2006年からWTCCのワンメイクタイヤサプライヤーを務めるヨコハマタイヤは、タイヤの供給だけにとどまらなかった。 文:世良耕太 Kota Sera
つまり、供給体制の構築であり、世界中のサーキットでのサービス体制があるからこそ、WTCCは滞りなくレースが運営されているのだ。製造したタイヤを求められた本数、求められたサーキットにきちんと届けて、タイヤサプライヤーとしての任務をまっとうしたことになる。もちろん、求められた期日までに。
WTCCはヨーロッパを中心に、世界各地に開催地を広げている。ところが、ヨコハマタイヤの生産は静岡県にある三島工場で行なう。大量のタイヤを輸送するには地理的な不都合を負うことになるが、そんなことはWTCCに出ると決めたときから分かっていることだった。
◆三島工場で生産され、世界中に供給する
「2005年6月に供給権を落札し、そこから本格的な開発を始めました」
こう当時を振り返るのは、主催者側とのコミュニケーションを密に取り、供給体制の構築に尽力したヨコハマヨーロッパ社副社長の関口和義氏である。
いくら入念に体制を整えたところで、スペックが決まらなければ生産に取りかかれない。生産できなければ輸送できず、2006年2月のテストに向けたデッドラインはじりじりと近づくのみだった。間に合わせたところで「よくやった」とほめられるような、ぬるい世界ではない。間に合わせて当たり前だという覚悟はある。
「最終仕様が決定したのがクリスマス直前だったので時間的な制約から、1年目のタイヤ供給は、かなりの量が空輸だったと記憶しています。現在は100%船でタイヤを運搬しています。日本からイタリアへは約1ヵ月半かかるため、余裕を持った在庫転がしシミュレーションが必要です」
ヨコハマヨーロッパがドイツ・デュッセルドルフにある都合上、船で運ばれたタイヤは同じドイツにあるハンブルグの港に運ばれる。当初はそこでタイヤをトラックに積み替え、イタリアの倉庫に陸送していた。そして各地のサーキットへは、イタリアの倉庫から発送される。
のちにEU内の法規制を精査した結果、ドイツを経由せず、イタリアに直送できるようになった(スエズ運河経由で地中海に向かうため、アフリカ大陸を回り込む必要はない)。これで、1~2週間ほど輸送期間が短縮できたという。
◆生ものの管理と先入れ先出し
輸送面で気を遣うことはいくつもあった。ふだん意識することはあまりないかもしれないが、タイヤは立派な「生モノ」である。本来の性能を発揮させるには丁寧に管理する必要がある。例えば温度に敏感だ。許容以上の温度、つまり暑い環境に長期間さらされると、分子の動きが活発になり、構造の中にある油が外に出て、構造が弱くなってしまう。また、寒ければ寒いで「ひび割れ」の原因になる。
もうひとつ、管理面で気を遣うのは、タイヤのやりくりだった。
「参戦当初はBMW、アルファロメオ、セアト、シボレーの4メーカーがワークス参戦していたので、チームテストが多く、欧州側でも日本側でも在庫がすぐに底をつきました」
使用量が多く、供給が追いつかない悩みである。それとはまったく逆の現象にも対処しなければならなかった。
「基本的には先入れ先出し(先に入庫したタイヤから順に出荷する)で管理しています。ですが、ウェットタイヤの管理には苦労しました。なぜなら、長期間雨が降らないと出番がなく、ずっと保管しなければならないからです。また、欧州以外のレースから戻ってきた未使用のタイヤと、新たに日本から着荷(荷物が到着すること)した在庫との仕分けに苦労しました」
天候も「読む」時代だが、自然が相手だけに精度高く見極めるのは難しい。それよりももっと難しいのは、テストやレースイベントで使用するタイヤの本数を見極めることだった。WTCCの場合、テストではぎりぎりのタイミングまで何チームが参加するのか確定しないからだ。
だが、正確な数字が確定してからタイヤを生産し、輸送していたのでは間に合わないから、必要な本数を予測して生産~輸送に取りかかることになる。足りなくては一大事だから多めに生産するのが基本だが、時期によっては他のレース用タイヤの生産時期と重なることもある。そちらに負担をかけることはしたくない。だから、ぎりぎり最低限のラインを狙って生産計画を組む必要があり、そこがノウハウとなる。
ヨーロッパ以外のラウンド、とくにアジアではスポットで出場するドライバーが多く、エントリー台数を精度高く予測するのが難しい。だか、それをやるのがヨコハマの腕、というより頭脳である。
◆間もなく開催される鈴鹿も例外ではない
ちなみに、鈴鹿サーキットで行なわれる日本ラウンドもスポットでの参戦が多いラウンドのひとつだ。「三島から鈴鹿に運べばいいんでしょ?」と思うかもしれないが、そうは問屋が卸さない。他のラウンドに供給するのと同様、ヨーロッパを経由して鈴鹿にやってくるのだ。そのため、開催の3ヵ月前にはエントリー台数を予想し、生産量を確定しておく必要があるという。世界選手権ならではの特殊な事情と言えるだろう。
「日本ラウンドで使用するタイヤは、いったんイタリアに送ったタイヤを逆輸入しています。効率が悪いように見えるかもしれませんが、試行錯誤の末、この方法に落ち着いています」
ヨーロッパでのレースが多いなら、地理的に近い拠点で生産すればいいとの考えも浮かぶだろうが、そうはいかない。
特殊な機械が必要だという意味でも、高度な技術を身につけた作業者がいるという意味でも、三島でしか作れないのだ。世界中のレースタイヤは三島工場で生み出されている。WTCC向けも例外ではない。
WTCC参戦に向けて主催者側とのコミュニケーションに尽力した関口氏は、当時、主催者側がFFとFRの性能差を平等にすることに気をかけていたのが印象に残っているという。だから、「WTCC初年度(2006年)の開幕戦の予選で、FF、FRを含めた20台近くの車両が1秒以内に入り、接戦となったときは本当にうれしかったです」と、当時を振り返る。
物流体制の構築あってこその結果であり、だから「開発エンジニアや三島工場で協力いただいた方々に感謝したい」と言うのだった。