【舘さんコラム】2020年への旅・第1回「充電の旅シリーズ1 イマドキの電気自動車は日本一周できるのか?」

 

2001充電の旅
2001年日本一周充電の旅、中村商店でコンセントを借りる

電気自動車で日本1周はできるか

今回から始まった連載コラム。最初はみなさんにクイズを出してみよう。「果たして、2ヶ月あまりで電気自動車で日本を1周できるだろうか?」。答えの選択肢は下記の3つだ。

答A. 「重くて、遅くて、走らない」と言われてきた、あの電気自動車だ。できるわけがない。できるとしても、1年も2年もかかるに違いない。

答B. 今の電気自動車ならできると思う

答C. 今の電気自動車でも充電インフラがないから1周できないと思う。

さてどの答えを選ぶだろうか。ただし、選んでいただいても、特に何かがもらえるわけではないことをお断りしておく。

2001年、電気自動車が日本を一周している

さて、このクイズにはヒントがないわけではない。2001年4月8日、都立庭園美術館を出発したEV Aクラスという電気自動車は、6ヶ月後に1万2000kmを走って日本を1周し、上記美術館に戻った。EV AクラスというからEV=電気自動車だ。車体はメルセデス・ベンツのAクラスではあるが、電気自動車に改造してある。改造したのは日本EVクラブという電気自動車の普及を推進する市民団体だ。

EV Aクラスは、モーターこそAC誘導モーターだったが、電池は「重くて、遅くて、走らない」という電気自動車の評価を頂いてしまった原因の鉛電池だった。1回充電して走れる距離(レンジ)はおよそ50kmと情けなかった。

もちろん2001年に充電インフラなんぞどこにもなかった。しかし、日本を1周できたのである。その秘密は「コンセント・サポーター」の存在である。家庭の電気コンセントを貸してくれる人たちのネットワークをネットで募集し、その人たちのお宅を訪ねては充電をお願いしたのだった。

応募いただいた方は1000軒以上で、うち625軒のお宅で充電させていただいた。つまり19.2kmに1度、充電したことになるのだが、これは「頼むから私の家に寄ってよ」、「なぜ、オレの家に寄らないのだ」と、充電の逆お願いを受けたからにほかならない。

2001年充電の旅は全国で大評判になったのである。必ずしも電欠しそうなので寄ったわけではなかった。

この旅は、「電気自動車は充電インフラがないから普及しない」という、一部のメディアの報道に腹を立てたから企画したわけではない(そうした私憤がなかったわけではないが)。「コンセント・サポーター」なる市民充電ネットワークを形成すれば、電気自動車でも日本を1周できることを、つまり電気自動車は使えるということを日本EVクラブは証明したかったのであった。いまでいう「絆」の大切さのアピールであった。

それから12年。果たして電気自動車は再び日本を1周することができるのだろうか? さて再びあなたなら、上記の答えの選択肢A、B、Cのどれをお選びになるだろう。えっ、まだヒントが欲しい? では次のヒントである。

ヒントその2。1週間でスズカまで走った

2001年充電の旅に先立つこと6年前の1995年には、EVランサーで東京から鈴鹿サーキットまで1週間かけて走った。仕掛けたのは日本EVクラブである。走ったのは、日本EVクラブが主催した、第2回手作りEV教室の生徒たちだった。

走った電気自動車は、ミツビシ・ランサーを改造したEV(EVだからってランサー・エボリューションではない。念のため)。このクルマを造ったのは、上記の教室の生徒たち50名だ。

このときは、知り合いの家のコンセントを借りたのと、サポートカーに載せたエンジン発電機による充電だった。このエンジン発電機はホンダ製。パワード・バイ・ホンダの三菱ランサーであった。

生徒たちは嬉々として夏の東海道を走ったのだが、最大の難関は箱根越えであった。電池はもちろん鉛式であるから、蓄えられる電力量は知れたものだった。果たして箱根の坂道を走れるのか? 関係者が固唾をのむ中、EVランサーはターンパイクを走って、無事に箱根を越えることができたのである。

96suzukaEVrace
1996年夏、鈴鹿サーキット。鈴鹿EVというイベント、当然みんなEVだ

歩いて日本橋からスズカまで歩いたオヤジ

それより3年前の1992年に、同じように箱根越えに悪戦苦闘した集団があった。当時、F1のシリーズチャンピオンの座を賭けてアイルトン・セナと壮絶な戦いを演じていた、(メディアには大いに嫌われた)マンチャンことナイジェル・マンセルの優勝を祈願して、東京・日本橋から鈴鹿サーキットまでの470kmを歩くという、狂気の集団が箱根にさしかったのだ。

このイベントの仕掛け人は私であった。このときは1日に最大45kmも歩いて、2週間かかった。私の足の裏にはマメができて、そのマメの中にまたマメができていた。ちなみにマンチャンというニックネームの名付け親は私だ。当時の週刊プレイボーイで命名したのであった。正式にはマンちゃんではなくマンチャンである。

東京から鈴鹿まで歩いた理由の「マンチャンの応援」というのは実は人寄せパンダ的なものであって、本当の理由は東海道を排ガスにまみれて歩いて、自動車の環境・エネルギー問題を考えようというものだ。のべ70名もの自動車関係者が歩いたのだった。この話をすると長くなるので、またの機会に譲ろう。

鈴鹿2
1992年秋、マンセル万歳!排ガスまみれで東海道を歩いて向かった鈴鹿は遠かった

電気自動車嫌いな人たちの陰謀

他人の家のコンセントを借りれば電気自動車でも、あるいは自分の足で歩いても、日本は1周できる。現代の電気自動車が1周できないわけがないと、選択肢Bを選ぶ方が多くなったかもしれない。

いや、いや。話はそれほど簡単ではない。一部の人たちからは強烈に嫌われる電気自動車であり、出現に反対する人たちの多い電気自動車だ。どこで邪魔者が出現し、旅ができなくなるかわからない。

かつては重くて、遅くて、走らないといわれた電気自動車は、現在では「価格が高くて、航続距離が短くて、充電インフラが整備されていないから普及しない」と、よく言われる。果たして本当にそうなのか。検証した人はいないのだが、なぜかこうした電気自動車ハラスメントともとられる言説が流布している。

私憤でもなんでもいいから、こうした言説に真っ向勝負を挑む強者がいても、世の中おもしろいではないか。

果たして2ヶ月あまりで電気自動車で日本1周はできるのか。これはゲームとしてもおもしろいし、見ている人たちはハラハラできて、一興である。賞金でもかかれば、さらにおもしろい。

ということで、改造電気自動車で日本1周にチャレンジした人たちがいるのだ。勇気ある人たちであり、電気自動車反対派には、なかなかの強敵となろう。

最後にもう一度だけ聞いてみよう。「果たして彼らは、2ヶ月あまりで日本を1周できたのだろうか?」。その答えは次の更新にて明らかにしよう。

…えっ、その話、知っているって? うーん。まあ知っている人も知らないエピソードも交えて、次回の更新を待っててほしい。

2020への旅 第2回

 

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