いよいよヨコハマタイヤは、2006年シーズンからWTCC(FIA世界ツーリングカー選手権)のワンメイクタイヤサプライヤーとしてタイヤの供給を始めることとなった。しかし、正式決定は2005年7月。開幕までわずか半年強しかない期間で、新企画のタイヤ開発をしなければならなかった。文:世良耕太 Kota Sera
実はヨコハマのレーシングタイヤ開発陣は2002年頃から、WTCCの前身であるETCC(ヨーロッパ・ツーリングカー選手権)のチームに協力してもらい、テストを行なっていた。その経験から、WTCCに投入するタイヤの大まかなスペックを弾き出していた。
「WTCCはタイヤに厳しいという認識はありましたが、事前におおよその確認はできていたので、あとはオフィシャルテストを通じて細かな仕様を決めていけばいい。そういう気持ちでした」と、WTCC参戦当初から開発に携わるヨコハマ・モータースポーツ・インターナショナル株式会社 開発本部の渡辺晋氏は振り返る。
オフィシャルテストは2005年9月に始まった。舞台は、イタリア・ローマ近郊のバレルンガサーキットである。「バレルンガで大丈夫ならどのサーキットでも大丈夫」と評されるほど、タイヤに過酷なサーキットだ。
ETCCは2005年からWTCCに格上げされていた。それまではヨーロッパを対象にした選手権だったが、スケールは格段に大きくなり、世界選手権になった。ヨコハマはETCC時代にテストを行ない、タイヤに求められる特性を把握してはいたが、WTCCになってからの様子は未知だった。実際のところ、世界選手権になった途端にレースそのものの競争が激化し、車両のスピードが向上。それにともなってタイヤへの厳しさが増していた。
「世界選手権になった途端BMW、シボレー、アルファロメオ、セアトなど自動車メーカーが本腰を入れて開発に取り組むようになりました。私が受けた感じで言うと、それまでより2秒速いクルマになっていました。2秒速いと、タイヤにとってはまったく世界が違います」
当然、ヨコハマの開発陣はその変化を設計に織り込み、入念に準備をしてバレルンガに乗り込んだ。このとき直面した技術的な課題と、それをどう乗り越えたのかについては後にレポートする。
ルールを統括するFIAやチームとのやりとりを通じ、渡辺氏が驚いたのは、彼らの要求レベルの高さだった。
「WTCCはFIAが統括する世界戦なので、それはそれで世界が違うのだろうなと思っていましたが、予想以上でした。当初は、タイヤのスペックをいくつか用意しておき、気に入ったのを選んでもらおうと、考えていたのです」
ところが、タイヤを渡して終わり、ではなかったのだ。
「FIAからもチームからも、タイヤに関するデータをたくさん要求されました。私たちの感覚からすると『そんなデータまで必要?』と驚くようなことばかりでした。世界戦だということで自動車メーカーが本気でやり始めていたのが影響したのでしょう。F1チームで働いていたエンジニアもたくさんいました」
当時のF1はタイヤ開発競争がピークを迎えているところだった。エンジンや空力に開発のエネルギーを注ぐより、タイヤの開発にエネルギーを注いだ方が効果は高いという認識が芽生え、開発が一気に進んだのだった。
こうしてタイヤを注目するようになると、タイヤ単体の性能を向上させるだけでなく、タイヤが持つポテンシャルをいかに上手に引き出すかという視点も芽生えた。みんなが100の性能を備えたタイヤを持っているなら、その100をすべて引き出したチームが有利である。タイヤの力を引き出すには、タイヤの特性や状態を知ることから始まる。つまり、データが命だ。
F1でタイヤの重要性を知ったFIAやエンジニアは、その知識と視点をWTCCにも持ち込んだ。
「F1で働いていたエンジニアは、このデータが必要だ、あのデータが必要だと要求してきました。タイヤを理解しようとしてくれる姿勢はありがたいのですが、要求されるデータの量が多く、その準備にも追われ、次のテストの準備が間に合わないじゃないか、と感じるほど慌ただしくなりました」
その要求してくるレベルの高さに驚き、感心しながらも、次のテストのためのタイヤを準備し、リクエストされたデータを準備した。ヨコハマはFIAやチームからの信頼を得るため、全社を挙げたスペシャルな体制で開発に取り組んでいるところだった。本来なら、問題となった領域の検証と改善策に開発のエネルギーを集中させたいところだったが、自分たちのためにもなるからと、面倒な要求にも親身になって応えた。
「WTCCにかかわるまでいろんなカテゴリーに携わってきましたが、WTCCではそれまで経験したことのない要求ばかり突きつけられました。タイヤの何を見るのか。現象をどう捉えるのか。把握の仕方やスタンスが異なります。ヨーロッパは契約社会なので、物事をビジネスライクに進めるのかと思っていたら、そんなことはありませんでした。人と人との繫がり、マシンと人との繫がりを考え、そのなかでのタイヤの役割を考えるイメージです」
いろいろなデータを要求する一方で、データを鵜呑みにしないのもWTCCに携わる人たちの特徴だった。
「例えば、試験機でタイヤをたわませたデータで、AよりBが優れているからBで行こうと即座に決めるようなことはありません。実際に走らせたらどうなんだと確かめるし、そもそも計測したデータは正しいのか、実際の現象を表しているか?疑ってかかることから始まります。このしつこさは勉強になりました」
そして、こう付け加える。
「意外とあなどれないのがFIAのエンジニアです。何も知らないふりして深いところまで突っ込んできます」
ルールだけ決めて終わり、ではないのだ。自分たちが管轄するカテゴリーが安全に、低コストでありながら、スペクタクルな競技になるよう目を光らせているのだ。
「WTCCは世界トップレベルなのだなと認識しました。FIAもチームも、とことん深いところを追求してきます。彼らの要求の深さに驚くと同時に、我々もとことん勉強させていただきました」
苦労は報われるものだ。チームからメールが入ると、そこには大抵面倒なリクエストが書かれていた。当時はメールが届く度にドキッとしたというが、現在では逆に、チームをアドバイスする立場になっているという。
こうして2006年シーズンからオフィシャルサプライヤーとしてWTCCを支え、ヨコハマなくして成立しないレースへと成長した。ところがまた、新たなる変革が起こったのだ。その話はまた次回。
ヨコハマタイヤスペシャルコラム