【2011ニュル】 VOL.6 独占手記〜WRX・STItsなぜニュルで勝てたのか〜吉田寿博 参戦記

5回にわたってお伝えしてきた2011年の「第39回ニュルブルクリンク24時間レース」の最大のハイライトは、STIチームのインプレッサが果たした悲願のクラス優勝だろう。連載の最終回を飾るべく、優勝の立役者というべき吉田寿博選手の参戦レポートを本サイト独占でお送りする。

今回、私がニュルブルクリンク(以下ニュルと略す)に到着したのは6月21日の火曜日だった。私だけがぶっつけ本番のスケジュールであった。

というのも今回が3度目の挑戦となるSTIチームの本隊は、5月に行われたVLN(ニュル耐久)シリーズ第3戦のアデナウカップ6時間レースに、つまり本番前のレースに初めて出場して、クラス3位という結果を得ている。これはもちろん実戦テストやマシンのセッティングを煮詰めることも目的のひとつだが、チームに新たに加わった佐々木選手がニュルでの経験を積み、また参戦資格を得るための参加だった。この時は私はすでに経験があるという理由で参加していない。この時のメンバーはカルロ・バンダム、マルセル・エンゲルス、佐々木孝太、さらにドライバーとしても走った辰己監督の4名だ。

こういうわけで、私一人がぶっつけ本番になったわけだ。

↑5月のアデナウカップ6時間耐久には辰巳監督も参戦。

F1ドライバーも出場するには関門あり

私は2005年にプローバ・チームからインプレッサWRX・STIでニュルブルクリンク24時間レースに初出場した際にここニュルブルクリンクで講習を受けて、ライセンスを取得している。しかし今年からチームに新たに加わった佐々木選手にはニュルでのレース経験がないため、出場条件を満たすために厳しい関門をクリアしなければならなかった。実はニュルの24時間レースに出場するためには、例えF1ドライバーであってもここ独自のライセンスが必要で、しかも2年前から資格取得がより厳しくなっている。事前にニュルでのレースを2回経験し、さらに本番レース直前に2日間の講習を受ける必要があるのだ。この講習時には、インストラクターのクルマがまったく遠慮なくフルスロットルで先導し、コース熟知していない受講生がこれに遅れず追従しなくてはならないので、レース経験者でもかなり苦労するというレベルなのだ。

↑ニュルはレース前のドライバーの装備チェックが厳しいことも知られている。

さて、今年のニュルブルクリンク24時間レースのSP3Tクラスでゼッケン155 番、WRX/STI tsで参戦したSTIチームのメンバーを改めて紹介すると・・・ドイツ人のマルセル・エンゲルスとオランダ人のカルロ・バンダムは昨年から連続の出場。このふたりはニュルでの経験が豊富で、バンダムは全日本F3チャンピオンという経歴も持っている。唯一の新人である佐々木孝太はスーパー耐久のタイトルに加えてスーパーGTの300クラスでもチャンピオンにもなっている。私はこのレースに参戦5回目で、最年長でもある。

私は、本番前のアデナウ6時間ではクラス3位だったが、同じSP3TクラスではアウディTTSなどが相当に速かったと聞かされ、本番(=ニュル24時間)はなかなか厳しいかなと…というのが、正直な予想だった。

ただ、今年のWRX・STI tsは辰己監督が中心となってシャシーの開発が先行して行われており、昨年より速く走れることは間違いないと確信していた。富士スピードウェイで行われたシェイクダウンでも正直、手ごたえを感じていた。具体的な面での性能向上を挙げていくと、エンジンのパワーアップ、ボディの軽量化、シャシーの低重心化や、ビルシュタイン社と一緒に煮詰めたダンパーの改良…、そしてボッシュと共同してABSの制御の進化を行うなど、まさに全面にわたっての戦闘力が高められていた。

↑打ち合わせに臨むメンバーたちの表情は真剣そのもの。まさに闘う男たちの顔だ。

しかし現地で木曜日の予選を迎えた頃、チームは不意に慌ただしくなった。エンジンの調子が思わしくなく、その不調の原因をなかなか突き止められなかったのだ。結局、予選もそうした中で行われたため、当初目指していたポジションよりかなり下のクラス6番手(総合76位)に沈んでしまった。正直、落ち着いて予選に臨む雰囲気ではなかった。

もちろんこの間、メカニックは不調の原因を突き止めるために徹夜の連続となっていた。そして決勝レースの始まる直前に、不調の原因をなんとか見つけることができた。まさに間一髪で救われたのだ。

タイヤもフィットして、ライバルを次々に抜き去る

決勝レースのスタート時は、天候は曇り、コースの約半分は小雨というニュル名物のはっきりしない天気で、タイヤは浅溝のオールウェザータイプを装着した。スタートドライバーは私が指名を受けた。私の次はカルロ、マルセル、佐々木の順だ。ルーキーの佐々木選手は夕闇が迫る直前まで乗り、夜間のスティントではスキップすることになっていた。

緊張のスタートだったが、いざ走り出してみると、エンジンは快調そのもの。小雨で滑りやすい路面だったが、ここぞとばかりにAWDの威力を発揮することができ、どんどん順位を上げることができた。

雨は次第に上がり、200台以上がコースを走っているため、路面も思ったより早く乾き始めた。このためほとんどのマシンはスリックタイヤに交換するために早めにピットに入ったようだが、私はオールウェザーのままで予定通り1時間25分、燃料がぎりぎりになるまで走り続けた。日本ダンロップが持ち込んだオールウェザータイヤが、この難しいコンディションにも抜群にフィットし、逆にアウディ・クワトロ社がサポートするアウディTTSは、このコンディションに苦しんだ様子がうかがえた。

結果的に私は予選クラス6番手からスタートし、序盤でクラストップレベルの速さを持つオペル・アストラOPCに次ぐクラス2番手、総合30番手にまで順位を上げた。

今年のWRX・STIは、昨年まではアクセル全開のままでは行けなかったセクションも行けちゃうところがあり、レース中のラップタイムも約10秒速く、クルマの動きも安定していた。最終ストレートでの最高速も264km/hで、昨年より10km/hも速くなっていることがわかった。

↑本番のニュル24時間レースでのゼッケンは155番。

今年は総合トップ争いをする有力なチーム同士の戦いが今までになく激しく、抜かれる側としても一瞬も気を抜くことができなかった。とくに驚くほどワイドなボディのメルセデスSLSなどに抜かれる時は、避けるとコースからはみ出しそうになるほど。そんなわけで、チームメイトとは“絶対に他車にぶつからない”、“もらい事故に巻き込まれない”ということを確認しあい、余裕を持って走ることを申し合わせていたが、それでも何度もハッとする目に合わされた。

ニュルはブラインドコーナーが多いので、そうしたコーナーを抜けた先で遅いクルマが予想外の動きをした時などは“ドキッ”とする場面もしばしば。さらに遅いクルマがコースを譲るためにウインカーを出す時、それが日本のルールと逆の場合もあり、これにも“ヒヤリ”とさせられた。

悪魔が潜むと言われる夜間に今年はもうひとつ、私にとって大きな収穫があった。バンダムやエンゲルスと同レベルのタイムで走ることができてうれしかった。
コース照明がまったくなく、真っ暗な森の中でヘッドライトだけが頼りの夜間走行は、やはりヨーロッパのドライバーが速く、日本人は苦手とされている。そこで今回は出発前に目の矯正を行ったり、ヘッドライトの光軸の微調整したことで遠くをクリアに見ることができるようになり、無理することなく安定して、より速く走ることができた。

3時間でクラス首位。ブレーキも4分でユニット交換

WRX・STI tsは、レース開始後3時間目でクラストップに立った。強敵と思われたライバルはいろいろなトラブルに直面し、あっけなくトップに立った感じだ。ただ、この時点ではトップとはいえ同クラスの上位9台は同一周回なので、少しでもトラブルがあったりするとポジションは逆転する。ところが上位のライバルたちに様々なアクシデントが襲い掛かる中、我がチームはまったくのノートラブルだった。

夜間にはピットが近いGAZOOレーシングからカップ麺を頂いたりしたのも、余裕があった証拠だろう。食事はケータリングサービスの他に、お握りやフルーツなども用意されていた。

ドライバーはピット裏に置いてあるキャンピングカーのベッドの上で休息するのだが、周辺や通路は深夜でも人通りが多くて騒音が絶えず伝わって来るのでなかなか仮眠するという状態にはならず、これだけは辛かった。

夜が明けて次第に明るくなる頃には、クラストップを維持し、総合でも22番手あたりまで浮上。夜の間にも大小の事故があって、私もガードレールをマシンが飛び越えて行くような大クラッシュ事故を目撃したりしたが、それらに巻き込まれることなく生き残った。それどころかクラス2番手のアウディTTSに対して、なんと3周という大きなリードを築くに至っていた。

↑ブレーキユニットの交換に要した時間は4分。ピットクルーたちも健闘した

午前8時、スタートから16時間目の時点でSTIチームは、磨耗が予想より早いリヤのブレーキキャリパーとパッドを、ローターごと思い切って交換することを決定。ぎりぎり最後まで持ちこたえそうだったが、かなり大きなアドバンテージを持ってトップを走っているため、交換することにしたのだ。ピットクルーは高温になったユニット交換を4分間で終えた。もちろんブレーキラインにはクイックカプラーを使用しているが、プロのメカニックらしい早業で、周囲のチームからも拍手されたほどだ。

特等席でチェッカー。ついに悲願を達成!

その後も、計画通りのピットインが行われ、ラップタイムは9分35秒?40秒をキープ。昨年まではともすれば10分台に入ることもあったことを考えると大きな進歩だ。いよいよレースも終盤に入り、タイヤ交換の際にドライブシャフトのブーツからグリスが滲んでいるのが見つかったが、“問題なし”というチーフメカニックの判断でレースは続けられた。

↑総合優勝のポルシェ(黄色と緑のカラーリング)の直後でチェッカーを受ける

20時間を経過したところで、私も最後のスティントを受け持った。クルマはまったく問題なし。私の後はカルロ(バンダム)、そしてマルセル(エンゲルス)という順で乗り、マルセルがチェッカーフラッグを受けることになっていた。ふたりともニュルのレースを熟知しているので、不安はなかった。

優勝争いは終盤に入っても熾烈で、総合トップを走るマンタイ・ポルシェも外見は接触痕が生々しかった。またこのチームはトップを走る18号車の給油などピット作業を優先するために、同じチームのポルシェを強制的にリタイヤさせるなど、拮抗した優勝争いの厳しさを見せ付けられた。

そしていよいよクライマックス。ステアリングを握るマルセルは状況を把握してペースをかなり落とし、総合トップの集団を最終ラップに先行させて、すかさず優勝車の真後ろに位置を取るという機転を利かせた。このため、われわれは特等席でチェッカーフラッグを受けることができた。

↑左から吉田寿博、マルセル・エンゲルス、カルロ・バンダム、佐々木孝太

念願のクラス優勝、かつ総合21位はとても感慨深いものがあった。私のニュル挑戦は2005年のWRX・STIに始まり、2008年からは辰己英治監督の下でスバルのサポートも受けることになった。そして2009年からはSTIチームとして参戦しており、今年は6年越しの悲願を成し遂げたということになる。

しかしながらニュルの24時間レースはチームもドライバーも経験やデータの蓄積がなにより重要であり、これからもさらなる高みを目指して挑戦していきたいと思っている。

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吉田寿博選手・主なレースキャリア

1989年 東北シリーズシビック・ワンメイクレース・チャンピオン

1996年 スーパー耐久シリーズ シリーズチャンピオン(シビック)

2002年 スーパー耐久シリーズ シリーズチャンピオン(インプレッサWRX)

2005年 スーパー耐久シリーズ シリーズチャンピオン(インプレッサWRX)

2005年 ニュルブルクリンク24時間レース クラス2位(WRX・STI byプローバ)

2008年 ニュルブルクリンク24時間レース クラス5位(WRX・STI by スバル)

2009年 ニュルブルクリンク24時間レース クラス5位(WRX・STI by STI)

2010年 ニュルブルクリンク24時間レースクラス4位(WRX・STI by STI)

2011年 ニュルブルクリンク24時間レース クラス優勝(WRX・STI ts by STI)

よしだ・としひろ。1964年9月9日生まれ。シビックで腕を磨いた後、インプレッサWRX・STIのレースで日本でもっとも経験の長いレーシングドライバー。ただしコクピットから離れると、株式会社プローバの営業部長を務める。

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構成・文責:Auto Prove編集部

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