今回の言いたい放題コラムでは、電気自動車(EV)について書いてみたいと思います。現在、各自動車メーカーから発売されているEVは変な言い方ですが、自動車の形をしています。
●現状EVの課題
作り手としては、「今までの自動車と変わりありません、環境性能がいいクルマです」と、今までと同じ土俵で馴染みやすくしてフォロワー層/中間層の多くのユーザー(ユーザー層については下の表を参照)を取り込みたかったのかもしれません。しかしその結果として、ユーザー側もその特性を理解して使用するというよりも、従来の自動車の土俵から見た判断と使用になってしまっているのではないでしょうか?
よって、自動車=EVでは現実とのズレの中で、難しい面が(特に航続距離)出てきて、その結果販売が伸び悩んでいるのかもしれません。つまり、もっとユーザーもEVの本質を理解して使用すればいいし(電池劣化特性や回生を意識した運転)、作り手はEV特性をユーザーに勉強してもらうことから始めた方が良いかもしれないと思うわけです。
もっと言うと、全てを包含した新しいものなら良いですが、そうでなく新しい土俵を作らなきゃいけない「新しいモノ」は、いきなり「普及」を考えるより「先行層」ユーザーからということです。
●EVの方向性
さらに、現状のバッテリー技術を肯定した本来的な考え方からするとEVは、現在のような自動車を目指すのでなく、より小さくパーソナル使用等でその真価を発揮するのではないかと私は以前から思っています。なぜなら、航続距離課題→電池の量UP→コスト/WT(重量)のUP→クルマのサイズUPとなってしまうからです。
電池技術的に内燃機関自動車と同じ航続距離は難しいです。また、急速充電を繰り返して長距離移動するのはバッテリーの劣化という視点から良くありません。よって、EVとしては電池の量を少なくした小さなサイズで、近場使用の方向が良いと思うのです。
●乗り物の安全性
ただ、それらは当然今までになかった「乗り物」になり、作る方も使う方もかなり注意してかからないと、せっかくの「乗り物」が、「使えない」となる危惧も出てきます。
大げさでなく、「乗り物」は人を乗せて動くものですから、最終的には怪我や命というものと隣合わせだということです。一方で、世界の多くの人が乗って重宝されているバイクも転倒しますからある意味危険な乗り物です。しかし、作り手も使い手もその事を理解しています。バイクはその世界を長い年月で作ってきました。バイクは危険な乗り物だから「世の中から追放しろ」とはなりません。<次ページへ>
●現状のパーソナルモビリティ
パーソナル使用といえば「セグウェイ」など以前からありますが、限られた使用で、広く世の中に受け入れられてはいません。また、ホンダは「UNI-CUB」というパーソナルモビリティを開発して、限られた場所で運用しているようです。
ホームページではその特徴を「人が行き交う空間との親和性」と出ています。「すぐに足を地面につくことができ、両手も自由に使うことができます。また、両足に収まるコンパクトさによりすれ違いが容易であり、予期せぬ接触時にも人と同じようにお互いが力を受け流すことができます。」つまり「人が使う安全性」ということを強く想定しています。
社会的に責任の大きな企業での「新しいモノの開発の難しさ」を感じざるを得ません。もちろん責任がないとは言いませんが「新しいモノを開発」するには、新しい会社の方がやりやすいということはあると思います。
●新しいパーソナルモビリティ
「新しいモノを開発」ということでは、先日テレビでcocoamotorsという会社で作っている、WalkCar(ウォーカー)というものを紹介していました。
パソコンを連想させる位の大きさのモノの中にモーターやバッテリー、コントロールユニット、小さなタイヤなどが入っています。詳しくは同社のホームページの動画を見てもらえればわかりやすいと思います。
ホームページには、「2015年10月 予約販売開始予定 (クラウドファンディングKickstarter)」「WalkCar[ウォーカー]は、カバンに入れて携帯できる世界最小の電気自動車です。行きたい方向に体を向けるだけで、自由自在に移動ができます。ノートPCサイズの本体は、気軽に持ち運べるので、いつでもあなたの徒歩をサポートしてくれます…」と出ています。
クラウドファンディングとITという今の時代を背景に、作り手・クリエーターがモノ造りに集中できるようになりました。世の中のためになるモノをチャレンジングに作りやすい時代に入ったと言えるでしょう。
●新しいモノへのチャレンジ
いずれの「新しいモノ」でも、作り手・クリエーターによって、ユーザーのためを思って開発されていますが、いきなり量を狙わず、まずはそのことをキチッと先行層に向かってアピールすることが大切なのではと思います。
つまり、ユーザーや社会も「新しいモノ」に対して、いいまでの土俵からだけみて使える使えない、を判断するのでなく「新しいモノ=新しい土俵」と理解し、一緒に育てるようなことになれれば、新しいものを受け入れられる、より良い社会・生活になっていくのではないでしょうか。
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かし、使えないものは使えないという厳しい現実も存在しますがね。とにかく、新しいものにどんどんチャレンジしていける社会、世の中になっていくことは、楽しいし素晴らしいことと思います。