1章クルマとインターネット社会
突然ですがみなさんは、IoTはご存知でしょうか。昨今のニュース記事で頻繁に目にする単語なのでご存じでしょうが、いよいよクルマも世界中でIoT化していきそうな気配ですね。ちなみにIoTとはInternet of Thingsの略で、各種の製品のインターネット接続化を意味する言葉です。
日本の、特に東京で生活していると、クルマ本来の機能があまり発揮できないので、ピンとこないと思いますが、欧米では、クルマは毎日の人の生活行動とは切り離せません。ですから、クルマをIoT化することにより、生活者はより便利で、暮らしやすく、快適な生活を手に入れることができるようになっていくのではないかと想像できます。つまり、クルマの行動はその生活者の行動にリンクしていくものなので、行動などの情報をクラウド経由で処理することができ、生活者の快適生活のための先回りができるようになっていくということです。
具体的な例でいうと、ポチリ生活(ワン・クリック)で商品が宅配されるのは便利だが、一人暮らしや共働きなどの場合は、自宅に届けられてもほとんどの場合が不在通知で、あくる日、あるいはもっと後に再配達、あるいは引き取りに行くことになってしまいますよね。また、自宅を配送先にしたくないという人もいます。
宅配業者も再配達にはコストがかかる。一度で終わらせたい。そんなときにIoT化すると、生活者がクルマと一緒に職場にいたとして、自分のスマホに荷物が届いたと表示されたら、スマホで宅配業者にクルマの位置を教え、トランクのロックを解除する。宅配業者は、生活者のクルマのトランクに荷物を置いて完了。ということも可能になるわけで、そうなれば、そのまま自宅に帰って降ろせばいいだけとなり、煩わしさがなくなって快適になります。
また、現在仕事などのスケジュールをITで管理されていることと思いますが、それがクルマとつながって、デスクで打ち込んだスケジュールをクルマが、道路の混雑なども勘案しながら、ベストルートを探し出して効率良くスケジュールを消化できるようにしてくれる。こういう世界もすぐ来るように思います。
このように、クルマがIoT化するなら、クルマは個人に寄り添うことで今までと違った、極端に言うとコンシェルジュのような、「相棒」のような存在になるかもしれないのです。
2章 日本のクルマ社会
欧米では、公共交通機関はきめ細かくないことと、時刻に遅れたりして使いにくいと言われています。それが原因かどうかわかりませんが、欧米各国の陸上移動手段がクルマ中心になっており、クルマの走行、移動を大切にしていて、ユーザーも便利で快適、安心となり、一般的には何処へ行くにもクルマを使うのが現状だと思います。また、ヨーロッパの「公共交通機関よりクルマ生活」の感覚は、もともと狩猟民族ということもあり、個人の自由行動が基本にあるのかもしれませんね。
日本では、国道などの幹線道路でも、1車線道路が多く、3車線は主要な高速道路にしかないのではないかと思います。これだけでも走りにくいとイメージできますよね。また、「スピードは悪」と言わんばかりの制限速度ではないでしょうか?
確かに日本の道路では、スピードが遅ければ、運転の下手なドライバーに急なことが起こっても止まれる、という考え方は私も間違いではないと思います。また、道路はもともと歩行者のためのものだったのに、クルマが入ってきて走っているという立場から見ると、ゆっくり走れば良いんだ、となりますね。
ただこの考え方ですと、現代の社会生活の中でのクルマの意義を考えず「できるだけクルマには乗るな」的なところに行き着くのではとも思います。本来的に狭い日本で、特に都市では、狭い道に人・自転車・バイクなどの混合交通で事故リスクが大きいこと、さらに信号はその解決策なのでしょうが各交差点ごとにあり、街中での停車発進は頻繁になります。環境やエネルギー効率も悪いです。
その上、東京などの都会は公共交通機関は発達していて、また駐車場も高価なので、もちろんガソリン代もですが、都心に出かける時、一般的にはクルマで出かけませんね。つまり、ユーザーにとってクルマは使用しにくい環境にあるのです。
逆に地方では公共交通機関は少ないので、必然的にクルマで、となるのではないでしょうか。4人家族で一家に4台というのも珍しくないくらい、何処へでかけるのも、クルマというのを聞きます。
都市においても、「クルマ社会を肯定して」ITを使って、知恵を絞っていけば、もっとクルマが生活に寄り添えるようになる解決策があるのではないでしょうか。
「クルマ社会の肯定」の意味は、その先にあるクルマのIoT化を考えた上です。クルマが単なる移動手段でなくなり、「相棒」のようになって、われわれの生活の質を上げてくれる存在になるという、その世界が本格的にくる前に、クルマを使いやすい環境を作り、クルマがもっと生活に寄り添っておくべきだと考えたのです。
そうでないとクルマがIoT化された時に、特に都市部の「生活の質」が遅れてしまうのではないでしょうか。つまり、クルマがIoT化していった時の生活の進化を享受できないばかりか、さらにそれはグローバルな進化から日本が遅れてしまうことを意味します。
日本では、通常道路工事の場合などで、3車線や2車線の道路を1車線潰して工事する。1車線道路なら、片側通行にしてしまう。しかも、3車線や2車線の高速道路では、その潰す1車線は延々と手前から封鎖する。すると必然的に、道路は渋滞し、会議や納品の時間に間に合わないなど、それぞれの経済活動社会活動に支障がでるということです。
こういう状況を、皆さんは当たり前のように思うかもしれませんが、ドイツでは工夫しています。つまり、クルマの流れ、走行を止めることは、国益に反するくらいの勢いで、クルマの流れを重視します。
ドイツのアウトバーンでは、3車線道路で1車線を工事する必要があるとき、もともと車線幅が広いということもありますが、残りの2車線を3車線に変えて、車線数を確保します。当然車線幅は狭くなってスピードは落ちますが、とにかく流します。流すことを重視します。また、ドライバーは運転もうまいし、クルマも良い?こともあると思いますが、狭くなった3車線でも、できるだけスピードを落とさずに走り抜けます。
「運転もうまいし、クルマも良い?」にちょっと皆さんも「ん?」となったのではないかと思いますので、書いておきます。
「運転もうまい」に関しては調査した訳ではありませんが、やはり長年のクルマ文化と言いますか、クルマ社会で常に移動はクルマとなるのでクルマの運転が下手というのは、生活に差し障りが出るということになり、多分ドライバーの意識も高く、訓練を受けたりして結果運転がうまくなっているのではないかと想像しています。
それより聞き捨てならないのが「クルマも良い?」でしょう。日本のクルマもかなり良いはずです。だって新車が出るごとにモータージャーナリストの方々が試乗し、記事を書かれますが、殆どの新車は基本「いいクルマ」と書かれています。
確かにそれは正しくて、日本の道路や走行環境、ドライバーの意識からすればその通りだと思います。つまり、日本ではクルマの性能をシビアに必要とする「使用環境」が殆どないと思われるからです。
ドイツのアウトバーンではご存知のように、今ではほとんどの部分で制限速度がありますが、それでも走行速度が速いです。夜なんかは月が出ていないと、真っ暗になる場合もあります。その中を高速で走りますから、「おぉー!」、「あれー!」という事態も起こるわけです。
その事態を切り抜けるのに、急ブレーキや急ハンドルが必要になるかもしれません。また、先ほどの工事じゃありませんが、狭くて、掘り返された路面をかなりの速度で走り抜ける事態もおこる可能性があります。もうお分かりですよね、日本とは要求レベルが異なるのです。
アメリカに肥満体型が多いのは、糖分の多い炭酸飲料や高カロリーなファストフードとか、さまざまな要因が言われています。ですが、どこへ行くにもクルマ、という生活では運動不足を否めないと思います。ただ、アメリカではクルマは生活と切っても切れず、クルマ生活を否定することは、人の生活そのものを否定することに近くなります。
つまり、欧米のようにクルマが生活に寄り添って、切り離せない関係であると、クルマの性能やドライバーの運転技術や意志まで、向上してくるということです。その向上がひいては、カーメーカーの良いクルマ造りにつながっていると考えることができると思います。
極端に言うと、日本のようにクルマが肯定されない国で、「よくクルマが造れるな」と思う訳です。特に、これから本格的ITの時代で、クルマもIoT化されていくなら、そういう感覚のない国で、グローバルで競争力のあるIoT化されたクルマは造れるのかなということです。日本の基幹産業が自動車産業というなら、もっとトータルでクルマ行政が行なわれても良いのではないでしょうか。
4章 クルマ行政の重要性
■その1 IoT進化に備える
今、日本で話題になっている、地方と都会の二極化は確かに課題と思いますが、その一方でクルマを肯定する施策を打たないまま、クルマのIoT化がグローバルで進めば、かえって地方の方が「生活の質」の進化を享受できるようになるかもしれないですね。東京のような大都市は、のり遅れるかもしれないということです。
地方が良くなることは良いことだが、東京や都市が遅れるのは良くない。クルマが生活に寄り添った存在になるように、今から早急に、地方都市も含めた都会でのクルマ利用を促進する施策を考えるべきと思います。
道路幅は大きくできなくても、駐車場価格やお酒を飲んだ時の代行・タクシー代や、もちろんさまざまな自動車関係の税金も考え直したりなど、やり方は工夫次第と思います。なによりITをうまく利用すれば、例えば信号制御などで、街中や高速道路の渋滞を減らし、もっとクルマが流れるようにし、クルマをユーザーが使いやすくしていくことはできるのではないでしょうか。
■その2 メーカーと行政の都合?
EVとその充電施設やFCVと水素ステーションのことを考えるのも良いですが、IoT社会とどちらが先にやってくるか? どちらが有効か? ユーザーの立場で考えてみてください。
EVやFCVは環境に良い? 確かに単体でみるといいですが、トータルで見るとどうなんでしょうか? さらに、基本的なことですが、使いにくいのに高額なクルマを買いますか?
しかし、カーメーカーにとっては、EVやFCVは海外の厳しい燃費規制対応に有効で、また新しいビジネスにもなる可能性があると考えられることから、取り組んでいるのではと思われます。一方、クルマがIOT化するということは、もともとカーメーカーにとっては苦手領域かもしれませんが、携帯電話/スマホのように、OEMになっていくという心配も出てくるのではと思います。特にコモディティ化しやすいEVはそうです。
■その3 IoTは国民=ユーザーの幸せ?
国民=ユーザーと企業・国の関係は大変難しいですが、素直にこれらの人々は全員が日本国民でユーザーなんですから、トータルでの自分達の幸せを考えてはどうでしょうか?
そういう立場で考えると、クルマ領域ではコンシェルジュ化のようなIoT進化、さらにクルマだけにとどまらないIoTの進化は、今後の欧米では間違いなく進んで行くものと思われます。日本でも、クルマがIOT化されることを見越して、早く手を打つことが、国民=ユーザーの生活や国の基幹産業の自動車産業のために、さらに国の経済施策としても、今重要と思えてくるのです。もしこれに遅れれば取り返しのつかないことになるかもしれないと思うわけです。
運動不足の解決策はまた次回(笑)。