【アストンマーティン】 謎多きブランドだが、英国紳士御用達ブランドは万国共通イメージ:レポート九島辰也

マニアック評価vol99
アストンマーティンというブランドは、その実体に関して知られているようでそうではないかもしれない。世界的にメジャーなドイツ系高級車やイタリア系スーパーカーよりもナゾは多いといっていいだろう。

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アストンマーティン・ヴィラージュ 12気筒6.0L 497ps 2299万5000円

ただそれには理由があって、近年こうして話題になっているが、創業から来年で100周年を迎えるというのに、その間に生産された台数はたったの5.5万台しかない。日本で販売されるフォルクスワーゲンの1年分くらいにしかならないのが現実だ。とはいえ、その8割近くが現存しているというから、熱狂的なファンが多いことは確かである。
もちろん、そうはいってもショーン・コネリー扮するジェームズ・ボンドがDB5をボンドカーとして使用したことで知名度は高い。英国紳士御用達といったイメージは万国共通である。

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では、その生い立ちだが、創業は1913年となる。当時、ロバート・バムフォードとライオネル・マーティンというふたりの若者が小型車シンガーの販売権を得て、バムフォード&マーティン社を起こしたのが起源だ。ライオネルの趣味はヒルクライムレースへの参戦。そしてそのレースが“アストン・クリントン・ヒルクライムレース”という名前だったことから、そこで優勝したモデルに“アストンマーティン”と名付けられた。その後、それがブランド名となり、同社を買収した何人目かのオーナーが会社名とした。1920年代の出来事だが、すでに創業者二人は会社を去っている。

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戦前からレースで輝かしい実績を残しながらもアストンがその存在を明確にしてこられなかったのには、その経営的な問題が関係する。1928年にはル・マンに代表される耐久レースに参戦し好成績を納めるも、それまでに事実上の倒産を繰り返し、オーナーは次々と変わっていった。

アストンマーティンが安定したのは、実業家ディビッド・ブラウン氏が経営権を得てからである。ことのはじまりは1946年11月の「ザ・タイムズ」に載った出資者募集の広告。それを目にした彼が名乗りを挙げたというからおもしろい。アストンマーティンを語る上で欠かせないユニークなエピソードだ。

ちなみに、それ以降アストンマーティンのモデルにはDBが付くのだが、これこそ“ディビッド・ブラウン”の略となるのを知っていてほしい。彼が経営権を手放した現在もこの名称が用いられるのは、ディビッド自身が熱心なカーガイであり、実績をファンが認めているからだ。それを証拠に彼が会社オーナーになってからアストンマーティンは本格的にレース活動を再開した。48年のル・マンを皮切りにレース専用マシンで転戦する。と同時に、この年彼はラゴンダ社を買収しているのも見逃せない。理由は、当時のアストンマーティンに足りないのは優勝なエンジンと考えたからだ

そして、手に入れたのは、なんとW.O.ベントレー氏が設計したエンジン。彼は1931年にベントレーがロールスロイスに吸収されると、意見の不一致から会社を飛び出し、ラゴンダ社でエンジン設計に明け暮れていたのだった。そんなこともあり、72年にディビッドから代わったオーナーが“DB”を封じたのち、87年に新オーナーとなったフォードがその名を復活させると歓声が上がった。DB7を発表した94年のショー会場での出来事である……。

1950年代から2006年まで、アストンマーティンはニューポートパグネルにある旧式の工場でつくられていた。そこはもともとコーチビルダーのティックフォード社が所有していたもので、当時新たなボディ製作を必要としたため、ディビッドが会社ごと買収したことではじまった。

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それまでの自社工場はフェルタムという場所にあった。その頃アストンマーティンがイタリア製スポーツカーに勝っていたといわれるのがそこでの工作精度。ローラーを用いて金属パネルを曲げる英国式工法は、アルミを叩いて成形するイタリア式よりも精度と耐久性が高いといわれていた。つまり、サーキットへ持ち込んだときそのメリットが成績として証明されていたのだ。
といったことからもわかるように、アストンはサーキットでの活躍を目指してエンジンにこだわると同様に、ボディの品質と仕上がりを重視してきた。

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↑両方のドアを開けると、白鳥が翼を広げたようなイメージからスワンドアと呼ばれている。

もちろん、それは現代でも同じことがいえる。例えばクルマ一台組み立てるのに、V8ヴァンテージは185時間、DB9は202時間かかる。997型ポルシェ911が40時間、ミニが24時間というから相当な時間のかけようだ。ニューポートパグネルから現代的な設備を持つゲイドンの工場に移っても、そのこだわりに変わりはない。どのモデルも塗装には平均して50時間かかるそうだが、ふたりのオペレーターが9層に手塗りをすると聞けば納得がいく。

ここで紹介するヴィラージュもまたそんな過程でつくられた新型車だ。長年進化させてきたVH(ヴァーティカル・ホリゾンタル)構造のシャシーに改良を重ね、最強のものに仕上げている。これまで以上に補強パネルを用いて走りを高めるためのボディ剛性アップを試みた。キャラクターはDBSとDB9のちょうど中間といったところ。最高出力497psもその範疇に位置する。

では、なぜこのクルマがリリースされたかだが、その答えはいつもどおりカスタマーの声に従ったといっていいだろう。これこそCEOのウルリッヒ・ベッツ氏の得意とするマーケティングだ。自らステアリングを握ってレースに参戦しながら、サーキットで出会うアストンマーティン・ユーザーたちの声に耳を傾けている。

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デザインはまさに兄弟車と類似するが、それでもone-77の影響もしっかり出ているのが新しい。新デザインのアルミ製フロントグリルなどはまさにそんな感じで、one-77やザガード仕様を思い起こさせる。また、インターフェイスでも新しさを表現。ガーミン社と共同開発した最新のナビゲーションシステムは、ジョイスティックや音声による操作ができるばかりか、グラフィックやマップ表示もすべて新しくなった。

では、実際に乗るとどうかだが、確かにDB9よりはGTカー的なテイストは薄まる。しかしクイックなステアリングと一体化したかのようなボディの動きはまんまスポーツカーで、サーキットでかなりのパフォーマンスを見せる予感をさせる。加速もリニアなエンジンサウンドも十分雰囲気がある。

それじゃ乗り心地はガチガチかといえばそうじゃない。アダクティブ・ダンピング・システム(ADS)が路面状況を連続で検知しダンパーの減衰力を調整するため、意外なほど心地よい。最も固い状態になってもそれほどではないから不思議だ。
また、ダイナミック・スタビリティ・コントロール(DSC)はこのクルマ専用に介入速度をセッティングしている。そして、ここでもヴィラージュがただ者でないことがわかる。DSCスイッチを長押しすればシステムは完全に解除される。まさにサーキット走行を目論んだ設定である。

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モータージャーナリストの九島辰也氏

ところで、ヴィラージュ(virage)という車名だが、これはフランス語でコーナーや曲がり角を指す。アストンマーティンは、ヴァンテージ、ヴァンキッシュなどともにアルファベットの“V”から始まる言葉を車名として採用している。ワインの名にも似たなかなか趣のあるネーミングだ。

■アストンマーティン ヴィラージュ 主要諸元

●価格 ヴィラージュ・クーペ 2299万5000円、ヴィラージュ・ボランテ 2509万5000円 ●全長4703mm×全幅2061mm(1904mmドアミラー除く)×全高1282mm WB2740mm ●クワッドOHC 48バルブ V型12気筒 6.0L ●最大出力365kw(497ps)/6500rpm、最大トルク570Nm/5750rpm ●6速AT ●0-100km/h加速4.6秒、最高速度 299km/h ●タイヤ&ホイール F:8.5J×20インチ 245/35-20 R:11.0J×20インチ 295/30-20 ピレリP ZERO ●EU計測法燃費 平均15.0L/100km

 

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