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デザインがカッコいい、エンジンパワーが大きくて加速がすごい、あるいは燃費がよくて・・・など、クルマを買う時の理由は様々だ。しかし、シートに惚れて買うというような理由はあまり耳にしない。だが、実はクルマのシートの性能がとても重要だということは、クルマを所有して初めて実感することになる。
クルマのシートの役割
クルマのシートの役割は、乗員の身体を保持し、ドライビング・ポジションを整えるという、クルマを操縦するための重要な役割の他に、走行中の車体の動きを減衰させ、乗員の身体に伝わる振動を弱めるショックアブソーバー/ダンパーの役割もある。しかし、今回は特にシートの機能とドライビング・ポジションに注目し、乗員の身体を適切に支える、長時間乗っても疲れにくいとはどういうことかを考えてみよう。
長時間乗っても疲れやすいか、疲れにくいか、身体が痛くならないかというようなシートの機能性は、なかなか短時間乗っただけではわかりにくく、評価しにくい。一般的にはかなり長時間のドライブや、長期にわたる使用感の蓄積を経て初めて実感できるものだ。
また、気に入ったクルマを買ったはずがシートは気に入らないというような場合もある。だが、簡単にシートを交換することはできない。よほどのマニアならアフターマーケットのシートに付け替えたりするが、一般的にはクルマと一体で、自由に選ぶことができないという問題がある。
さらに、高価で、豪華な装備のクルマなら、良いシート、気に入るシートが装備されているとも限らない。
有名な例として、戦後発売されたシトロエン2CVは、廉価なフランスの国民車で、装備も今から見れば質素そのもので、見た目はまるで公園のベンチのような簡素な作りのシートを備えていたが、座り心地が絶妙で高い評価を受けたという事例もあるのだ。実は2CVのシートを良く観察すると、理にかなった形状になっていることがわかる。
そこで、シートの良し悪しはどこから生まれるのか、どのようなシートを良しとするのか、といった点を考えてみよう。
医学的な見地とシートの常識
クルマのシートは車体の動きを減衰して乗員の身体に伝える役割があるが、クルマが静止状態で考えれば、オフィスや家庭にある椅子と同様に、人間の体を保持、腰掛けるという機能を持つ。では、どのような椅子が身体によいとされるのか?
椅子の基本は人間の脊椎(背骨)の形状に合わせるということが定説になっている。人間の脊椎は直立状態を側面から見てS字状に湾曲していることがよく知られている。S字状に湾曲している状態が、脊椎を支える筋肉も全方向にバランスしている状態だ。
ではS字上の脊椎を持つ人間が椅子に座るとどううなるか。椅子に座ることで脚の部分は前方に移動するが、腰から上の上半身は基本的に直立時と同様と考えられている。つまり脊椎はS字状になっている。しかし椅子は背もたれがあるため、その背もたれに状態を預けると、姿勢が変化するわけだ。
だが、その背もたれに上半身を預けた状態でも脊椎がS字状であれば、周囲の筋肉の負担は少なく、疲れにくいとされている。一方で、背もたれに上半身を預け、脊椎の形状が変わると、その周囲の筋肉に疲労が生じやすくなるという原理になるのだ。
オフィス・チェアの例で見てみると分かりやすい。特に骨盤の位置と腰椎(背骨の腰の部分)、脊椎上部の形状に注目するとその違いが大きいことがわかる。それは、本来のS字状になっていない部分があると、脊椎の周囲の筋肉部に負担がかかっているということだ。
脊椎の周囲の筋肉に負担がかかっているのが短時間であれば、それほど疲労が発生しないであろうが、クルマのシートの場合は、長時間運転を続けることがあるので、脊椎周囲の筋肉疲労はきわめて大きくなる。また、逆に言えば、シートバックの形状が脊椎本来のS字形状を維持できるのであれば疲労が少ないという理屈になる。
もちろんクルマのシートはこうした医学的な見地や、実験による知見を採り入れて開発されている。特に、脊椎上部の一体的な支持や、座面の圧力分布の均一化については、どのメーカーも力を入れている。さらに、座面の後傾角度(座面の後方で圧力が高くなるかどうか)、ショルダーサポート(横Gによる上半身の左右のずれをどの程度抑えるか)、よりスポーティなクルマでは座面左右のサポート(サイサポート:太腿部の左右方向の支持)など、クルマごとの特性の違いを考慮する必要がある。
またクルマによって、シートの取付け高さが違っており、軽自動車やミニバン、SUVは着座位置が高く、オフィス・チェアのようなアップライト(直立)姿勢になり、スポーツカーになるほど着座位置が低く、寝そべった姿勢になるという特長もある。そのため、それぞれのクルマに合わせたデザインが求められるのだ。言い換えると、ドライビング・ポジションとシートは密接な関係があるといえる。
ちなみに、走行中は前後左右のGが、それも強いGが絶えずかかる条件を考えると、最も理想的なドライビング姿勢は宇宙飛行士がスペースシャトルのシートに着座する姿勢だといわれる。
その影響もあって、ル・マン24時間レースなどの世界耐久選手権用のマシンや、F1グランプリカーにドライバーが乗り込んで座る姿勢はスペースシャトルのシートの姿勢と似ている。この姿勢では強いGに耐えやすいといわれているのだ。
もちろんこのようなドライビング・ポジションでも、身体の脊椎のS字形状が維持されるのが前提で、そのためレージングマシンではドライバーごとの体に合わせたシートの型取りが行なわれ、専用のシート形状になっている。
クルマのシートの実情
通常、自動車メーカーは、シートメーカーと共同開発を行ない、製造はシートメーカーが担当する。自動車メーカーでシートを自社生産するのは例外的にメルセデス・ベンツが行なっているだけだ。
したがって、シートメーカーが、クルマのシートに関する独自技術やノウハウを持っている事が多い。ヨーロッパではフォルシアやレカロなどがシートメーカーとしてよく知られており、シートに関しての過去のノウハウの蓄積があり、また各国の多くの自動車メーカーのシートを開発し、製造しているという実績も大きい。
日本では、クルマ用のシートメーカーは多数存在し、それぞれのシートメーカーが取引先の自動車メーカーとシートを共同開発している。だが、日本の場合は垂直型の業務分担となるという歴史的な経緯があり、自動車メーカーと対等関係にある欧州型のサプライヤーと風土が異なっている。
近年は、日本の自動車メーカーの海外生産が増え、その海外工場の近くにシート生産工場を新設するなど、グローバル化も大幅に進んでいる。自動車メーカーも現地のサプライヤーを採用するより、従来からの取引に慣れ親しんだシート・サプライヤーを希望しているのが実情のようだ。
こうしたシートメーカーと自動車メーカーの関係の違いの他に、歴史的に見た海外の椅子の文化と、日本の文化、風土の違いがこれまでシートの違いを生み出してきたともいえる。もちろん、近年はシートの研究も進み、上級モデルには海外製品と遜色ない性能を持つシートも登場しているが、すべてのカテゴリーのクルマで考えると、まだ差はあるのが実情だ。
もちろんそれはシートメーカーだけではなく、自動車メーカーのシートに対する意識やコスト観に起因する点も大きい。さらに日本のユーザーは伝統的に、身体にソフトタッチする、クッションの柔らかいシートを好むということも、ひとつの傾向を作り出している原因と考えられている。
柔らかいクッションのシートは、シート本来の機能を発揮できにくくしており、脊椎のS字形状のサポートができにくいだけでなく、左右の身体のズレも発生しやすいのだ。
ドイツ車のシートは昔から固いクッションであることが知られているが、一方で身体の支持をしっかりとさせるという機能は備えている。その一番の特徴は、腰椎部のクッションが前方に盛り上がっており、乗員がシートに座ると腰椎を押すように働く。この腰椎の突起と上半身の緩やかな形状連続支持、そしてラグジュアリー形状のシートであっても、ショルダー部に左右サポート用の支持板が隠されていること、そして適度な座面の後傾角度と臀部の落ち着きやすい形状が組み合わされることで、脊椎のS字形状の維持と、運転中にずれにくいシートポジションを生み出しているのだ。
現在では、ドイツ車のシートもフランスのメーカーのフォルシアが製造するなど、かつてのような極端な国別の違いはないが、クルマのシートの原理原則は守られている。日本車のシートの形状は、現在はグローバル基準に近づいているが、クッション材の柔らかさから生まれるルーズさや、腰椎の押し出しに関しては今ひとつという実情である。