ピニンファリーナ氏が亡くなった。フェラーリのデザインや製造工場を持つなど、フェラーリ社と密接な関係を持つ一方、スポーツカーのデザイン工房、グループ企業も所有し、自動車・工業デザイナーとして著名なセルジオ・ピニンファリーナ氏が2012年7月2日、イタリア・トリノの自宅で死去した。85歳だった。
セルジオ・ピニンファリーナは、1926年にカロッツェリア・ピニンファリーナの創設者、バチスタ・ピニンファリーナの長男としてイタリアの産業の中心地、トリノで生まれた。トリノ工科大学で機械工学を学んだ後、1960年に創業者バチスタの死去により後継者となり、カロッツェリア・ピニンファリーナをイタリア最大、世界最大のデザイン企業グループに育て上げた。
戦前にはランチアのスポーツカーをデザインし、戦後はフェラーリの歴代のスポーツカー、250GT、デイトナ、BB、ディーノ、テスタロッサ、288GTO、F40、F50,エンツォ、308、348、F355、360モデナ、458イタリア、456GT、550、612、FFといったほとんどのモデルのデザインを担当している。さらに、オープンモデルはピニンファリーナ工場が製造も担当していた。またマセラティ・クワトロポルテ、アルファロメオ・スパイダーなどののデザインも有名だ。
その一方で、クルマ以外に、電話機、バス、電車、家具などあらゆるジャンルの工業デザインも手がけている。
フェラーリのルカ・モンテゼモロ会長は、次のように語っている。
「セルジオは偉大な人物で、彼が私たちの歴史と成功をもたらしました。また企業家として、市民として祖国に貢献し、世界中でイタリア製品の価値や賞賛を築き上げてくれ、長年にわたりイタリア産業連盟の会長や上院議員も務められました。フェラーリとセルジオとの深い関係は、レジェンドと呼ぶにふさわしいフェラーリを代表するモデルを造り出したことも忘れることはできません。テスタロッサやエンツォなどです。また史上最も美しいクルマとも言えるマセラッティ・クワトロポルテも記憶に残っています。また、彼はイタリアのデザイン界をエレガントなセンスの力で牽引し、同時にフェラーリ社の監査役会でも多大な貢献をされました」