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マツダが空燃比30の希薄燃焼(リーンバーン)エンジン「スカイアクティブ-X」エンジンを市販したことは大きなニュースになった。近未来のガソリンエンジンは、エンジン動力を単独で使用する場合でも、ハイブリッド システム用エンジンであっても大幅に熱効率を高めることが求められ、そのためには従来より2倍以上の空燃比で使用する超希薄燃焼をどのように実現するかが大きなテーマになっている。
ディーゼルエンジン化がポイント
ガソリンエンジン、つまりオットーサイクルの熱効率を高めるためには、空燃比30以上、つまり従来の理想空燃比14.7の2倍の空気量を持つ混合気による希薄燃焼と、高圧縮比化、さらに、より低温での燃焼を実現することだ。
希薄燃焼、高圧縮比はディーゼルエンジンが持つ特性で、ガソリンエンジンのディーゼル化が高効率への技術トレンドである。より低温での燃焼は、希薄燃焼では投入燃料が少ない分だけ低温での燃焼となり、低温燃焼であるほど有害ガスのNOxを低減することができるのだ。
さらに低温燃焼化により、エンジン本体に放熱されることによる冷却損失が低減し、また希薄燃焼では大量の空気を燃焼室に送り込むためスロットル開度が大きく、結果的にポンピング損失も低減する。つまり希薄燃焼、高圧縮比化によりエンジンの熱効率はディーゼルエンジンと同等レベルに高めることができる。
熱効率を高めるために、これまではアトキンソン(ミラー)サイクル、低フリクション化、排気熱回収などを組み合わせていた。トヨタの最新のハイブリッド用エンジンは最高熱効率41%、ホンダのe:HEV用エンジンは40.6%を達成している。しかし、さらなる熱効率を追求するためには希薄燃焼への挑戦が必須となってくる。
F1、WECで希薄燃焼が実現
マツダのスカイアクティブ-Xエンジンは、希薄燃焼のために空気だけでなく大量のEGR(再循環された排気ガス)を使用している。しかし、実はもう一つの希薄燃焼システムが存在しており、それはすでにモータースポーツ用のエンジンとして普及しているのだ。
市販エンジンより先にモータースポーツ用のエンジン、F1、世界耐久選手権(WEC)、スーパーGT/GT500クラスで先に普及した理由は、これらに燃料流量制限というエンジンに関する規則が導入されたからである。
F1グランプリでもサーキット走行で必要な燃料量が限定(初期は1時間で100kg以内のガソリン、2019年は110kg以内のガソリン)されているのだ。これは従来の燃料使用量に対して30%の削減、つまり30%の燃費向上となる。もちろんゆっくり走ればその燃料で走行できるが、より速いスピードで走行するためには、より多くの燃料を必要とするが、使用量が限定され、しかも高回転を保つためには空気量を増やす、つまり希薄燃焼をせざるを得なくなったのだ。
マーレのプレチャンバー式
言い換えれば、希薄燃焼とパワーの両立が求められたのだ。そこでクローズアップされたのが、ドイツのマーレ社が特許を持つ「プレチャンバー」式点火方式による超希薄燃焼だ。
マーレ社は、ピストン、ピストンリング、エンジン補機、エンジン制御ユニット、さらにはエンジン開発用のシステムなども製造、販売するサプライヤーであるが、プレチャンバー(副燃焼室)式点火&燃焼の特許を持っているのだ。
このシステムをいち早く採用したのがF1エンジンのハイブリッド化に最初から取り組んでいたメルセデス・ベンツ、フェラーリのF1チームであった。言うまでもなく、メルセデス・ベンツはF1において大成功し、一時期は他チームを寄せ付けない実力を示すことができた。もちろんメルセデス・ベンツの成功は、プレチャンバー式エンジンだけではなくターボチャージャーによる発電と、回生ブレーキを組み合わせたハイブリッドによるエネルギー制御技術の高さも大きい。もちろんF1に復帰したホンダもプレチャンバー式エンジンを採用している。
F1と同様に、世界耐久選手権(WEC)でも燃料流量制限が導入されたため、トヨタ、ポルシェはマーレのプレチャンバー式を導入。WECのハイブリッドカー、LMP1クラスは1時間あたり80.6kgのガソリンに制限され、F1よりさらに厳しい設定でのレースとなっている。
さらに、日本におけるスーパーGTのGT500クラスも、ガソリン使用量が95.0kg/h〜85.5kg/h(成績ハンディによる)燃料流量制限規則が導入されたため、各ワークスチームは希薄燃焼のために、このプレチャンバー式の導入を行なっている。
このように、レース用エンジンの世界では空燃比30に達する希薄燃焼と、パワーを両立するエンジン技術がもはや一般化している状態であり、ある意味で市販エコエンジンのはるか先にいるわけだ。
プレチャンバー式とは
プレチャンバー式とは副燃焼室を意味している。副燃焼室といえば往年のホンダのCVCCエンジンを思い浮かべる人もいるだろう。しかし、マーレはこのプレチャンバー式を「マーレ ジェット イグニッション(MJI)」と名付けており、CVCCとは全く別物だ。
希薄な混合気、高圧縮比という条件では、混合気はとても着火しにくいので、どのように着火して燃焼を行なうのかがポイントとなっている。マツダのスカイアクティブ-Xの場合は、高圧縮した混合気に、点火プラグ周辺に噴射した濃いめの燃料で着火し、その火種によって燃焼を拡大するSPCCIと名付けられた点火方式を採用している。
これに対して、マーレのMJIは副燃焼室内に高圧の燃料を噴射し、高圧縮されたそのチャンバーに点火プラグで着火することで狭い副燃焼室(チャンバー)内にジェット噴流を発生させ、そのジェット噴流をチャンバー出口の多数の小さな穴から燃焼室の全周に向かって吹き出すことで希薄混合気を高速燃焼させる仕組みになっている。
副燃焼室でジェット噴流を発生させ、それにより燃焼室の高速燃焼を行なうため「ジェット イグニッション」という名称になっている。このジェット噴流を使用することで、ノッキングを大幅に抑制できることも大きなメリットだ。
マーレはこのシステムを、高効率、低燃費、低NOxを実現する手段としており、必ずしもレース用エンジンのためとはしていない。
このようなマーレのMJIはアクティブ プレチャンバー式と呼ばれている。というのもマーレ以外に、エンジン技術開発会社のAVL社(オーストリア)やIAV社(ドイツ)は、ジェット噴流を発生させるために別のシステムを考案しているからだ。
これら2社は、燃焼室中央にある点火プラグの下側に狭いスペースを作り、多数の小さな穴が開いたキャップをこのスペースにかぶせる構造で、点火プラグ下側スペースとキャップの間の狭い容積がプレチャンバーとなるのだ。高燃圧直噴のインジェクターはそのキャップの直下に噴射するようになっている。
この方式では、高圧縮比で希薄な混合気を圧縮し、高圧インジェクターが1回目の噴射を行なう。この状態で圧縮が行なわれると1回目のプレ噴射を含む濃いめの混合気はキャップ内のチャンバーに押し上げられ、その状態で点火プラグが着火を行なう。するとチャンバー内でジェット噴流が発生し、キャップの小穴から燃焼室にジェット噴流が吹き出すようになっている。
つまり点火プラグの側方から高圧噴射を行なうのではなく、燃焼室側のインジェクターの噴射をチャンバー内に逆流させて点火するため、パッシブ チャンバー式と呼ばれている。
もちろんAVL、IVAの両社ともに、空燃比30以上の超希薄燃焼による熱効率の向上、NOxの大幅な低減を目指している。
これらのプレチャンバー式、つまりジェット噴流による希薄燃焼はマツダ方式より高速燃焼が可能で、EGR、あるいはターボを併用したとしても燃焼室内のより均一な高速燃焼ができるため、熱効率の高さと出力の両立がしやすいのもメリットとなっている。
プレチャンバー式の量産エンジンへの適用
トヨタもホンダも、すでに次世代のハイブリッド用エンジンとして、超希薄燃焼を実現するために、このプレチャンバー式エンジンの開発を行なっていると噂されている。
いずれも最高熱効率45%以上を狙っている。実験レベルではプレチャンバー技術を利用すると空燃比40に達する超希薄な混合気でも安定して燃焼することができ、燃焼速度は普通のガソリンエンジンの2倍近くも速く、しかも超希薄燃焼のため燃焼温度が低くNOxの発生が大幅に抑えられるという。
またこうしたプレチャンバー式のエンジンでは、高速燃焼が可能なのでメインの噴射タイミングをできるだけ遅らせ、それによって燃焼室内の高圧縮状態でより多くの過流を発生させることで、ノッキングしにくく、より希薄な混合気をより高速燃焼させることができるからだ。
もちろん課題はコストだ。いずれにしても350bar以上の高圧直噴システムが必須で、さらにマーレのMJIは高圧直噴インジェクターと小型点火プラグが並列する特殊な形状のためコストがかかっている。一方のパッシブ チャンバー式はそれよりは低コストといわれているが、従来エンジンよりコストはやや上昇すると予想されている。
こうした熱効率45%の次世代エンジンに、さらにより有効な排気熱回収システムを組み合わせることでハイブリッド システム全体での熱効率は50%レベルを目指している。ちなみにF1でもWECマシンでもハイブリッド システムを含む最高熱効率は50%を超えている。市販ハイブリッドカーもそのレベルにあと2〜3年で到達するはずである。