2015年には中国のEV販売台数が米国を追い抜き、世界最大のEV市場になったそうだ。さらに2016年1~10月におけるEV販売台数は102.5%増と、ますます勢いづいている。一方、既存の自動車の販売台数は、2000万台をはるかに超え、もちろん世界トップである。マーケットが大きいのはわかるが、日本ではイマイチなEVまでが良く売れるというのは恐れ入る。
■中国は世界最大のEV市場という現実
なぜ、中国EV市場はこんなに拡大しているのか? EVは良く売れるのか? 中国はもともと石油輸出国であったが、今では石油自給率が4割程度にまで下がって石油輸入国に変わっている。こうなると、エネルギー政策の観点から、他国の影響を受け自国の政策実行の障害なることは明らかだ。
また、テレビでもよく見られるように、中国は大気汚染がひどく、国民の環境への不満も大きくなっている。このようなことから、現在の化石燃料を中心としたエネルギー施策では、このまま経済拡大を続けていくことは難しいということになる。
そこで、国策として化石燃料から電力へとエネルギー政策の変更を強力に推進している。つまり、原子力発電を中心として電力供給能力の増強を強力に進めているのだ。したがって単にEV車の普及を推し進めているというより、エネルギー政策の国策としてEV車をとらえ、人や企業に大きなインセンティブを与え、そして政府が後押しするという図式があるから、EV車の普及が拡大しているというわけだ。
■EV後押しのもう一つの理由
もともと中国は、人口も多く経済発展とともに自動車マーケットの拡大が見込める中で、自動車産業を自国の基幹産業のひとつにしたいと考え、先進国自動車メーカーとの合弁で自動車メーカーを作り、しかも、その投資比率は50%までと抑えた。あくまでも、投資を促しつつ、技術も供与してもらいながら主権は中国とし、自国産業として育成する考え方だ。
その結果、自国産業として育って世界一の自動車生産国にはなった。しかし、歯がゆさも味わっているはずだ。
つまり、自動車開発技術のノウハウは、特にエンジンなどに関しては、先進国自動車メーカーも簡単には開示しないし、製造販売で世界一になっても、開発の部分で追い越せるほど、とまではいかないからだ。そこまでになるまでの道のりは長そうにみえる。
そんな中、「EVなら中国現地自動車メーカーでも造れる!」というか、自動車メーカーでなくても造れると。それどころか、スマートフォンと同じように内需に答える形で大量生産できるなら、コスト競争力がついて、中国製EVで世界を席捲できるという可能性もあるのだ。
さらに、世の中がスマートシティ、スマートホームというように、クルマと寄り添うカタチになっていくと、これもうEVの世界で、内燃機関のクルマは出る幕がなくなる。
■自動車、モノ造りとは
確かに、スマートフォンなどは、コスト競争力で世界を席捲できるとは思うが、クルマの場合はどうなのか? 日本でクルマは「愛車」と呼ばれていたが、今ではめったに呼ばれず、そうなるとクルマはスマートフォンと同様かもしれない、とも考えられる。
とはいえ、100%「道具=ツール」であるスマートフォンに対して、クルマは街で周りから見られるという、本質的な部分を持っているから、クルマに乗るということは、服を着ているのと似たような感覚的な部分はある。つまり立派なクルマ、高級スポーツカー、センスの良いクルマに乗っている人は? とか、またそれを目指すというような感覚だ。
しかも、クルマは人が乗り込んで走るから、持ち物と違って見られることの爽快感のような感覚もある。やはり、クルマに情緒性は必要なのだ。しかしながら、クルマにおける「情緒性」とは、所有し普及した上で初めて感じるものだから、まずは「道具=ツール性」として普及することが先ということになる。
■EVの設計開発と生産
内燃機関車のエンジンに相当するEV車のコア・コンピタンスはバッテリーとその制御だ。乗り味や品格など情緒が必要な高級車やスポーツカーを造るのは難しいかもしれないが、ツールとしてのEVなら、スマートフォンのようにアッセンブリーで比較的簡単に造れるはずだ。
モノ造りは「造り手からの使う側への想い」あるいは、造るための「技術の本質への興味」など、本来、お金とは違った次元のものが大切となるが、普及を考えて大量生産による廉価なツールEVに特化するという方法はある。
■まとめ
中国は
・エネルギー施策は電力=原子力。
・自動車産業は基幹産業。
・内燃機関のクルマでは先進国に一日の長がある。
・世界的なスマートシティ/スマートホーム化でEVは伸びる。
・EVなら設計開発しやすい。(ツールEV)
・中国のEVは世界を席捲できる可能性がある
このように、中国は国の根幹となるエネルギー施策と産業を結びつけて将来へのロードマップが描かれ実行されている。日本の場合、もちろん再生可能エネルギーで全てを賄うことは、あるべき姿ではあるが、そこまでのロードマップは難しい。
確かに、自動車はさまざまなことを考慮するとEV化していくと考えられるが、それはエネルギー政策なしには考えられないわけだ。このまま、化石内燃社会から脱皮できないと世界から置いていかれる可能性はある。
私は自動車も時計の世界になっていくのではと思っている。機械式時計から電子時計への変化をいち早くとらえた日本の時計は、高精度/廉価で1979年には世界一の生産国になった。
今では、精度が高く電池もいらないソーラー電波時計は1万円程度で買える。なのに、手巻きの機械式時計に数十万円から数百万円も出す人もいる。つまり情緒価値だ。
だから、ツールの時計と情緒の時計のような世界がEV車と内燃機関車の間にできて、中国EV車はツールの時計で、かつての高精度で廉価な日本の時計のようになるかもしれない。
日本の難しいところは、エネルギー政策のロードマップがホントに実行できるのかよくわからない上に自動車メーカーの将来戦略もFCVやEVなどさまざまな考え方があり、政府とメーカーの間で「ニワトリと卵」になっているように思える。官民一体となり、本気で取り組まないと、世界から置いていかれると言いたい。