【舘さんコラム】 2020年への旅・第7回「充電の旅シリーズ7 スーパーセブンに聞け 第5話」

BMW i3 VS TOYOTA 86

2014年3月14日に屋久島でBMW i3に試乗した。速い。とにかく速い。めっちゃ速い。発進でアクセルをめいっぱい踏み込もうものなら、首がガクンと折れる。そう言いたくなるほど速い。どれくらい速いかというと、スタートして100km/hに達する時間が7.2秒だ。これは、高速道路への流入などの目安になり、実用的な速さの目安なのだが、わかりづらい。

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時速100kmまで7.2秒で達するi3。速いっ!

ということで、トヨタが自慢するスポーツカーの86と比べてみた。カーグラフィック誌のテストでは、86と姉妹車のスバルBRZ-Sのそれは、6速MTが8.7秒、6速ATが8.2秒である。トヨタの誇る最新のスポーツカーがいとも簡単に、背の高い、ずんぐりしたハッチバックの後塵を拝することになったわけだ。しかも相手は、デ・ン・キ駆動車だ。羊の皮をかぶった羊のスポーツカー、86は道をあけろ! i3が通る。

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屋久島の試乗会場には、5基の普通充電器が設置されていた。これは急速充電器ではないので充電には時間がかかるが、ホテルでは宿泊客が、レストランでは食事する客が使うといった場合に便利だ

そんなことをオートメカニック誌に書いたら、そのコピーがトヨタ社内を駆け巡り、86の製品開発室に届き、「誰だ。こんな記事を書いたのは。なに舘内某だと。あの電気野郎か。許さん!」。「電気ごときに抜かれるとはなんというざまだ。すぐにチューンアップしろ」と部長が激怒し、ターボ仕様の86が出ることになった。某B誌のスクープによると、ターボ86の0~100km/hは5.5秒だという。えっ? 冗談ですよ。冗談。

1889年に世界で初めて100k/hを出して、パリ郊外で行われていたスピードレースの幕を閉じさせたのは、ジャメ・コンタントという名前の電気自動車であった。この競技会には、自分の足で走る選手に始まり、自転車、蒸気自動車、エンジン自動車などさまざまな競技車両が登場した。その中での優勝だから、とりあえず19世紀末の世界最速車両は電気駆動車ということになる。電気自動車は速いのだ。

電友1号 打ち壊し事件
そんなに速いのなら電気スポーツカーはありではないか! ということで、さっそく作ったのが電友1号という電気フォーミュラーカーだ。FIAのFormula-eに先立つこと20年前の1994年のことであった。

ちなみに電友1号という命名は当時カーグラフィック誌編集長の熊倉重春氏であった。製作者は、電気界で最高にイカレていると言われる”わ・た・し”である。鉛電池だったので車体は重く、ブラシモーターだったので、たかが50馬力程度しか出なかった。とてもAE86(旧型)の足元にも及ばなかったが、電気自動車の面白さがギュッと凝縮されていた。

1994年当時、電動フォーミュラーカーは、私の知る限り米国のEX-11、フランスのEVキャンパス、そして日本の電友1号の3台しか存在していなかった。EX-11は、ローラのインディーカーの改造車であり、EVキャンパスは、ルノー・キャンパスという入門フォーミュラーカーの改造車であり、電友1号は、これも日本の入門フォーミュラーカーのFJ1600の改造車であった。

94年2月8日。電友1号のシェイクダウン(試走)が、雪の舞う富士スピードウエイで行なわれた。ピットを出ると、静かに、するすると加速し、あっというまに視界から消えた。まるで忍者だった。見たことも、聞いたこともない音のしないフォーミュラーカーが目の前を走った。集まっていた近隣のベテランメカニックたちは、みな押し黙って自分が崩壊していく恐ろしさに耐えていた。

そうした日が来るなどと夢にも見なかったのに、目の前に音のしない、排ガスを出さない、振動もないフォーミュラーカーがあって、エンジンの聖地である神聖な富士スピードウエイのコースを汚したのだった。

「こんな自動車を許したら、あとできっととんでもないことになる」

誰がいうとはなしに、そうした声が広がり、ピットに反響した。自己崩壊を起こし、恐ろしい形相をしたメカニックたちは、電友1号がコースを回ってピットに戻ると「やれー!」と叫び、一斉に襲いかかった。ハンマー、スパナ、ボックスレンチなど、あらゆる工具を振りかざして電友1号に打ちかかる。FRPのボディは無残に打ち砕かれ、フレームは曲がり、モーターは凹み、バッテリーは砕かれて飛び散り、配線はずたずたに引き裂かれた。

シュンペーターの創造的破壊
もちろんウソである。電友1号は無事にシェイクダウンを終え、富士スピードウエイを後にしたのだった。だが、もし彼らの誰かが「こんな自動車を許したら、後できっととんでもないことになる」と本気で思ったのなら、あのとき電友1号を打ち砕いておけば良かったのだ。なぜなら、電友1号の後継者とでもいうべきFormula-eの世界規模のレースが今年から始まれば、その台数分のエンジン・メカニックは不用になるからである。たちまち失業だ。

電友号
1994年3月21日。電友1号はフェニックス・レースウエイというオーバルコースでAPS500 EVレースの予選に出場した。予選はトップで、翌日のレースは3位であった

実は、かたくなに電気自動車の量産をこばんでいる自動車メーカーの首脳陣の本当の苦悩がここにある。電気自動車が量販されれば、これまでの自動車産業の構造がガラガラと音を立てて崩れ、多くの協力企業が倒産し、大勢の労働者、技術者の雇用の機会が失われる。そんな自己崩壊する自動車産業の姿など、見たい経営者がいるわけもない。

だが、古くは蒸気機関車は電車に置き換わり、日本の主力エネルギーは石炭から石油に換わり、ガラケーはスマホに換わり、そろばんはコンピューターに換わった。それを拒んだ企業や国は滅びた。経済学者のシュンペーターが言うように、資本主義は創造的破壊を繰り返さなければ息の根を止める。自動車産業の(古い)形態を守るべく、エンジン自動車の電気自動車への置換を拒んではならないだろう。学生運動時代の言葉でいえば、そうした経営者は保守反動の輩だ。

苫小牧から小樽へ
シュンペーターの言うことは、その通りである。最近の例では、経営改革を怠ったために途上国に追い込まれた電機業界がそうだ。だが、改革は容易ではない。交通に関してはまだまだ従来型のエンジン車が強く、便利である。とくに降雪地、寒冷地ではエンジン車に頼らなければならない。

その点について、EVスーパーセブンで旅を続ける寄本は、自動車の燃料の多様化を唱える。石油、天然ガス、液化石炭、バイオ、再生可能エネルギーなど、地域に合ったエネルギーで自動車は走るべきであると。それがもっとも環境にも、エネルギーにも負荷が少ないのではないか。北海道をディーゼル車で走る。それはベストな選択のように見えるのだ。

一方、電気自動車はどうか。北海道は広い。そこに網の目のように充電器を設置するのは、資源的にも、エネルギー的にも、そして何よりも予算的に無理がある。そして冬の寒さと積雪量の多さである。電気自動車は、この2つの課題に対してどう答えるのか。北海道はエンジン車に譲るべきではないのか。そうしたことを考えながら、北海道庁経済環境・エネルギー室の岡村眞規子参事、北村浩樹主幹といった急速充電器設置を促進する人たちに別れを告げ、寄本は小樽に向かった。雨が、また一段と強まりEVスーパーセブンの小さなフロントウインドを濡らした。

苫小牧から札幌、小樽という道路は北海道の幹線道路である。雨の道路を行き交うトラックの数が半端ではない。背の低いEVスーパーセブンに座ると、トラックやバスのタイヤが顔のあたりにくる。電費を気にして飛ばさずに走っていると、つぎからつぎへとタイヤの跳ね上げる水がウインドを襲う。その瞬間、前方の視界はゼロとなる。一瞬たりとも気を緩められない緊張を強いられるドライブだった。

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雨の中を小樽に向かうEVスーパーセブン

ようやく幹線道路を離れて小樽の市街地に入る。東京から1072kmも走った。あたりはもう薄暗かった。日産プリンス小樽支店で充電をさせていただく。ほっとする。電気自動車の最高のご褒美は充電だ。それは、雨で冷え切った寄本のからだに沁みる暖かい血液でもあった。感謝。

会わせたい男がいる
充電を終えて、夕食とする。北海道の海鮮料理を求めて、「きた浜」の特製北海定食を食べる。2500円也。ホテルは小樽運河が目の前の「ソニア」。ピンクの外壁に少々驚いたが、部屋は瀟洒でホテルらしく、味気ないビジネスホテルが続いたので、久しぶりに豪華な気分を味わえた。緊張を強いられたドライブで疲れたからだをベッドに放り出して、少し眠った。浴室での洗濯を終えて、日本EVクラブ事務局に送る旅のレポートをまとめていると、携帯が鳴った。フェリーのシルバークイーンで会った山東からだった。

「どうしても会わせたい男がいる」

山東は挨拶ももどかしく、そういって話を切りだした。寄本は、何か切迫したものを感じた。会わせたい男とは…。EVスーパーセブンの旅はいよいよ本州に入る。

2020年への旅 スーパーセブンに聞け 第6話
2020年への旅 スーパーセブンに聞け 第4話
日本EVクラブ公式サイト


The Mortor Weekly

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