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BMWは第2次世界大戦後、操業を再開したが、すぐに経営危機に陥った。ダイムラー・ベンツ社に吸収される寸前にまで至ったが、富豪のクヴァント家の出資により、かろうじて存続することができた歴史がある。そして、自動車メーカーとしてのBMWブランドが脚光を浴びたのは1962年に発売した「ノイエクラッセ(ニュークラスの意味)」、すなわち1600シリーズであり、予想以上のヒット作を生み出したのだ。
世界初のターボ搭載車「2002ターボ」
ノイエクラッセは、ジョヴァンニ・ミケロッティがデザインを担当し、新開発のSOHC4気筒エンジンに、最新の4輪独立サスペンションを備えており、瞬く間に人気を博した。そのため、後に1600、1800、2000シリーズへと発展した。さらに4ドアセダン・シリーズの派生モデルとして、よりスポーツ性を高めた2ドアの02シリーズも追加され、スポーツ・セダンのイメージを築き上げた。これは後に「3」シリーズへと発展していく。
このノイエクラッセのシリーズの中で異彩を放ったのが、1973年秋に発売されたBMW 2002ターボだ。2ドア・セダンのボディに排気量1990cc、ボア×ストローク89.0×80.0mm、直列4気筒SOHCのエンジンは、圧縮比を6.9と低められ、KKK製ツインエントリー・ターボと機械式のクーゲルフィッシャーの燃料噴射を組みわせ、乗用車用として世界初のターボ車としてデビューする。
パワーは170psを発生し、飛び抜けた動力性能を発揮したが発売のタイミングが悪く、第1次オイルショックの時期であり、高速走行時の燃費の悪さに加え、フロントスポイラーに逆転文字で貼られた「2002ターボ」のロゴが威圧的だとして批判を浴びた。そのためもあって、わずか1672台の生産のみで終わっている。
だが、ポルシェ社よりも先にターボ・エンジンを市販化したことは画期的だったと言える。ポルシェ930ターボの発売は1975年、日本車初のL20ET型直列6気筒エンジンを搭載したセドリック・ターボの発売は1979年であったのだ。
M121型からM12/13型まで
BMWはノイエクラッセ・シリーズで4気筒SOHC 2バルブのM型シリーズをラインアップしてきたが、最初のM121型ターボエンジンは、1969年にヨーロッパ・ツーリングカー選手権に参戦するBMW2002TI用として投入されている。このM121型エンジンがBMWにおけるモータースポーツ用のターボエンジンの原点である。
このエンジンはSOHC2バルブで、ターボエンジンとはいえ、インタークーラーは装備していなかった。
その後、M型エンジンをベースにレース用に設計されたギヤ駆動式DOHC4バルブのシリンダーヘッドを組み合わせ、M12型シリーズを開発する。このM12型エンジンは世界各地のツーリングカーレースからF2までは幅広く使用され、日本でもM12/7型はF2レースや富士グランチャンピオン・シリーズで無敵を誇った傑作エンジンとなっている。
1980年には、排気量を1.5Lに縮小させたM12/13型エンジンを開発し、ブラバムBMWに搭載してF-1グランプリにも参戦している。当初は2.9barの過給圧で650ps、その後は予選用の無制限過給により1400psまでに達している。ただし、このような超高過給圧の予選スペックではしばしばエンジンが粉々に壊れることもあった。
F-1以後
BMWターボエンジンはF1グランプリ撤退後、新たにP型シリーズとして復活している。ミニ・カントリーマンWRC仕様に搭載された横置きレイアウトのP14型1.6Lエンジンは、市販のミニ・クーパーS用のエンジンをベースに開発されたものだ。
またFIA世界ツーリングカー選手権(FIA WTCC)のBMW320TCに搭載されている1.6Lターボエンジンは縦置きタイプのP13型だ。わずか1.6Lの排気量から320psの出力を発生させている。
このP13型、P14型エンジンは、シリンダーブロック、シリンダーヘッドなどは市販状態からほとんど改造されておらず、市販エンジンの頑丈さがわかる。
DTMエンジンの変遷
ドイツの自動車メーカーがレース専用GTカーを使って戦うドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)シリーズは、車両に搭載されるエンジンの車両規則変更により、変遷している。第1期と呼ばれる最も人気が高かった時期には、当初は市販エンジンがベースだったが、途中からエンジンは排気量2.5Lの規則以外は無制限となり、エンジン、シャシー、電子制御は自動車メーカーの威信にかけて開発されるようになっていった。
その結果、F-1マシンを遥かに上回るハイテクのレース車両となり、レースは大いに盛り上がった。だが、あまりに開発コストが高騰した結果、ワークス・チームの撤退が相次ぎ、1996年にこのシリーズは終了した。
DTMシリーズは3年間休止し、2000年から第2期DTMが復活した。第1期でのコスト競争を避けるために、イコールコンディション化が追求され、エンジンは全車両に共通のレース専用設計の自然吸気4.0L・V型8気筒エンジンが搭載されている。
2012年からは車両も、全参加車輛共通のカーボンモノコックと鋼管フレームで構成した共通シャシーを採用している。
ニッポン・レース・エンジンの登場
しかし、クラシックな自然吸気の大排気量のV型8気筒エンジンは、高効率エンジンを追求する現在にはマッチしないと考えられるようになった。また同時にDTMと日本のスーパーGTの車両規則の統合化、Class1が進んだことで、日本のスーパーGTで2014年から採用されているNREエンジンのコンセプトがDTMに導入されることになった。
トヨタ、日産、ホンダのレース部門が協議して誕生したNRE(ニッポン・レース・エンジン)は、2.0L4気筒の直噴ターボで、ダウンサイジング・コンセプトで設計され、出力と同時に熱効率の高さを競うのが特長だ。
そのため、従来の出力制限法であるエアリストリクター(吸気制限穴)を使用せず、ガソリンの流量を規制する燃料流量リストリクターを採用しているのが大きな特長だ。現在のF-1や世界耐久選手権のマシンと同様の発想になっている。
ちなみにスーパーGT GT500では7500rpm以上で時間当たり95gの燃料に制限されるようになっている。
P48型エンジンの登場
BMWがDTM用に開発した燃料流量リストリクターに対応するターボエンジンが「P48」型だ。P48型レース専用エンジンは、低重心化と高Gでの潤滑性能を両立させるためにドライサンプ式を採用。カムシャフト駆動はギヤ駆動式で、バルブの作動はバルブリフト量を最大化するためロッカーアーム式が採用されている。
P48型エンジンの排気量は1999ccと発表されているが、ボア径は86mm〜90mmと発表されている。最高回転数は9500rpmだ。
直噴システムの燃料圧力は350bar。出力は600ps以上で、しかも耐久距離は6000km以上となっており、年間のレースで1台の車両あたり1.5基のエンジンしか必要ない。レースでの燃料流量リストラクターは95g/時間で、追い越しモード時だけ100g/時間となる。
スターターやオルタネーターなどの補機ユニットは、エンジン後方のトランスミッション上にマウントされている。またスロットルは電子スロットルを装備し、ドライブbyワイヤーとなっている。エンジン単体の重量は85kgと極めて軽量だ。
日本のGT500で使用されているNREエンジンと同様に、この燃料流量規制が行なわれるエンジンは、高出力が追められつつも、高回転では吸気量だけが増大するため、空燃比が薄くなるためリーンバーン(希薄燃焼)となる。
かつてのレース用エンジンが出力空燃比13を追求したのに対し、新しいレース・エンジンは理想空燃比より大幅に薄い空燃比で、最大限のパワーを生み出す必要があるのだ。
各メーカーともに、こうしたリーンバーン技術の詳細は未発表であるが、同じくリーンバーン域を使用するF-1や世界耐久選手権マシンと同様に、副燃焼室で着火し、そのときに発生する高速のジェット流により希薄混合気での急速燃焼を実現しているものと推測される。