測定値はクリーンでも実際はダーティー?
せっかく訪れたパリの街が臭くてがっかりしたMr.舘内とエッジ舘野は、Le Figaro紙とThe Sun紙をながめながら、モンパルナスのホテルのロビーで顔をしかめて論議していた。
「ですが、EUでもディーゼル車の排ガス規制は実施してたんでしょ? 」不審な顔をしてエッジ舘野が訊いた。
「昔は垂れ流しだった。環境団体の猛烈な抗議で重い腰を上げて実質的な規制を始めたのが、2000年代に入ってからだね。当時は日本の規制よりも厳しかった。それからユーロ4、ユーロ5と厳しくなって、これからの新型車はユーロ6をクリアしないとダメだ。日本のポスト新長期規制と同じで、ガソリン車と同等の規制値だよ」。こうMr.舘内が答えると、「ということは、解決したってことですか?」と、エッジ舘野がさらに訊いた。
「そうは甘くない。常に規制は現実の後追いだよ。今までも規制してきたし、自動車メーカーも規制値は順守したわけだ。法律的には悪くない。しかし、現実には大気汚染は悪化の一途をたどった」。
「ということは、『わが社のディーゼルは新長期規制に合致しているからクリーンだ』といっても、いずれ大気汚染は深刻になるってことですか?」
「それはわからないが、これまでの自動車排ガスの規制と大気汚染はいたちごっこだったことは事実。だから『規制をクリアしている』という自動車メーカーの主張は、おまじないみたいなものに過ぎない」。「ということは、みなさんは新型ディーゼルを褒めまくってますが、クリーンディーゼルだからって、あまり喜べないわけですね」
「うーん。厳しい意見だな。ガソリン車と同じ排ガス規制だからクリーンだというし、そのガソリン車の排気ガスは甲州街道の空気よりきれいだというからね。納得してしまう人も多いんじゃないの」
JC08は実際の走行と大きく離れている
続けてMr.舘内は、「新型ディーゼルは、テストベンチでJC08という走行モードで測ればクリーンかもしれない。でも、リアルワールドで加速して、時速60キロで走ってどうだというと、だれもそのときの排気ガス値、とくにNOxとPM2.5の値を公表していないから不明だ。規制値と実際の走行での排気ガス値にギャップがないとはいえない」と加えた。
「燃費がそうですね。JC08で測定したカタログ燃費と実際の燃費はかなり違います。そういうことですか?」エッジ舘野は、排気ガス値も測定値と実際の排出量は違うのではと訊いた。そして、「怖くて自動車メーカーも、国も測定できない?」とさらに質問した。
「測定したけど言えないってことだよ。自信があれば『実走行でも、ほら、こんなにクリーンです』って言うものね」。「やっぱりそうか。甲州街道の空気よりもきれいだというのは、あくまでもJC08という走行モードで測ったときなんだ」。
ようやくエッジ舘野は、排気ガス規制とリアルワールドの大気汚染の関係を納得したようだった。
悪魔の微粒子 PM2.5
「困っているのは、PM2.5だ。これはやっかいだよ。米国では悪魔の微粒子と呼ばれているほどだ」。「そんなに深刻なんですか? 」エッジ舘野は真顔になって訊いた。まだ大気汚染と自動車排気ガスには問題があるようだ。PM2.5は、径が2.5マイクロメートル以下の粒子をいう。マイクロは百万分の1メートルだから0.0025㎜。スギ花粉の10分の1である。
これほど小さな粒子は自然界には存在しない。だから生物にはその除去機能が備わっていない。フィルターで除去しようにも小さすぎてうまくトラップできない。人間のマスクくらいならなんとかPM2.5 はトラップできても、自動車用となると大量に、長期間使えないと…そんなフィルターは作れないだろう。「気道に異物が付くと、人間でも動物でも、咳をして痰として吐き出すよね。でもPM2.5はそのまま気道をスルーして肺に入る。さらに血管の壁も潜り抜けて血液に混じってしまう。肺癌を初めとする癌の原因だともいわれて、日本でも検証されたが、はっきりした結論は出ていないというか、うやむやにされてしまった」「えっ、そうなんですか? 」エッジ舘野が思わず訊き返した。
ガソリン車もPM2.5を吐き出す
「PM2.5は最近の問題じゃないんだ。ボクが1994年に電気のフォーミュラカーをもって米国のレースに出たときに、カリフォルニア州ではすでに問題になっていた。なにしろハンバーグを焼くときの煙が大気汚染の原因だと言って問題になる国だからね」「そんなに古いんですか」。
「90年代に入って、それまでの規制対象だったPM10よりも、さらに微粒子のPM2.5のほうが死亡率が高いことがわかった。それで1997年からPM2.5の規制が米国では始まった。それで米国のディーゼル排ガス規制は世界一厳しくなった。ヨーロッパの規制をクリアしてもね、とても米国の規制はクリアできないといわれたものだ」
そう答えながらMr.舘内は、石原元東京都知事がススの入ったペットボルトを振って、国と自動車メーカーにディーゼル排気ガスの規制強化を訴えたときのことを思いだしていた。
「実は、問題はディーゼルだけじゃないんだ。直噴ガソリンもPM2.5の排出量が多い。ターボを効かせるダウンサイジング・ターボエンジンもPM2.5が多いんだよ。昔でいうキャブレターって知ってるかな。あれはポート噴射だ。同じように燃料噴射もこれまではほとんどポート噴射だった。ところが、直噴ガソリン・エンジンは、ポート噴射のガソリン・エンジンの10倍もPM2.5が多いのよ。どうする?」。「えっ、ガソリン車も犯人なんだ。じゃあ、ダウン・サイジング・ターボのF1なんてPM2.5をサーキット中にまき散らしているようなもんじゃないですか! そういえば、今年からF1にカムバックした日本のメーカーがありますね」
「どうしてカムバックしたかね。エアバッグとかハイブリッド車のリコールとか、やることはたくさんあると思うけどねえ。米国のZEV規制対応用のEVの発売は3年後に迫っている。時間的余裕は全くないと思うよ」。「それで社長交代ですかね」エッジ舘野がいじわるく攻めまくった。
燃費の良い直噴が問題だ
「それはともかく、日本で2012年以降に発売された直噴ガソリン・エンジンは販売台数の40%を占めている。これからますます直噴ガソリン・エンジンは増える。一方、自動車メーカーが懸命に宣伝しているが、日本ではさほどディーゼル車は増えないだろう。とすると2020年頃には排気ガスの悪者はディーゼル車ではなくガソリン車になるかもしれないよ」
そうMr.舘内がたたみかけると、「えっ、えっ! そうなんだ。ま、まずいじゃないですか。CO2排出量規制でさんざん苦しめられて、今度は排気ガス、それもこれまで規制されていなかったから除去の技術開発もしていないPM2.5でいじめられる。エンジンに未来はあるんですか」
さすがのエッジ舘野も、ここまでエンジン車が追い込まれているのを知ると、エンジン車の味方にならざるをえなくなったようだ。「以前から希薄燃焼のエンジンはPMが多いといわれていた。もちろんディーゼルはそもそも希薄燃焼だからPMの中身のススが多い。そこに希薄燃焼のガソリン・エンジンが加わったってことだよ」Mr.舘内がそう解説すると、「これは燃費を良くすると、つまりCO2排出量を少なくすると、健康に悪い排気ガス、それも癌の原因ともいわれるPM2.5が増えるってことですね」と、めずらしくエッジ舘野が先取りした。
「そうなんだ。昔から燃費を良くすると排気ガスが増えるっていうのは、学校でも教えていたエンジンの七癖のひとつだったんだよ」
そうMr.舘内はつけ加えた。「どっ、どっ、どうすればいいんですか? これじゃあエンジンは生き残れないじゃないですか」。「その話は、日本に戻ってからにしようか」そう言ってMr.舘内は、あまりにもの問題の広がりに自分で辟易してしまった。
果たして大気汚染の解決策はあるのだろうか。それは次回に。乞うご期待。
注記
自動車排ガスにおけるPM2.5はいずれ規制されるだろうが、現在は各地の測定局でPM2.5が測定されており、論議のためのデーターが集められている。
環境庁の規制値の1日の平均値35μg/m3に対して、以下のような基準をオーバーする測定値が並んでいる。日本も安心できない。
北海道苫小牧市 43
品川区中原口交差点 58
大田区環七松原橋 58
目黒区碑文谷 51
埼玉県所沢市 73
川崎市池上新田 52