製品公差の現実

雑誌に載らない話vol7

ある国産の自動車メーカーがドイツのクルマの足回りを流用し、ドイツ車のようなハンドリングになるか? という実験車両を作ったという話を聞いたことがある。

いつまでたっても、国産はドイツ車に追いつけないという意識がどこかにあり、こんな実験をしたのかもしれない。結果はドイツ車のハンドリングなったそうだ。

であれば、なぜ、ドイツ車のような製品にならないのか? 稀にユーザーが望んでいないから造れないのではなく、造らないのだという国産ファンはいる。がしかし、企業がそんな理念で動いていたら、テクノロジーの進歩は止まり、グローバル企業としてすぐにおいていかれてしまうのは間違いない。

他に理由があるからだろう。この実験車両を造った担当者によれば、製品公差という現実がひとつあるそうだ。垂直産業で生まれてくるサスペンション・モジュールが持つ製品公差と、並行分業から生まれてくるドイツ車が持つ製品公差には、開きがあるということだ。これは、常用速度域に違いがあり、先の「顧客から求められていない」というロジックに近いかもしれないが、実はコストという別なロジックが働き、同等の性能が確保できない現実があるという。

たとえば、ダンパー一本の性能公差を、プラスマイナス10%以内という規定に対して、ドイツは3%以内であるとする。ドイツ車と同等の規定に収めるなら、現在300円で収めているものを1200円にしてもらえれば作れるが、おなじ金額では不可能である。というサプライヤーからの回答。

だから、この担当者が言うには、技術がなくて造れないわけではない、と結論付けていた。

製品公差に限って考えてみても、果たしてそうだろうか。

別な技術者でニュル24時間にレース車を持ち込み、年々成績があがっている技術者に聞くところによれば「組み立て方が分からないから造れない」という。

たとえば、安価な1000円程度のカラーボックスを、組み立て手順を守らないで作った場合と、手順どおりに組み立てた場合では、出来上がったボックの完成度に違いがあることと似ているのかもしれない。使っているパーツや素材はまったく同じでも、組み立て方を間違えれば同じものにならない傍証でもあると考えられないだろうか。

だから、先の「部品があれば、完成させることができる」という話には疑問符がつく。

とどのつまり研究開発・実験を繊細に積み重ねなければ、世界のリーダーにはなれないということなのだろ。

文:高橋アキラ

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