ベンツAクラスを発売延期に追いやった緊急回避能力「エルク・テスト」とは

ヘラ鹿テスト、ヨーロッパ風にいうとエルク(elk=ヘラ鹿)テスト、英語ではムース(moose=ヘラ鹿)テストと呼ぶ。日本ではダブル・レーンチェンジと呼ばれることが多い。このエルク・テストはスウェーデン、ドイツで実施され、その名称が知られている。

ベンツAクラスを発売延期に追いやった緊急回避能力「エルク・テスト」とは

特に1997年、初代メルセデスAクラスのデビュー時に、スウェーデンで行なわれたエルク・テストでAクラスが転倒し、その結果ダイムラー社はAクラスの発売を延期。サスペンションの再チューニングとESPの標準装備化を行なったことでこのエルク・テストは一躍有名になった。

■エルク・テストの始まり

エルク・テストは、1997年以前から行なわれていたようである。このテストを実施したのは、スウェーデンの自動車雑誌「テクニッケンワールト(teknikensvarld.)」(英語名=World of Technology http://www.teknikensvarld.se)である。

この自動車雑誌は、スウェーデンの大手メディアグループが刊行する自動車雑誌だ。この雑誌の寄稿者であるジャーナリストのロベルト・コリン氏がエルク・テストの発案者である。コリンはメルセデスAクラスのテスト後、ドイツで取材に応じ、このエルク・テストがよく知られるようになった。

ロベルト・コリン氏
ロベルト・コリン氏

「テクニッケンワールト」のテストの様子は以下の動画で見ることができる。

■なぜエルク・テストなのか?

北欧や北米のカナダ、アラスカの針葉樹林に生息するヘラ鹿は、鹿の中では最大の大きさになり、成長すると体重は600kgから800kgにもなる。これほどの大きさのヘラ鹿は夜間の道路に突然出現し、クルマが接近しても逃げず、またクルマ側から見るとヘラ鹿の体毛が黒褐色のため、街路灯のない道路では発見が遅れやすいのだ。

ヘラ鹿。体重は800kgに達する。夜間に道路に出没する
ヘラ鹿。体重は800kgに達する。夜間に道路に出没する

北欧やアラスカの道路は、夜間はヘッドライト以外に明かりのない漆黒の闇の中を走るケースが多く、また森林地帯では見通しの効かないブラインドコーナーが多い。こうした条件により路上に出現したエルクの発見が遅れる理由となっている。

ヘラ鹿を注意するロードサイン

道路に立っているへら鹿の発見が遅れ、クルマが衝突するとバンパーでへら鹿の脚部をすくい上げ、800kgもの巨体(軽自動車並みの重量物))がフロントガラスを直撃し、車内に突入する。このためドライバーは深刻な被害を受けるのだ。エルクは脚が長いため、衝突状況によってはエアバッグが展開しないこともあるという。

ボルボがV70を使用し2011年に行なったダミーのヘラ鹿を使った衝突テスト
ボルボがV70を使用し2011年に行なったダミーのヘラ鹿を使った衝突テスト。巨大なダミーがフロントガラスを直撃するのでクルマのダメージは甚大

ボルボがV70を使用し2011年に行なったダミーのヘラ鹿を使った衝突テスト

ボルボがV70を使用し2011年に行なったダミーのヘラ鹿を使った衝突テスト

こうした道路事情のため、スウェーデンの自動車誌が夜間の道路でのヘラ鹿を緊急回避することを想定したテストを実施したことは頷ける。つまり日常で発生する可能性が高い緊急回避運転でのコントロール性、安定性をチェックするという狙いである。

テストの想定は、夜間でヘラ鹿の発見が遅れたため、ステアリングを切って回避するという条件だ。夜間の走行スピードが高く、鹿の発見が遅れたため緊急ブレーキでは間に合わず、ステアリングを急激に切って回避する。なおかつその道路は地方道を想定しているため道幅は対向2車線。このため急激に切ったステアリングは直ちに急激に切りもどして車線に復帰させないとコースアウトしてしまうため、たて続けに2回レーンチェンジを行なうダブル・レーンチェンジの操作となるわけである。

またテスト車は、定員乗車(バラストを積載する)、ラゲッジスペースにも荷物を積載したフルロードの状態で行なわれる。このように見ると、速度の高い状態での極めてシビアなテストであることがわかる。

一方2000年頃、日本の自動車メーカーではこのようなテストは行なわれていなかったため、ヨーロッパでエルク・テストが普及しつつあることを知った日本の自動車メーカーは大いにあわて、緊急に対応する事態となった。

メルセデスAクラスの事件以来このエルク・テストはドイツでも有名になり、このテストは重視されるようになっている。また、現在ではフォルクスワーゲンの各国セールスマンのアウトシュタットでの本社研修では、セールスマンに必ず簡易エルク・テストを体験させESPの有効性を訴求するのが定着している。

■実際のテスト方法

エルク・テスト、つまりダブル・レーンチェンジのテスト方法は各国自動車メーカーが討議してISO標準化が行なわれ、アメリカでもNHTSAがテストを行なうようになっており、もちろん現在では日本の自動車メーカーでも実施されている。

テクニッケンワールトのテスト法
テクニッケンワールトのテスト法

テストは乾燥した標準的な舗装路で行なわれる。パイロンでコース取りを行なうが、そのコース設定(特にコース幅)は、テストモードにより微妙に異なるが、いずれにしても車体幅より50cmから1m程度の広さの幅(したがって通過する道幅は約2.5mときわめて狭い)にされる。

進入路、第1レーンチェンジ、第2レーンチェンジともに同じコース幅だ。第1レーンチェンジ、第2レーンチェンジ通過の際、両側にあるパイロンが車両に接触する、つまり車両の姿勢が走行軌跡から乱れると不合格とされる。

運転方法も興味深い。進入路の最終段階でアクセル・オフ(ブレーキは踏まない)、以後はステアリング操作と途中からアクセル操作を行なうが、操舵速度がきわめて速いのが特徴だ。

車速は100km/h~80km/h程度で進入路に接近し、アクセル・オフ直後にステアリングを切るため、第1レーンチェンジで70~80km/hとなる。つまり進入速度は指定されず、曲がりきることができる範囲ぎりぎりの速度で進入し、第2レーンチェンジ出口での車速が計測される。

ドイツ自動車連盟のテスト法
ドイツ自動車連盟のテスト法

だから評価ポイントは、車両姿勢が大きく乱れず、パイロンをなぎ倒さないことと、出口速度のスピードの速さがチェックされる。ただしそれ以外に、ドライバーの意思や操作に対する応答性や追従性は、安定感、コントロール性などは評価コメントとしてまとめられる。

当然ながらアクセル・オフの操舵でタックインが発生したり、逆にアンダーステアが強かったり、ステアリングの切り返しで強いオーバーステアが発生するようなクルマには高い評価は与えられない。最初のレーンチェンジでアンダーステアやオーバーステアが発生し、パイロンをなぎ倒すと、不合格とされることが多い。

ISOで決められたエルク・テスト法
ISOで決められたテスト法。アメリカの国家道路交通安全局でも採用

リヤタイヤのグリップが維持され、なおかつ操舵応答の遅れの少ない正確なステアリングのクルマが高評価となるわけである。

また、このテストを行なうドライバーは、ハイレベルの運転スキルと総合的な評価能力を備えている必要があることはいうまでもない。

■現在はESPで制御

このようなテスト条件を考えると、クルマのステアリング、サスペンションのチューニング、タイヤに加えてESPの効き具合やチューニングといった要素と、クルマが低重心であることなど基本要素も大きく、当然ながら全高が低く低重心のスポーツカーなどは有利であり、逆にSUVやミニバンなど全高や重心の高いクルマは不利である。

しかし、テストの目的は危険回避がテーマのため、車種を問わずという点に意味があるのだ。じつは、1990年代のテストで「完璧」と評価されたのはなんと旧東ドイツ製の化石自動車と呼ばれ、ダンボール紙(実際はFRP)で造られたクルマと嘲笑されていたトラバントだったそうだ。さすがはアウトウニオン/DKWの血統を受け継ぐクルマだったからなのか、超軽量構造だったためかは定かでない。

最新のボルボ車はカメラによりエルクを検知でき、警報、自動ブレーキが作動する
最新のボルボ車はカメラによりエルクを検知でき、警報、自動ブレーキが作動する

もちろん現在ではどのクルマもESPを装備しており、強いアンダーステアやオーバーステアの発生が抑え込まれるため、このエルク・テストで極端に低い評価となる事例はなくなっているが、当然ながら通過速度の速い、遅いといった差は出る。

また全高の高いSUVや商用車はロール・モーメントが大きいため、車体が浮き上がったり、極端な場合は転倒する事例もあったが、現在ではESPの効き具合を強めることでこのエルク・テストに適合させるようになっている。

テクニッケンワールト 公式サイト

COTY
ページのトップに戻る