さて、回も重ね環境とエネルギーをめぐる自動車の旅というテーマで舘内端さんの主張が展開されている本コラムだが、2016年秋、トヨタの社長直轄プロジェクトとして電気自動車の社内ベンチャーが立ち上がった。
■トヨタ、2020年めどに電気自動車量産、規制強化に対応(朝日新聞)2016年11月8日
朝日以外にも、日経、産経、読売、毎日と主要メディアはことごとく大きく紙面を割いて報道した。こうした報道姿勢を考えれば、ついに大きな山が動いたと見てよいだろう。では、なぜこのニュースが日本中を駆け巡ったのか。それほどにニュース価値のある情報なのか。
実は、大変に価値も意味もあり、関係各方面に大きな影響を及ぼすニュースなのだ。
トヨタとEVに関しては、憶測を含めたさまざまな情報が行き交ってきた。それらのほとんどは、「トヨタが考える究極の次世代車は燃料電池車であり、電気自動車ではなく、今後に電気自動車を量産することはない」というものだ。
これが真実だとすると、今回のニュースは、「トヨタの燃料電池車戦略が変更を余儀なくされた」ことを意味していると考えるのが妥当である。トヨタは、次世代車を燃料電池車と捉え、その開発を推進し、市販まで行なっているが、その戦略を見直すということだ。また、「航続距離が短い電気自動車は自動車として不適格である」という主張を取り下げるということだ。これまでの電気自動車に対するネガティブキャンペーンの停止を意味していると考えるのが自然だ。
これがトヨタの次世代車戦略の大転換でなくてなんだろう。いや、現在、次世代車の戦略こそがメーカーの将来を決定する戦略であることを考えると、トヨタ全体の大きな方針転換なのである。
たとえば、これまで命を受けて各主要メディア、巨大広告代理店、行政、監督官庁に「EVなんぞ使い物にならない。これからは燃料電池車の時代だ」と言いまくってきた多くの上級幹部役員たちの立場を考えると、心が痛む。彼らは、いまさら電気自動車を褒め称えるわけにいかず、かといって「究極の次世代車は燃料電池車です」とも言い切れない。「オレの立場はどうなるんだ」と上司を恨んだところで仕方のない話である。
同様のことは、燃料電池車に限らず、従来型の自動車、技術を開発している多くの部署に起きているに違いない。
トヨタ全社員と多くの協力企業を震撼させるに十分なニュースであり、部外者の私たち以上に彼らこそが驚いたニュースである。
■トヨタ、EV量産へ各国環境規制に対応 (日経)11月7日
それほどまでにトヨタを追い込んだものは何か。日経はその理由について「各国の環境規制に対応するため」と報道している。
これまでも述べてきたように、各国の自動車の環境規制が強化されつつある。それはトヨタとて逃れられるものではない。とくに米国の10州に展開されるZEV規制は、反則すると1台あたり5000ドルという罰金付きであり、米国を最大のマーケットとするトヨタはすぐに対応する必要がある。実施は2018年MYである。つまり18年モデルからの対応であり、実質的には17年から始まる。
そして、これまでZEVに認められてきたハイブリッド車が、これからは認められない。環境規制にハイブリッド車で対応してきたトヨタは、大きく戦略の変更を求められる。
EUでは、メーカーが販売した自動車全体の平均CO2排出量を規制する。規制値をオーバーした場合は、1gに付き95ユーロ(12,000円)で、これに販売台数を掛け合わせた数値が罰金となる。ちなみに2021年の規制値は、95g/kmである。これを燃費に換算するとリッター24.4kmだ。ただし、EUの走行モードでこれをクリアするには、JC08ではリッター30kmだろう。この値を販売する自動車全体の平均燃費としてクリアする必要がある。
これがハイブリッド車でクリアできるのであれば、トヨタはEUでEVを販売する必要はない。だが、多くの欧州メーカーはハイブリッド車だけでは無理だと、PHVやEVの販売台数を伸ばす必要があると考えている。
中国はどうか。現在のところ罰則はないようだ。しかし、EVに1台あたり100万円から150万円の購入補助金を出して普及を促進している。そうした厚遇もあって、EVの販売台数の増加割合は、15年の4月から6月の対2014年比がなんと7倍以上なのだ。前年の7倍もEVが売れたということだ。16年はさらに台数を伸ばしたに違いない。
こうなると、中国でもハイブリッド車以上にEVが売れる可能性があり、トヨタもEVを用意する必要に迫られる。
10州で532万台のEV/PHVを販売
10州でZEV規制が実施されると、2018年に23万台、19年に35万台、21年に60万台、そして25年には110万台のEV/PHVを販売しなければならず、その合計台数は532万台に及ぶ。日本国内の自動車販売台数を優に超える台数だ。
10州はカリフォルニア、オレゴン、ニューヨーク、マサチューセッツ、ニュージャージー、メリーランド、メイン、コネチカット、ロードアイランド、バーモントの各州である。これらの州で全米のおよそ30%の自動車が販売される。
2015年の全米販売台数は1670万台だったので、これを基に計算すると30%はおよそ500万台である。2024年にはこのうちのおよそ20%=100万台がEV/PHVとして販売されることになる。販売される自動車の5台に1台がEV/PHVということだ。この事態をトヨタは静観してきたわけではなかった。
燃料電池車か、電気自動車か トヨタ、紛糾
トヨタがEVに無知なわけではない。上記のZEV規制が実施された1990年には、対応のためにEVの開発を始め、ニッケル水素電池を使ったRAV4 EVを完成させ、モナコで開催されたEVラリーに参戦している。また、量産間近まで計画が進んだ小型EVもあった。
そうした研究・開発の結果、1990年代地点ではEVの実用化は無理だという結論に至った。 一方、バラード社の燃料電池開発、それを搭載したメルセデスのネッカーⅠの開発に端を発する燃料電池車ブームがやって来ていた。やがて燃料電池車ブームは、トヨタとホンダの同時内閣府納車で去って行くのだが、(当時の電池技術に基づく)EVに比べるとずっと燃料電池車の方が利便性に優れていた。
トヨタは、それまでの研究の結果、EVを捨て燃料電池車=FCVを次世代車として研究開発を推進することにしたのだった。
その頃、プリウスが発売され(1997年)た。当初は売れず苦戦するも、原油価格が高騰し、米国東海岸=カリフォルニア州で、それまでガロンあたり1ドルほどだったガソリン価格が4ドルに高騰したことで、2代目プリウスが急速に売れ始めた(2004年)。また、当時のZEV規制もハイブリッド車が許されていたこともあって、トヨタはハイブリッド車を自社のエコカーの中心に据えた。
やがてハイブリッド車と燃料電池車の2面作戦が、トヨタの環境戦略となった。しかし、三菱自動車からi-MiEV(2009年)が、日産からリーフ(2010年)の2台の量産EVが発売されると、次世代車をめぐる様相が変わり、EVとFCVの全面対決が始まり、ハイブリッド車はつなぎの自動車との意見も強力となった。
そして、ハイブリッド車は国内でこそトヨタの販売台数の半分を占めるようになるのだが、世界的には認知度は思ったほど高まらず、ヨーロッハではディーゼルが販売台数の半分を占めるまでになった。
一方、FCVの開発は思うように行かなかった。効率、水素の燃費、充填インフラの未整備…等、FCVをめぐる状況は一段と厳しさを増していた。
ハイブリッド車はディーゼル車と対決しなければならず、EVの台頭を前にFCVの開発は進まずとトヨタの次世代車戦略はディーゼルとEVに挟撃され始めた。そして、米国のZEV規制とEUのCO2規制、中国のEV優遇政策がトヨタ城の外堀を埋めつつあった。
おそらくトヨタ社内の経営会議の席では、必ずと言ってよいほど、次世代車戦略の見直し論議が起きていたに違いない。そこでは、大多数を占めるハイブリッド車派と豊田章一郎名誉会長の厚い庇護を受けたFCV派と、少数のEV派が、口角泡を飛ばし、激論を戦わせていたに違いない。
だが、これまでのように議論を戦わせている暇がなくなった。ヨーロッパ勢、とくにドイツ勢が急速にEVの開発、販売に傾いたのである。とくにトヨタから世界一の販売台数の座を奪ったVWに至っては、2025年までに30種類のEVをデビューさせ、完全にディーゼルを捨てると宣言していた。
一方、究極の次世代車と呼んではばからない頼みの綱のFCVの普及は絶望的な状況を迎えていた。FCVをZEV規制対応車とするわけにはいかなかった。トヨタはEV開発に思い切って舵を切らなければならない状況を迎えていた。
だが、社内は99%が反EV派で占められている。EVの開発責任者は四面楚歌で、開発は思うように行かないことは目に見えていた。
それを見て取った豊田章男社長は、「トップは私がやる」と、社内の反発の矢面に立つことを宣言したのだった。そして、実に巧妙な人事を発表した。
開発の実務のトップはプリウス、プリウスPHVを担当した豊島浩二・チーフエンジニアが務め、周辺を豊田織機、アイシン精機、電装という中核協力企業から引き抜いたのだった。
章男社長をトップに、社内生え抜きのチーフエンジニア、そして協力メーカーからの生え抜きという、トヨタ色の非常に薄いEV開発チームが立ち上がった。
では、なぜ章男社長は、トヨタ色の薄い組織にしたのか。そこには深謀遠慮の戦略があった。続きは次回に。