【舘さんコラム】2020年への旅・第11回「充電の旅シリーズ11 スーパーセブンに聞け 第9話 六ヶ所村とエッジ天才舘野」

次の充電スポットは、使用済み核燃料の再処理工場を見下ろす六ヶ所村の高台にあるはずだった
次の充電スポットは、使用済み核燃料の再処理工場を見下ろす六ヶ所村の高台にあるはずだった

エッジ天才舘野が斬る。人造人間と宇宙の掟

まだ10月だというのに寒風の吹きすさぶ大間で知り合った寄本と鈴本は、旨いマグロをつついたからか、またたくまに親交を深めた。

10年来の友人というよりも、恋人のようになって、EVスーパーセブンのコクピットに収まり、小さなシートを体温で温めた。EVスーパーセブンに暖房は何もなかった。

高台は風車の林である。六ヶ所村は風車村でもあった
高台は風車の林である。六ヶ所村は風車村でもあった

 

大間は、下北半島の突端の町である。というよりも、本州の北の果てといったほうがよいかもしれない。マグロが旨い。ただそれだけなのだが、何もない分、人情がある。大間のマグロの旨さは人情の旨さなのだ。寄本と鈴本は、大間を出るとEVスーパー・セブンのリチウムイオン電池を気遣いながら278号線から338号線へとルートを選び、何度か急速充電をして、六ヶ所村に着いた。そこは金網で厳重に囲まれた巨大な原子燃料サイクル施設のほかは、茫々とした草原だけだった。人もいなければ、行きかう自動車の姿も見えなかった。

しかし、ここには日本のエネルギーの可能性と問題と危険性のすべてが集約されていた。寄本は言った。「鈴本さん。人間には侵してはいけない領域が3つあると思うんですよ」「いきなりどないしはったんですか。人間には侵してはいけない領域ですか」

鈴本は呆気にとられた。しかし、寄本のいつもよりも真剣な顔つきに「これは何かある」と直感して、襟を正して訊くことにした。

「もっともこれはエッジ天才舘野さんの自論ですがね。ひとつは遺伝子操作。ふたつ目が臓器移植。三つ目が原子の操作です」寄本がエッジ舘野の言うことだと断りながら、「この三つは神の領域なんです。人間が知ったり、操作したり、利用してはいけない。そうすると大きな禍がもたらされる」といった。

鈴本は、「超ウソっぽい」と思わないではなかったが、続きを聴くことにした。たとえば臓器移植は、移植された人にアイデンティイの崩壊という深刻な精神的苦痛をもたらせる。つまり、自分は誰なのだという疑問だ。父親や母親から腎臓をもらった場合は、深刻な親への依存症となるケースがあるという。

あるいは臓器移植の研究が進んで、いつの日か脳死したAさんに、心臓麻痺で死んだBさんの頭部が移植されることが行なわれるようにならないとは限らない。その場合、脳を移植されたAさんは、Aさんなのか。それともBさんなのか。Aさんとすれば、移植されたBさんの脳は自分がAさんだと認識できるのか。Bさんだといった場合、Bさんは首を取られた上に心臓麻痺で肉体は死んでいる。肉体を持たない脳とは…。

現在は、そこまで高度な移植は行なわれていないが、臓器を移植された人は精神に混乱をきたす場合が多い。精神の問題は、神のみが扱える領域なのだ。侵してはならない。

遺伝子操作は、それ以上の問題を起こす。人間に限らず、生命界全体に大きな混乱をもたらせ、引き返せなくなる場合さえある。DNAだけで生命は理解できず、生命はDNAだけで成り立っているわけではない。遺伝子操作のあげくに生まれる新しい生命。その延長上に誕生する人造人間は、おそらく(従来までの)人間には理解不能であり、受け入れがたき存在に違いない。生命の誕生と死は、神のみが知る領域なのである。あるいは宗教だけが踏み込める領域だ。

モーセの十三戒
地球の生命界は、宇宙から隔離されて生まれ、維持されている。地球上の生命にとって、宇宙とはきわめて危険な存在なのだ。一方、原子力発電なり、原子爆弾なりの原子力工学は、宇宙の原理を探求し、それを利用する。原子力工学は、危険な宇宙を、再び地球上に呼び戻す学問であり、技術なのだ。

原子力工学とは、そこから隔離されたことでわれわれ生命が存在できている宇宙(の原理)を地球の生命界に持ち込むものである。原子炉とは、宇宙を閉じ込めた器である。その器に亀裂が入れば、地球上に宇宙が飛び出す。それは生命が存在できなくなることを意味している。

舘内コラム3
原燃PRセンターはここ。神の領域をPRするのだ
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たどり着いた高台の急速充電器。風車で発電した電気だと嬉しいのだが…

 

原子爆発とは、地球上に宇宙をばらまくことなのだ。われわれ人間は、そもそも宇宙を自分の都合の良いように制御できるのだろうか。そんなことはなかろう。宇宙もまた神の領域である。侵してはならない。

モーセはシナイ山で神から十戒を授けられた。人間が犯してはならない十の戒めを受けたのだ。しかし、何か忘れてはいまいか。寄本は、「本当のところはわからないのだが」と断って、「『真実は十戒ではなく、十三戒だったのだ。当時は残りの三戒は理解できず、三つの戒律は忘れ去られた』んだって、まじめな顔をしてエッジ天才舘野さんはいうのよ」とつけ加えたのだが困惑していた。

鈴本は「嘘八百だと思うが、否定はできない」と思った。エッジ舘野のいう「忘れられた三つの戒律」とは、遺伝子操作、臓器移植、原子力工学なのだ。そう思った。

利子は取ってはいけない
「それだけじゃないのよ。資本主義も戒律違反だというわけ」さらに寄本は困惑して言った。これには鈴本も驚いた。エッジ天才舘野が言うには、「モーセが神から授かった戒律に、『利子の禁止』がある。イスラム教では、金は貸しても利子を取ることは戒律で厳しく禁止されている」そうである。さらに、「利子は未来という時間を奪う。未来は神のみぞ知るものであり、そこにつながる時間とは人間が扱ってはならないものなのだ」と加えた。

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PRセンターの一部。資源には限りがあるそうである。宇宙はしばらく無限だと思うのだが…
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放射性廃棄物の入ったドラム缶。何十万年も無事に保管する必要がある。未来の時間は神のものである(はずだ)

 

それを聴いて、「そうか。そういうことか」と鈴本は、だんだんエッジ舘野の天才性をわかりかけていた。同時に「いやなことをわかりかけている」とぞっとしたのだった。鈴本は箱屋の若旦那ではあるが、京都の大学の経済学部を優秀な成績で卒業していた。乞われて清水寺の館長の娘の家庭教師をしていた。学識派である。

『利子こそが資本主義の基本的な構造である』と大学で学んだ。しかし、『投資の旨みこそが人を狂わせ、経済を発展させる。だが、かならずバブルを生み、そして崩壊させ、おびただしい債務を残し、そのために税金を投入し、国民に貧困を押しつける。その繰り返しは、人間の愚かさそのものである』と天才舘野は言うのだが、それは初耳だった。

だが、昨今の日米の土地バブル、サブプライム住宅バブル、ITバブルを見ていると、エッジ舘野の言うことには一理あると思わざるを得ないのだった。そして、たとえバブルが崩壊しても、資本家は国家の支援で富を失わず、庶民は税金という形で締め上げられている。

『人間が愚かな存在であることを知る神は、利子を禁じたのだ。利子を構造化して成立する資本主義は戒律違反なのだ』と言うエッジ舘野は天才だと思うのだった。日本はアッラーに利子を禁じられる前に、すでにゼロ金利である。日本は資本主義を卒業して久しい。ところが、日本に欧州と米国が追随してきた。日米欧、同時利子率ゼロである。

利子率がゼロということは、投資しても儲からないということを意味している。これは、先進国で資本主義が崩壊しつつあることの証拠以外のなにものでもない。そして、先進国の投資先を失った過剰マネーという化け物が、アジア、アフリカを徘徊している。そのバブルの幻影を追って、自動車メーカーが多数、アジア、アフリカに進出している。

だが、アジア、アフリカのバブル経済の崩壊は目前である。つぎはどこへ行くのだ自動車メーカーは…。「南極しか残っていない」とエッジ舘野は言う。つまり、終わりだと。

夢を食う団塊の世代
資本主義は、資本の自己増殖のプロセスだ。同様に核燃料サイクルとは、核エネルギーであるプルトニュウムの自己増殖のプロセスだ。高速増殖炉では、通常の原子炉では燃やせないウラン238をプルトニウムに転換させるため、ウラン資源を事実上数十倍にできる。このため「夢の原子炉」と言われている。だが、いまだ世界中で高速増殖炉は稼働できていない。核燃料が増殖せず、利子率ゼロなのである。これは、資本を無限に増殖させるという幻想の上に成り立つ資本主義の利子率がゼロになった現在の状況と瓜二つだ。

パワー・オブ・ドリームと、どこぞの自動車メーカーが言うが、現代に生きるオレたちは、特に団塊の世代たちは、幻想の中でしか生きられない。夢を持たないと生きられないよう慣らされてしまった。

団塊の世代は、若者を見ると『夢を持て』と呪文のように唱えている。だが、夢などどこを探してもないことを知っている若者は、ジジイが言うことを理解できず、そんなジジツを見ると『このアルツジジイめ』と呟く。『団塊ジジイの夢は、これまで無かったものが新しく生まれるとか、大きくなるとか、多くなるとか、そんな夢だ。増殖する夢なのよ』

エッジ天才舘野はそういう。「あんたこそ団塊の世代だろう」と寄本は訊くと、「バカ言え。オレは団塊の世代の一つ上だ」と答えた。そして、そうした夢のひとつがエネルギーを増殖させる高速増殖炉なのだという。戦後の経済成長の中で生まれた増殖夢であった。経済成長を終え、ゼロ金利の現在、若者には高速増殖炉はバカらしくてしようもないものなのだ。

原子力とは、宇宙を取りこむことであり、それは無限の可能性と無限の危険性を併せ持つ夢想であり、幻想であり、夢だからこそ、戦後に団塊の世代に大きな力となった。君子危うきに近寄らずだが、大衆は危うきものにワクワクしてしまう哀しい存在なのである。

懐かしい人たちがいる八戸に行こう
寄本は隣りに鈴本を乗せて、EVスーパー・セブンで国道338号線を走った。左手には六ヶ所村の再処理工場施設があった。そこは、茫々と草の生えた高い土手で囲まれていた。 土手の上には延々と鉄条網がある。あれは何なんだ。まるで下界の地球と天上界の宇宙を厳しく隔てているようだ。

舘内コラム7
限りある石油資源の備蓄タンク。これがないと走れない自動車もある

 

二つの世界は、決して交わってはならず、その戒律を犯して交われば災禍が及ぶ。六ヶ所村は、村と宇宙に分かれていた。二つの世界を結ぶものはないのだろうか。共存はできないのだろうか。できないと、モーセに下った十三戒は言っていた。

寄本は、久しぶりにエッジ天才舘野に会いたいと思った。会って、あの嘘八百を聴きたいと思った。そう言うと、「会いたいっす」と鈴本がいった。EVスーパーセブンは六ヶ所村に別れを告げると、338号線から394号線、そして4号線で十和田市を経て、八戸市に向かった。そこには、懐かしい東北自動車の仲間が待っている。以下、次回。

2020年への旅 スーパーセブンに聞け 第8話

日本EVクラブ

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