最新モデルに試乗すると思うことがあります。
ラジオでも話をしていますが、感性の数値化がトレンドになりつつあり研究が盛んになっていることを。これまでパワーのあるエンジンを搭載して優れたシャシーを乗りこなすことに美学があり、その頃に免許を取ったタカハシも乗りこなすことに情熱を持っていました。
そののちLジェトロが出てきて吸気量を数値化していることに出会い、脳内の暴走が始まります。Kジェトロではカルマン渦の数を数えることで空気量が測定できたので、まだ理解の範囲内でしたがLジェトロになったら、エアフロメーターから体積測定は見えない分野へと飛び込みます。
運転に自信を持っていたのにABSも出てきました。登場初期は信頼性も低く人間の足のほうが優秀だと思い込んでいます。が、今やレースカーにも標準装備され、ABSなくしてレースはあり得ないほどのレベルになります。もちろんCPUが裏で動いています。
そして優秀なエンジン、シャシーなどのハードをCPU、ECUが制御をします。それが今の時代であり、サーキットを走ってもスピンやコースアウトをすることなくスポーツドライブが誰でも楽しめるようになりました。もちろんタイヤのグリップ限界を超えてはいけませんが。
そして、制御ソフトが感性の数値化を盛り込むと、そのソフトで動かすハードは何か?というクルマづくりの変化が始まります。すでに始まっている部分もあります。
そうしたダイナミック性能だけでなく、車内のインターフェイスも同様に変化し始めています。音声対応のAIの登場で、会話型が成立し始めました。
最新のモデルに試乗するとアラームがたくさん鳴ります。車両の接近、前車の発進、休憩を促す、コーナリングGが強い、速度が速い、などなど、いろんな場面でビーとかピーとかピンポンとか鳴ります。が、ドライバーは何の警告か瞬時に理解できません。それはクルマによって鳴る種類や音が違うため、理解できないのです。
本来、アラームはドライバーに瞬時に理解させるためのものです。そこであるメーカーのエンジニアに聞いたことがあります。なぜ、いろんなアラームがなるのか? 回答は自分の担当した制御分野が原因で事故が起きた場合、アラームが鳴らなかったという責任追及を避ける狙いもあるといった内容。
つまり、鳴らしておけばクルマ側は最低限の注意はしたことになる。という理屈でしょう。しかし実際は理解していません。そもそも、そのアラームによって危険であることを理解させる工夫がないことが問題です。ピンポンと鳴らしておけばOKという発想は本末転倒。
ドイツ車に乗る機会が多いですが、仏社も米車も全部、アラームは滅多になりません。アラームの本来の意味を理解して鳴らしているということでしょう。
「この先危険速度落とせ」の標識。通過してみると何が危険だったのか不明なことが日本では普通です。ドイツではカーブで70km/hと表示されたとき100km/hだと曲がれません。80km/hでは勇気が必要です。90km/hだとスキール音がなるかもしれない。それほど信頼できる標識です。
日本人は最高グレードから売れていきます。欧州も北米もベースグレードから売れます。自分にとって必要なものはなにか、という基本的な価値観からのクルマ選択。しかし、われわれは、「あったほうがいい」付加価値観。
我々はもう少し、ものの効率や本来の目的など見直す時期に来ているのかもしれません。