであれば、住宅ローンを組めた。しかも、金利がどんどん上がっていく時代だったので、物価も上がり、ローンを返し終わる頃には家と土地の価格が2倍になった。実質的には、半分の価格で家と土地が買えるといわれた。第一次高度成長の終わりの頃のことである。
現在のというよりも少し前の中国がそうだった。講演を頼まれて海南島にいったときのことだ。4,5年前のことである。講演会場のリゾートに行くときに見かけた街中の看板の家の値段が、3日ほどして帰り道に覗くと1.5倍にもなっていた。恐ろしいほどの不動産の上昇である。米国では、雇用情勢が上向いたことでFRB(連邦準備制度理事会)が12月に金利を上げるのではないかと騒がしい。
つまり、景気が良いと金利が高くなるということだ。当たり前の話である。言い方を変えると、これはまだ投資先があるということだ。もう少し突っ込むと、まだ発展する余地がある。あるいは発展する余地のあるフロンティアが市場にあるということである。
一方で金利が低いままの状態は、なかなか投資先が見つからない。あるいは見つかっても発展の余地が少なく発展の力が弱いということになる。もし、世界中で金利が低いままだとすると、世界に発展する余地のある未開の地がもうないということになる。
事実、その通りであり、先進国の中央銀行の金利は、米国が0.250%、欧州が0.050%、日本銀行が0.100%だ。ちなみにスイスはマイナス0.750%。お金を銀行に預けると減ってしまう。一方、アジアではインドが5.75%、中国が4.35%、インドネシアが7.50%と高いが、台湾が1.875%、香港が0.500%と、開発がほぼ終わっているアジアの国の金利は低めである。
ということで、先進国にはもう市場のフロンティアはなく、アジアのいくつかの国にしか残されていない。そこに投資先を失った世界中の金融資本が雪崩を打って流れ込む。そして、バブルが起こり、やがて崩壊する。アジアの金融危機はついこの間起きたばかりだ。
「えっ、アフリカが残っているって?」 その通りだ。
逆にいえばもうそうした所しか未開の地、市場のロンティアは残っていない。だが、果たして投資の効果があるのかどうかは疑わしい。次ページでは資本主義の死の兆候について考えて見たい。
利子率の低下は資本主義の死の兆候
金利、つまり利子率が低いということは、儲かるような投資先が少ないということだ。利子率が2%を下回れば、投資しても帰ってくるお金はほぼゼロである。資本主義の終焉だ。というのは、「資本を投下し、利潤を得て資本を自己増殖させることが資本主義の基本的な性質」 (「資本主義の終焉と歴史の危機」水野和夫著) なのだから。
つまり、資本を投下する先がなく、資本を投下しても資本が増えなければ、これは資本主義ではないということだ。資本主義は終焉したといってよい。ちなみに上記の「利子率の低下は資本主義の死の兆候」という小見出しは先に紹介した本の目次のタイトルそのままである。
実は資本主義世界の金利の低下の先鞭をつけたのは日本だった。10年ものの国債の利回りは、1997年に2%だったものが2014年には0.62%まで低下した。これに米国、英国、ドイツが追随し、事実上のゼロ金利になっている。
成長率が鈍化した中国では、過剰設備が問題になり始めた。成長が止まれば設備投資を増やせないから当然である。設備投資をしてもリターンがゼロに近ければ投資の効果はなく、だれも資金を借りようとしないので、金利が低下する。
こんなことを頭に入れて、日本を見回すと、国土の隅々まで資本は行き渡り、あらゆる設備が整い、道路も橋も体育館も揃っている。土建業に残ったフロンティアは、オリンピックに備えて国立競技場を立て替えることだけだ。
いや、まだある。品川から名古屋までトンネルを掘りまくって鉄道を通すリニア新幹線だ。いや、まだある。水素をCO2ゼロで製造する新型原子炉である高温ガス炉の研究開発だ。いよいよ自動車が原発で走る時代が始まる。
死に体の資本主義はどこに、あるいは何にフロンティアを見つけようとするのか。上記のように、投資先に行き詰った資本は、まずは無くても済むものの拡大と成長に矛先を向ける。同じことは自動車の世界でも起こってはいないだろうか。最後に自動車の資本主義について考えてみる。
自動車資本主義の始まり
自動車は資本主義の洗礼を受けて自動車になった。つまり、貴族や新興ブルジュアの手から大衆の手に渡った。
最初の資本主義的自動車は、1908年に発表され、その後の19年間で1500万台も売れたT型フォードだ。創業者のヘンリー・フォードは、流れ作業と品質管理で大量生産に成功し、コストを下げると同時に労働者の賃金を上げ、T型フォードを生産する者が所有者になるという資本主義的経済の典型=クラッシックを作ったのである。
さらに自動車を資本主義化したのは、GMのアルフレッド・スローンである。彼はGMの社長になるとさまざまな資本主義的改革を断行した。中でも車種をフルラインで展開する方法と、毎年のようにモデルチェンジをする手法は、自動車産業ばかりか、あらゆる産業に資本主義的マーケット刺激策として波及した。
自動車の資本主義は現代まで、ヘンリー・フォードとアルフレッド・スローンの2人が作った大量生産、品質管理、フルラインアツプ、モデルチェンジという手法から一歩も出てはいない。
特筆すべきは、新型車や新技術、ニュー・デザインを投入することでマーケットを刺激する手法だ。これ「新しいもの」によって市場を拡大し、資本を投下して設備を拡大し、自己増殖するというまさにこれぞ資本主義という戦略である。
拡大の再生産こそ、自動車産業であり、それを牽引するのが「目新しさ=変化」であり、「革新」であり、「新技術」なのである。もっともユーザーにとっては、みんな余計なお節介であり、よく見れば無駄なものだらけなのだが....
「余計な装備だらけだ」とか、「無駄な技術が多い」とか、「なんでこんなに大きいの」とか、じっと考えるまでもなく昔から新型車には無駄が多い。しかし、そうした無駄は家電から始まってあらゆるものがそうである。だが、これぞ資本主義であり、そうして私たちは無駄を買うことで資本主義を支えてきたことを忘れるわけにはいかない。
しかし、それにも限度がある。「新しいもの」、「新技術」、「新装備」、「より大きいこと」などで、私たちはすでに満腹である。これらでは私たち消費者の購買意欲は刺激されない。すでにモノからコトへと消費者の興味が移って久しい。
それにもかかわらず、とくに自動車の世界は上記のフォード、スローン的手法から脱皮できていない。日本では自動車が売れないといって久しいが、その大きな原因は自動車産業を規定してきた資本主義そのものが終焉を迎えていることだ。
ということで、資本主義の終焉を迎えた東京モーターショーを見てみよう。もっとも新しい自動車は、豊田章男トヨタ社長の「WHAT WOWS YOU?」であった。