2015年は、ボルボにとって記念すべき節目の年となる。というのも、「空飛ぶレンガ(flying brick)」と呼ばれた240ターボがモータースポーツ界を席巻してから、30周年を迎えるのだ。
現代の日本でもファンが多いボルボ240シリーズは、1974年にデビューを果たす。当時、2ドアは242、4ドアは244、ワゴンは245と呼ばれていたが、1980年からは全モデルが240に統一。1993年のモデルライフの終了までに、約280万台も生産されたボルボを代表するファミリーカーだ。
そんな240シリーズに新たな価値をもたらしたのが、1981年に追加されたターボエンジン搭載車だ。B21ET型2.1Lエンジンは、最高出力155hpを発揮し、0-100km/h加速9秒、最高速195km/hを記録。このエンジンを搭載した240ターボエステートは、当時の世界最速ステーションワゴンの名を欲しいままにした。
この240ターボにとって、翌1982年は大きな意味を持つ。この年、モータースポーツで新たにインターナショナル・グループA規定が導入されたからだ。これは、レース車両は組立ラインから直接ラインオフされたモデルで、モディファイの範囲も制限。グループA規定の公認を取得するためには、連続した12ヶ月間で5000台以上の生産台数も義務づけられた。加えて、座席は4座以上で、最低重量もエンジン排気量によって定められ、これらのグループA規定は240ターボにマッチしていたのだった。
その一方で、グループA規定の中には「エボリューションモデル」を認める付則があった。これは、グループA規定の公認を受けた車両をベースに改造を施した車両を、公認台数の1割となる500台を年間に生産すれば、エボリューションモデルとしての公認を受けられるというもの。これが240ターボエボリューション誕生のきっかけとなった。
240ターボエボリューションは、大径ターボを搭載するほか、エンジン制御を改良するとともに、インテークに水を噴射するウォーターターボトラクションというボルボが開発特許を持つ技術を採用していた。
240ターボのグループAレースへの本格参戦は1984年で、ボルボはコンストラクターとしてレース車両を製造し、独立チームへ供給。この年は、ETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)とDTM(ドイツツーリングカー選手権)で各1勝を収めている。
そして、黄金の1年となる1985年、ボルボはレース活動を拡大。スイスのエッゲンバーガーモータースポーツ(参戦名はボルボ・ディーラーチーム・ヨーロッパ)とスウェーデンのマグナレーシングの、2つのチームとファクトリー契約を結び、ETCに参戦。ライバルのローバーやBMWに勝つための体制を整えた。加えて、前年同様、DTMへも参戦している。
レース仕様の240ターボは、アルミ製シリンダーヘッドや、鍛造のピストン&コネクティングロッド&クランクシャフトを採用。燃料噴射装置は特注のボッシュ製Kジェトロニックシステムで、最大過給圧1.5barのギャレット製ターボチャージャーを搭載。これらにより、2.1Lエンジンは最高出力300hp、最高速260km/hを誇った。
また、ドアやボンネットなどの取り外し可能なボディパーツは、すべて量産車よりも薄く軽量な鋼板を採用。リヤアクスルを6kg軽量化したほか、ブレーキに4ピストンキャリパーとベンチレーテッドディスクを装着し、強化を図っている。
レンガを積み重ねたような四角いボディの240ターボは、その見た目とは裏腹に、はるかに大きなエンジンを搭載したローバー 3500 V8やBMW 635を相手に、競争力の高さを証明。「空飛ぶレンガ」は、1985年のETCで14レース中6レースで勝利し、タイトルを獲得した。また、DTMでも優勝1回、表彰台5回の成績を収め、チャンピオンに輝いた。
このほか、フィンランドやポルトガル、ニュージーランド、スコットランドのツーリングカー選手権でも勝利。富士スピードウェイで開催された年に1度の国際イベント「インターTEC」でも強さと速さを発揮して圧勝。日本のレースファンに大きなインパクトを与えた。
こうして、「空飛ぶレンガ」が世界のモータースポーツ界を席巻した1985年から、2015年で30周年。8月にはイェーテボリで開催された世界最大のボルボ・オーナーズミーティング「VROM」で、盛大な祝典が行なわれた。